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翌朝、教師棟の掲示板の前に人だかりがあった。
俺は寮を出る時、判断が下ったとは聞いていなかった。だが、人の集まり方で、出たことが判った。
人の隙間から名簿の方を覗いた。最初に動いたのは、F組の側へ向かう視線だった。フィアの名前の右端、昨日まで「再審」と手書きで添えられていた箇所が、別の手で書き直されていた。
「条件付き出場」
インクの色が、周りの印字よりも新しかった。書き手はグレイではなかった。グレイの字はもう少し角ばっている。これは別の教師の字だった。
細かな条件は、午前の廊下の断片で耳に入った。撃てる本数の上限。教師立ち会い。保健室から評価席までの導線が確保されていた。
その三つを、俺は授業の合間に頭の中で並べ直した。フィアは試験場に立てる。俺と同じ試験場に。
その日からの四日、俺とフィアは訓練場で会わなかった。試験前は接続を控える、と二人とも口に出さずに決めていた。フィアは二日休んだあと、F組の教室に戻ってきた。窓際の席に座って、教師の方をまっすぐ見ている。袖は、肘の上まで上げてはいない。手首まで下りていた。
その四日のうちに、俺は自室で fire を試した。
窓を閉めた部屋の中で、いつものように指先の少し先に豆鉄砲を出す。炎は同じ大きさだった。撃ったあとの空気は、いつもなら息で散らすところだった。今夜は息を止めて見ていた。
空気の中に、いつもと違う芯が残った。消えなかった。短いが、空気の中に。
◇
試験前夜。寮の自室。
机の上のノートの隣に、教師棟で受け取った告知の紙が、四日前に置いた角度のまま置いてあった。印章の朱が、ランプの下で色を失わずに残っていた。
俺は椅子から立ち上がった。机の前を一度だけ離れたかった。窓辺に寄った。
火、と頭の中で唱えた。豆鉄砲の fire が、指先の少し先に灯った。蝋燭ほどの炎。三年前から変わらない出力だった。
今夜は、消そうとしなかった。
撃ったあとの空気の中に、薄い芯が残った。前に試した時より、少しだけ長く。輪郭はまだ細い。だが確かに、空気の中で、染み込まずに残っていた。
俺は目を閉じた。閉じても、瞼の裏に芯の残像があった。指先は炎の熱の名残を、まだ少しだけ持っていた。
目を開けた。芯はもう消えていた。空気はもとの空気に戻っていた。
窓の外は夜だった。風の音は今夜も同じ方角から来ていた。銀色は、今夜も見えなかった。
俺は窓辺から机に戻った。椅子に座った。ノートを開いた。
◇
昨日のページに、「揺らぎ」と「消そうとせず、残す」が並んでいた。その下の白い行が、昨夜と同じ位置で、まだ白いまま待っていた。
俺はペンを取った。指先の重さは昨日と同じだった。インクは机の端の壺に新しく足してあった。
書きかけたのは、グレイの記録盤に向けた言葉ではなかった。フィアへ向けた言葉だった。
「明日も書かない」
書いてから、ペンを浮かせて見た。
自分の行動の宣言だった。フィアへの言葉ではなかった。
線を引いて消した。一本だった。まっすぐな線だった。
「お前のものだ」
書いてから、また見た。
あの夜に返せなかった答えに近かった。だが、短すぎた。
線を引いて消した。今度の線は、最初の線と平行に引いた。
白い行はまだ残っていた。ペン先が、紙の上でわずかに止まった。
「揺らぎを、消そうとしないで」
書いてから、しばらく見た。
昨日、自分のノートに置いた語だった。今夜初めて、それをフィアへ向ける。
俺はペンを止めた。線は、引かなかった。
その一行を、ノートの三行目として、残した。
◇
ノートの白いページの上に、三行が並んだ。
「揺らぎ」
「消そうとせず、残す」
「揺らぎを、消そうとしないで」
最初の二行のあとに、三行目だけが向きを変えて残った。
その紙を、明日フィアに渡すかどうかは、まだ決めていなかった。だが、渡せる形にはなった。
ペンを置いた。机の端で、軽い音がする。インク壺の蓋を閉めた。
椅子をうしろに引いた。床の木がわずかに鳴った。立ち上がって、ノートのページの角を一度だけ撫でた。
ランプを消す前に、机の端の告知の紙にもう一度目をやった。印章の朱が、ランプの下で四日経ってもまだ赤かった。明日、これを鞄に入れて持っていく。
ランプを消した。芯の先の赤が、すっと暗くなった。部屋の輪郭が、外の夜の方へ一段ずつ譲られていった。
机の上の三行は、闇の中で、もう見えなかった。だが、書いたという事実だけは、闇の上に薄く残っていた。
窓の外は夜だった。銀色は今夜も見えなかった。
俺は布団に入った。明日、試験場で起きることはまだ判らない。だが、書いた一行は、闇の中の机の上に、確かに残っていた。




