指
薄い明かりの中で、そう読めた。
視線は、エルナの右手の中の花弁に、置かれたまま。
棚の脇の通路の薄い明かりは、さっきと同じ角度で、エルナの肩のラインを照らしている。肩の高さも、背中の縦の線も、袖の手首の縁も、同じ位置のまま。
花弁は、指のあいだから半分だけ見えている。薄い縁は、てのひらの影の中で、もう一段、暗い。縦の筋は、細いまま、花弁の中央を通っている。
擦れの色、紙の上の文字の色、花弁の色。その三つが、同じ家族の中で、近い位置に並んでいる。視線の中でも、内的記憶の中でも、その位置は、まだ動かない。
喉の下にあった息の位置が、胸の中ほどへ、ゆっくり、下りた。
息の通り道は、細い。声にはならない。舌の位置も、歯の裏の冷たさも、変わらない。ただ、胸の中ほどの空気だけが、さっきよりも、もう一段、重い。
踏み台の前から半歩離れた位置で、足の裏は床に置かれている。右足の爪先は、踏み台の前の跡の方向。左足の踵は、書架の間の通路の方向。靴底の下の薄い埃は、まだ、崩れていない。
足の裏の重さは、左右でほとんど同じ。右足の親指の付け根に、床の硬さが、少しだけ強く乗っている。踵の下の板の冷たさは、踏み台の影の中で、もう一段、薄い。
肩の高さは、変わらない。首の後ろの皮膚に、書架の奥の冷たい空気が、薄く乗っている。胸の中ほどに下りた息だけが、動かないまま、そこにある。
右手は、太腿の脇に下りている。
袖の下から出た手首は、太腿の縦の線に沿っている。手の甲は、書架の薄い明かりの中で、もう一段、暗い側にある。指は、緩く曲がっている。指の腹は、太腿の布の方ではなく、空気の方へ、わずかに開いている。
太腿の布と指の腹のあいだに、薄い空気がある。布の織り目は、指の腹に触れていない。指の腹の熱だけが、布の手前の空気に、細く残っている。
指先の角度を、視線の外で、感じる。
人差し指の先は、太腿の脇の位置にある。中指の先も、その少し後ろにある。薬指と小指は、もう一段、下の位置。指と指のあいだの薄い隙間に、書架の明かりが、細く入っている。
花弁の縦の筋と、指先の縁の方向が、視線の角度の中で、薄く、揃っていく。
腕の縦のラインは、まだ太腿の脇にある。肩の高さは、変わらない。肘の角度も、変わらない。だが、指の腹の向きだけが、ほんの少し、空気の中へ、開いている。
指が、上がった。
腕全体が上がったのではない。肩のラインは、まだ、同じ高さにある。肘も曲がらない。手首の位置も、太腿の脇から大きく離れていない。
指先だけが、空気の中で、花弁の方角へ、ゆっくり、上がっている。
上がった長さは、てのひらひとつ分にも届かない。指の節ひとつ分よりは長く、てのひらの半分よりは短い。指の腹の向きが、太腿の布から、棚の奥の薄い明かりへ、移っている。
指先の下にあった空気が、薄く、押される。書架の中の粒は、いつものように下へ降りている。隙間の縁の側の粒は、まだ、隙間の中へ寄っている。指先の周りだけ、降りる粒の間隔が、ほんの少し、広く見える。
指は、花弁の前で、止まる。
指先と花弁の縁のあいだに、指の二本分ほどの隙間がある。隙間の中の空気は、棚の脇の通路の薄い明かりの中で、細く、置かれている。
その二本分の空気の奥に、花弁の薄い縁がある。こちら側には、人差し指の爪の縁がある。爪の薄い白と、花弁の薄い色は、同じ明かりの中で、別々に止まっている。
指先の縁は、花弁の縦の筋の方向と、ほぼ揃っている。人差し指の爪の薄い曲線と、花弁の縁の曲線は、別の形のまま、同じ薄い明かりの中に並んでいる。
指先は震えない。肘の角度も変わらない。肩の高さも、同じ位置のまま。指の先で、空気だけが止まっている。
もう一段先へ行く長さは、指先の中にない。肘の中にもない。肩の中にもない。右手は、太腿の脇から、わずかに離れた位置で、その短い長さのまま、置かれている。
エルナの肩のラインは、いつもの位置のまま。
背中の縦の線も、袖の手首の縁も、花弁を挟んだ指の角度も、変わらない。花弁は、てのひらの中で、同じ位置にある。指のあいだの薄い隙間も、同じ角度のまま。
エルナは、まだ振り返らない。
ただ、エルナの右手の肘の内側、その近くの空気の重さだけが、少し違う気がした。棚の薄い明かりの中で、肘の内側の空気の方向が、俺の指先の方角へ、薄く寄っている、ように見えた。
棚の脇の通路の粒は、いつもの向きのまま、下へ降りている。隙間の縁の粒は、隙間の中へ、薄く寄っている。書架の他の場所の空気も、さっきと同じ向きのまま。
花弁の位置も、変わらない。
指先と花弁のあいだの、指の二本分ほどの隙間だけが、別の重さを持っている。
指は、花弁の前で、止まっていた。




