残像
訓練場に入ると、フィアがもういた。
昨日触れた位置で立っている。袖は肘の上まで上がったままだった。待つために上げたというより、そのままにしてきた感じだった。
フィアは俺を見た。何も言わない。
頭の中では、朝の声がまだ動いていた。
止めたら?
一秒だけ、指が遅れた。
でも止めなかった。今日止めたら、あの言葉に従ったことになる。それより、言葉の意味を確かめたかった。
近づいた。肘の内側に触れた。昨日より熱い気がした。脈が近い。近すぎて、どちらの脈なのか判らない。
フィアは引かない。
俺も、手を離さない。
◇
修正を書いた。昨日と同じ文字列、同じ位置、同じ深さ。
「撃って」
フィアが離れた。袖は上がったままだ。
一発目。
炎が走った。中心に当たった。五つ目の焦げ跡が重なる。そこまでは想定内だった。
その後だった。
的の手前、炎が通った空間に、花びらの色だけが残った。
一拍遅れて見えた。熱の残像じゃない。花びらの形で、そこにある。薄い。でも、確かに居る。
一枚、二枚、三枚。散り方が不規則だ。真ん中から均等に開いていない。どこか偏っている。
それから消えた。
フィアは的を見ていなかった。的の手前の空中を見ていた。
二人の声が、ほとんど同時に出る。
「今の」
「残った」
同じ場所を見て、同じ一拍を数えていた。
その一致の方が、焦げ跡より先に残った。
◇
フィアが壁から離れて、俺の前に来た。距離が近い。袖はまだ上がっている。
「あの、ね」
俺は黙って待った。
「前からたまに、あった」
頭の中でノートのページがめくれた。花びらは修正の後に出る現象として記録してきた。修正が原因だと思っていた。
「いつから?」
「判らない。もっと前。たぶん、九歳くらいから」
「誰かに言ったことは?」
「ない。あたしだけが見えてるのかと思ってた」
沈黙があった。
フィアの目が少し落ちる。袖の縁に触れる指が、かすかに動く。戻そうとしたのか、そのままにしようとしたのか、分からない。
仮説の順番が入れ替わる。
花びらは修正で発生したのではない。フィアの中に元からあった。修正で濃くなったり、残ったりするだけだ。
そうなると、俺がやっていたことの意味も変わる。書き込んで直したのではなく、元からあった何かが通るようにしただけかもしれない。
「俺のノートには、副産物として書いてあった」
「違うと思う」
フィアは即答ではなく、確かめるように言った。
「あたしが覚えてる限りでは、前から」
前から。
その三文字で、これまでの記録の並びが崩れる。
◇
寮に戻ってノートを開いた。
昨日の仮説の下に、今日のページを開く。
「花びらは修正の副産物ではない」
「花びらはフィアに元からある」
「修正は書き込みではなく、通り道の拡張かもしれない」
書いている間、背中が冷えた。細部の訂正ではなかった。これまでの理解の根を、直している。
最後に一行書いた。
「エルナ——見えるのか」
花びらの記述の下に置いた。同じページに置いた理由は、言葉にできない。でも、今日はそこに並べるしかなかった。
ノートを閉じる。
朝の「止めたら?」は、まだ消えていない。
あの言葉は警告だったのか、確認だったのか、まだ判らない。




