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告知

 朝、俺は教師棟へ向かって歩いた。グレイの「明日も来い」を、足の方が覚えていた。寮を出た時の空気は、昨日の夜と同じ方角から来ていた。冷たい。


 教師棟の廊下は人がまばらだった。授業開始までまだ時間があった。


 記録室の扉を押した。木が昨日と同じ重さだった。


 古い机が三つ。扉のすぐ脇のランプ。机の上の記録盤の束は、昨日より一枚だけ上に積み上がっていた。


 グレイが奥の椅子に座っていた。昨日と同じ位置だった。俺が入ってきたのを、視線だけで受けた。


 新しい記録盤を抜く動きはしない。代わりに、束の中から一枚を取り出した。昨日の俺が書いた頁だった。それを机の上に置いて、俺の方へ少しだけ滑らせた。


 俺はそれを見た。


 自分が書いた「現象」の文字があった。その下に、昨日書いた短い記録が並んでいた。


 その一箇所に、赤い線が引かれていた。


「フィアが膝を折った」の横だった。


 線は短かった。まっすぐな一本だった。


 いつ引かれたかは分からなかった。帰り道のあとか、今朝早くか。昨日「その場では読まなかった」頁を、グレイは読んでいた。


 俺はそのまま立っていた。グレイも黙っていた。赤い線はそこにあるだけだった。





 グレイは机の右手の引き出しを引いた。中から一枚の紙を抜いて、記録盤の束のすぐ隣に置いた。


 印刷された書類だった。右上に学院の印章が押してあった。


「公開試験 実施告知」


 見出しの字が、他の文字より一回り大きかった。


 日時は五日後。会場は中央演武場。評価はA組とF組の合同、外部評価者が立ち会う、とあった。


 俺は文字を一つずつ追った。


 A組の名簿が左にある。F組の名簿が右にあった。F組の側に、自分の名前があった。確定の欄に印がついていた。


 左に目を戻した。A組の七番目に、エルナの名前があった。


「フィアは出せない可能性がある」


 グレイが初めて、告知以外の一言を加えた。


「昨日の件で、出場資格が議題に上がっている。判断は今日の午後だ」


 俺はF組の名簿に目を戻した。


 フィアの名前は、そこにある。消されていなかった。その行の右端に、小さく「再審」と書かれていた。印刷の文字より細い、手書きのインクだった。


 フィアの名前だけが、決まった名簿の中で止められていた。


「持って帰れ」


 グレイはそれだけ言った。机の上の記録盤を、束の上に戻そうとはしなかった。昨日の頁も、机の上に残したままだった。


 俺は紙を受け取った。印章のある側を下にして、持った。記録盤は受け取らなかった。


 立ち上がって、頷いて、部屋を出た。扉が閉まる時、奥の椅子のグレイの影は、昨日と同じ位置に座ったままだった。





 午前の授業は、いつも通りだった。いつも通りであることが、今日の俺には奇妙だった。


 黒板の字が増える。ノートに写した。指は動いた。鞄の中には、さっき受け取ったばかりの告知の紙が、折らずに収まっていた。


 昼休み、食堂のF組の机を見た。フィアの席は空だった。向かいの生徒も、両隣の生徒も、その席については何も言わなかった。


 俺はパンを一つだけ鞄に押し込んで、外に出た。


 並木道に入った。誰もいない。エルナの姿も、フィアの姿もなかった。灯はまだ灯っていない時間だった。石畳の上に、枝の影だけが短く落ちていた。


 午後の授業に戻った。


 窓の外で、教師棟の方向に教師が何人か集まっているのが見えた。人が入ったあと、しばらく出てこなかった。


 授業は、俺の知らない速度で進んでいった。終業のベルが鳴るまで、俺は一度も手を挙げなかった。


 放課後、廊下を歩いていた。別のF組の生徒たちが、窓際で立ち話をしているのが聞こえた。


「フィア、保留になったらしいぞ」


「保留?」


「出るか、出ないか、まだ決まってない。今週中にまた判断するって」


 俺は足を止めずに、その横を抜けた。二人の会話は、俺の背中の後ろで続いていた。





 夜、寮の自室に戻った。ランプに火を入れた。芯の先に赤が灯って、机の上の紙が浮かび上がった。


 鞄から告知の紙を抜いて、机の端に置いた。印章の朱が、ランプの下でもう一度見えた。


 ノートを開いた。昨日のページには、「揺らぎ」と「消そうとせず、残す」が並んでいた。その下に、まだ白い行があった。


 ペンを取った。指に持った重さは、昨日と同じだった。


 書きかけた一行は、たぶんこうだった。


「フィアが同じ試験場にいない可能性がある」


 ペン先が紙に触れる前に、手が止まった。


 このまま書けないままにしておくのは、昨日書いた「消そうとせず、残す」の反対方向だった。


 もう一度、ペン先を紙に落とそうとした。指が動かなかった。ペンの先が白紙の上で、わずかに宙に浮いたまま止まっていた。


 俺はペンを置いた。机の端で、ペンが軽い音を立てた。


 ランプは消さなかった。


 窓の外は夜だった。風の音は昨夜と同じ方角から来ていた。銀色は、今夜も見えなかった。


 フィアの判断が今週のどこで下りるか、まだ誰も知らなかった。


 俺は椅子から立たなかった。白紙の行を、しばらく見ていた。


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