保留
俺は廊下の角の手前から、半歩、前へ動いた。
角の向こう側の声が、もう一度、止まる、ように聞こえた。
廊下の角を、曲がる。
A組の制服の生徒が二人、廊下の壁に背を寄せて立っていた。視線は前方、こちらに向かない、ように見えた。
俺は、A組の制服の脇を、半歩、離れて、通る。
足音が、廊下の薄い光の中で、後ろへ流れる。A組生徒の声は、もう続かない。
F組教室の扉が、廊下の薄い光の中で、いつもの位置にある。
扉の方向へ、足が動いた。
教室の扉を、押す。
教室の中で、F組生徒の数が、揃いつつあったように見えた。
俺の自席は、F組の左から四番目、前から二列目。いつもの位置。
椅子を、引く動作。椅子の足が、床の上で、短く、低く、音を立てる。
俺は、自席に座る。
鞄を、椅子の脇に置いた。鞄の口は、最後に一度、閉じたまま。書いた一行とノートが、鞄の中で、椅子の脇の高さで、止まる。
机の中の、教室用のノートが、机の奥で、いつもの位置に置かれている。鞄の中のノートとは、別のもの。
俺は、机の中のノートを、まだ取り出さない。
フィアは、自席に座っている。袖は、手首まで下りている。背中の輪郭が、いつもの朝と同じ角度で、止まっている。視線は、机の中央のあたりに置かれている、ように見えた。
教室の朝の薄い光が、机の表面で、止まる。
教室の扉が、もう一度、開く音。
F組担任が、教室に入る。足音が、床の上で、いつもの朝より、低い、気がした。
F組担任は、黒板の前ではなく、フィアの席の斜め後ろに立った。
教室の中の F組生徒の目線が、一度、フィアの方へ動いたように見えた。すぐに、机の方へ戻る。
俺の視線も、前のまま。
F組担任の声が、低く、短く、教室の中で響く。
「フィア、面接の時間だ」
フィアが、立ち上がる動作。椅子が、床の上で、もう一度、短く、低く、音を立てる。
袖の動き。ベスト型の制服の、肘から先の腕の輪郭。
フィアが、応答した。
「はい」
声は、低く、短く、聞こえた気がした。
F組担任が、教室の前を抜ける動作。フィアが、続く。
俺は、視線を前に置く。フィアの背中を、見ない。
教室の扉が、閉まる音。
F組メンバーの目線が、もう一度、動いたように見えた。すぐに、机の方へ戻る。
教室の中で、誰も、何も、言わない。
朝の薄い光が、教室の机の表面で、もう一度、止まる。
教科の教師が、教室に入る動作。F組担任とは、別の足音。
黒板に、白い線で、何か、書かれる。文字の輪郭は、俺の位置からは、まだ薄い。
F組メンバーが、机の中のノートを、取り出す動作。机の上で、ペンの音が、二つ、三つ、響く。
俺は、机の中の、教室用のノートを、取り出した。
机の上で、ノートを、開く。教室用のノートの、白い紙の表面が、朝の薄い光の中で、止まる。
ペンを、取る。
書いた一行とノートは、鞄の中で、椅子の脇の高さで、まだ動かない。
教室用のノートに、黒板の文字を、書き写す動作。文字の輪郭は、まだ薄いまま、書ける範囲だけ、書く。
廊下の壁の向こうから、声の縁が、一度、漏れる、ように聞こえた。
フィアと F組担任の声か、別の声かは、俺の位置からは判らない。
フィアの席は、俺の斜め前で、空のままだった。
俺は、教室用のノートに、黒板の文字を、書き続ける。
教室の扉が、もう一度、開く音。
フィアが、教室の入り口に、立っていた。
F組担任は、同行していない。フィアだけが、戻る。
教室の中の F組生徒の目線が、一度、扉の方へ動いたように見えた。すぐに、机の方へ戻る。
俺の視線も、前のまま。
フィアが、教室の入り口から、自席の方向へ、半歩、動く。
視線は、前のまま、こちらに向かないように見えた。
自席の手前で、足が、止まった。
椅子を、引かない。座らない。立ったまま。
視線を、机の中央のあたりへ、落とす。
フィアの机の中央には、何も置かれていない。だが、フィアの目は、机の中央のあたりで、止まったまま、動かない。
俺は、教室用のノートに、ペンを、置いた。ペンの先が、まだ書きかけの文字の上で、止まる。
フィアの足が、自席の手前で、止まったままだった。




