ページ
寮の机にランプを置いた。
放課後の訓練場は、短く終えた。フィアが撃ち、当たった。修正はまだ残っている。花びらは昨日より薄かった。二人とも多くは話さず、夕方前に別れた。
鞄から本を出した。《揺らぎの術——古代書の断片》。革装は乾いていて、表紙の金文字は擦れている。薄いのに、重い。
ページを開く。古い綴りだ。現代の綴りに直しながらなら、読める。
最初のページに、手書きの献呈があった。
「我が師の問いに答えるため」
誰の師かは書かれていない。日付は百年以上前だ。持ち主も書き手も、もう生きていないはずだ。
栞を挟まず、最初から順に読んだ。
◇
章立ては三つあった。
一:「同じ術、違う結果」
二:「魔力痕の観測法」
三:「揺らぎの源」
一章には、古い観測記録があった。同じ火球の呪文を、同じ訓練年数の術士十人に唱えさせる。結果は十個とも違った。色、歪み、軌道。違うのは術者だけだった。
書き手は最初、技術差だと思った。訓練すれば揃うと考えた。だが揃わなかった。熟練しても残る差がある。
二章では、その差の観測法が書かれていた。炎の芯の周りに、ごく薄い色がにじむ。その配置が術者ごとに違う。書き手はそれを「魔力痕」と呼んだ。
魔力痕は、花のような配置、渦のような配置、点のような配置をとる。共通しているのは一つだけ。
術式の「書いていない場所」に出る。
指が止まった。
空白だ。エルナの言葉と同じ場所だ。本は、その言葉よりずっと古い。
◇
三章は短かった。でも結論だけが、まっすぐ書いてあった。
「術者は、術式を唱える時、書いていないものも一緒に出している」
「書いていないものは、術者自身から出ている。意識していなくても、呪文に混ざる」
「揺らぎは欠陥ではない。術式の裏に、術者が滲んでいる。滲みこそが、もう一つの出力経路である」
そのページで止まった。
フィアの花びらが頭に浮かぶ。濃くなる花びら。空中に残る花びら。その両方が、修正で一度に引き出される。
修正は、書き込みではなかったのかもしれない。フィアの中から、フィア自身の何かが出やすくなるだけだったのかもしれない。
自分の呪文の記憶も探った。最初の「fire」。豆鉄砲の火球。あれにも、毎回微妙なにじみがあった。同じ文字列でも、毎回少しずつ違った、あの揺れ。
欠陥ではなかった、と本は言っている。もう一つの出力経路だ、と。
「コード」「バグ」「修正」で整理してきた前提が、底から音を立てた。代わりの言葉はまだない。ただ、底が抜けた感覚だけが残った。
◇
最後のページを開いた。
印刷の最終行の下、余白に、別の筆跡で一行だけ書いてあった。
インクの色が違う。印刷より後に、書き込まれたものだ。
「花弁ハ其ノ証也」
古い書き方だが、読める。花弁は、その証である。
何の証かは書かれていない。でも、文脈は十分だ。揺らぎの証。術者が滲んだ、その証。
フィアの花びらが、頭のなかで重なった。
本を閉じた。ランプは消さなかった。
ノートを開く。今日のページに何か書こうとして、止まった。
問いが多すぎて、どれから書けばいいのか選べない。フィアに何と言うべきかも、まだ判らない。
ペンを置いた。今夜はまだ、書けない。
窓の外は夜で、風の音がする。銀色は見えない。




