表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

PR
29/47

書架

 昼休みに入った。食堂へは行かなかった。


 修正はまだ残っている。朝、廊下ですれ違ったフィアは、袖を肘まで上げたままだった。何も言わなかった。俺も言わなかった。


 昨日の「前からたまにあった」は、まだ二人の間に置かれている。


 触れ方が分からないまま、図書館へ向かった。


 知りたいのは「術式の空白」だ。避けるように教わる場所なら、その理由がどこかに書かれているはずだった。


 この建物を、目的を持って使うのは初めてに近い。入口で一度、足が止まる。棚の並びを確かめる。入門書、上級教本、古書、禁架書。


 禁架書は鍵がかかっている。


 古書の棚へ向かった。背表紙の金文字は擦れて読みづらい。古いだけで、死んだ棚ではない。誰かは使っている気配がある。


 「空白」の一語だけを頭に残したまま、奥へ入った。





 奥の書架、そのさらに奥。窓の光が届かない場所。


 そこにエルナがいた。


 低い踏み台に腰を下ろし、本を読んでいる。銀髪が蝋燭の火を拾って、白く見える。


 足を止めた。五メートル。気づかれていない、と思った瞬間、エルナが顔を上げた。


 見られていた、と判る。


 近づいた。二メートルまで来て、膝の上の本の題が読めた。


 《固定詠唱外の魔力痕》


 固定詠唱。授業で習った言葉だ。スキルの、固定された側。その外にある魔力痕。


 エルナが口を開く。


「読みたいの?」


 問いではあった。でも、俺がここに来た理由をもう知っている声だった。


「……読む」


 短く答えた。否定する意味はなかった。


 エルナはそれ以上聞かない。


 聞かないまま、立ち上がる。





 エルナは自分の本を静かに閉じた。


 ページを折らない。指を挟み、栞を差してから閉じる。本の扱いに迷いがない。


 その本を元の棚に戻した。


 俺が見ていた《固定詠唱外の魔力痕》ではない。


 エルナは隣の棚へ移る。指が背表紙を三冊ぶん滑って止まる。そこから一冊を抜いた。薄い革装の本だ。金文字はほとんど消えている。


「ここに置く」


 通路の途中の机に、本を置いた。俺との間に机を挟む位置だった。


 それ以上は説明しない。そのまま去る。


 横を通り過ぎる時、一度だけ目が合った。何も言わない。言わないこと自体が、意図に見えた。


 銀髪が書架の奥に消える。


 机に近づいた。置かれた本の題を見る。


 《揺らぎの術——古代書の断片》


 「揺らぎ」という語を、俺は初めて文字で見た。まだ意味はない。でも、見た瞬間に、花びらや空白とは別の層の言葉だと判った。


 答えを渡された感じはしない。


 入口だけが置かれた感じだった。





 本を手に取った。重い。薄いのに、重い。革が乾いている。


 最初のページを開いた。古い綴りだ。三行だけ読んで、読めると判った。ここでは読まない。寮に持ち帰る。


 貸出の記録を書こうとして、手が止まった。貸出カードがない。本来あるはずの差し込みの場所だけが、空だった。


 誰も借りていないのか。学院の蔵書ではないのか。判らない。ただ、記録の外にある本だと感じた。


 司書の前を通った。司書は顔を上げたが、何も言わなかった。本の題も確認しない。


 図書館を出た。昼休みの終わりのベルが鳴っている。


 鞄の中に、《揺らぎの術——古代書の断片》が入っている。


 重さが肩に伝わってきた。


 答えの重さではない。


 まだ名前を持たない、別の前提の重さだった。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ