再現
フィアが、椅子を引いた。
椅子の足が、床の上で、もう一度、短く、低く、音を立てる。
フィアが、F組の机の隣の席に座った。袖は、手首まで下りたまま。視線は、F組の机の中央のあたりに置かれている。
俺は、ガドの斜め向かいの位置に座る。
F組メンバーが、食事を取る。スプーンの音、皿の縁の音、紙の音が、机の上で続く。
誰も、何も、言わない。
フィアの席の隣の F組メンバーの目線が、フィアの方へ、一度、上がったように見えた。すぐに、皿の方へ戻る。
俺の視線は、前のまま。書いた一行とノートが、鞄の中で、椅子の脇の高さで、まだ動かない。
食堂の昼の薄い光が、机の表面で、止まる。
午後の授業のベルが鳴った。
F組メンバーが、食堂を出る。フィアも、自席を立った。袖を、一度、確認した。視線は、前のまま、こちらに向かない。
俺は、鞄を肩にかけた。書いた一行とノートが、鞄の中で、肩の上の高さで、止まる。
F組教室へ戻る。自席は、F組の左から四番目、前から二列目。鞄を、椅子の脇に置いた。
教科の教師が、教室に入った。F組担任とは、別の足音。午前と同じ高さで響く。
黒板に、午後の文字が書かれる。F組メンバーが、机の中のノートを、もう一度開いた。机の上で、ペンの音が続く。
俺は、教室用のノートに、書きかけの文字の続きを、書く。文字の輪郭が、書いた瞬間に、ノートの紙の上で、止まる。
終業のベルが鳴った。
午後の授業の終わり。F組メンバーが、自席から立ち上がった。机の中のノートを、机の中へ戻していく。
フィアも、立ち上がった。袖を、もう一度、確認した。視線は、前のまま、こちらに向かない。
俺は、教室用のノートを、机の中へ戻した。鞄を、肩にかけた。書いた一行とノートが、鞄の中で、肩の上の高さで、止まる。
自席を離れて、廊下へ出る。
F組メンバーが、食堂や寮の方向へ動いた。
フィアが、別の方向へ、足を動かした。教室棟と寮の間の廊下、人通りが少ない側。
俺の足も、同じ方向へ動いた。フィアの一歩後ろの位置。距離は、握り拳二つ分。
廊下の薄い光が、足元の角度で、後ろへ流れる。
廊下の隅、誰もいない位置。
フィアが、足を止めた。俺も、足を止めた。
廊下の隅は、教室棟と寮の間。両側の壁の間隔は、訓練場の幅よりも狭い。
フィアが、振り返らない。視線は、廊下の壁の方向。
俺の指先が、フィアのベスト型の制服の上、肘の少し上に触れた。布越しの体温が、指先に薄く乗る。あの日の連携試験と、同じ位置、同じ高さ、同じ角度。
書かない。修正の文字を、頭の中でも、紙の上でも、置かない。
内心の動詞、ただ一つ——揺らぎを残す。
フィアの呼吸が、一度、深くなった、気がした。
フィアが、詠唱した。
「フレア」
声は、低く、短く、廊下の隅の空気の中で、響く。
赤がフィアの右手の前で立つ。輪郭の細い、棒のような赤。だが、軌道は廊下の壁の方向ではない。手の前で、止まる。標的はない。命中もない。
何かがフィアの腕から俺の指先へ、それとも俺の指先からフィアの腕へ、判らない。
赤の棒が、消える。空気の中に、薄い赤の輪郭が、立ち上がった。輪郭の縁が、廊下の薄い光の中で、薄く動く。
今日の輪郭は、細い。肩の高さまでは届かない。短い間だけ、空気の中で動くように見えた。
俺は、指先を、フィアの肘の少し上から、離した。
布越しの体温が、指先から、薄く消える。
フィアが、振り返らない。視線は、廊下の壁の方向のまま。
俺の視線も、前のまま。
廊下の隅の空気の中で、薄い赤の輪郭が、まだ動いているように見えた。輪郭の縁の動きは、息一つ分の長さで、止まる。あるいは、止まらない。
今日の輪郭は、短いように見えた。だが、消えない。空気の中で、薄く動いたまま。
再現できたのか、できなかったのか、俺の位置からは、まだ判らない。
書いた一行とノートは、鞄の中で、肩の上の高さで、まだ動かない。鞄の口は、最後に一度、閉じたまま。
フィアの右手が、ベスト型の制服の脇のあたりで、止まる。指先は、自分の腰の方向を、まだ向いている。
廊下の隅の薄い光が、空気の中で、止まる。
廊下の隅の空気の中で、薄い赤の輪郭が、まだ立ち上がったままだった。




