接続
訓練場にフィアがいた。壁に寄りかかって腕を組んでいる。他のF組はとっくに帰っていて、訓練場には二人しかいない。焦げた的の匂いがまだ残っている。
「遅い」
「課題が終わってからだ」
「さっさとやんなさいよ。あんたが何したいのか知らないけど、あたしは別にどうでもいいから」
どうでもいい、と言いながら授業が終わるまで待っていた女だ。
「撃ってくれ。撃つ瞬間に手首を掴む」
「......気持ち悪いこと言わないでくれる?」
口ではそう言ったが、フィアが腕をほどいた。前に伸ばす。制服の袖が少しめくれて、白い手首が出た。金色の目がこちらを見ている。
「やるならさっさとやって」
◇
「フレア!」
フィアが叫んだ瞬間、手首を掴んだ。
熱い。脈が指の腹に直接当たる。目を閉じる。
ターミナルに文字が流れ込んできた。
外から見ていたノイズとはまるで違う。壁がなくなっていた。昨日まで向こう側で聞こえていた気配が、剥き出しになっている。読める文字列が目の前にある。上から下に何かが流れている。段になっている。一段ずつ処理が進むような、そういう形をしている。
途中に何もない場所があった。他は全部埋まっているのに、そこだけ空白。ぽっかり抜けている。空白の縁から何かが外に漏れ出していて、漏れた分だけ方向がなくなって全方位に散る。これが暴発の原因だと直感した。
空白に一行だけ足してみた。方向。前方。他の部分は怖くて触れない。何をしているのか、自分でも半分しかわかっていない。指先が震えた。他人の魔法の中に文字を書き込むなんて、前の人生にもこの人生にも経験がない。
「もう一発撃て」
「は? まだ手ぇ握ってるんだけど」
「握ったまま撃て」
フィアが舌打ちした。
「フレア!」
掌サイズの高温球が一直線に飛んで、的の中心を焼き抜いた。的の裏側まで熱が通って、焦げた匂いが広がった。風が止まっていた。
訓練場が静まった。焦げ跡から煙が一筋、まっすぐ上に昇っている。昨日まで壁に穴を開けるだけだったフィアの火が、今日は的の真ん中に吸い込まれた。穴ではない。焦げ跡だ。狙った場所に、狙った大きさで、焼き抜いた。
◇
手首を掴んでいる間、文字列とは別のものが流れ込んでいた。速い拍動。指先の湿り。フィアのものだ。つないだ手のひらを通して、体の中まで入り込んでいるような感覚がある。なぜこんなものが伝わってくるのかはわからない。
フィアの呼吸が乱れていた。肩が上下している。手首を掴まれた瞬間に何かが体の奥を通り抜けたような顔をしている。目が少し見開かれたまま、自分の掌を見つめていた。開いて、閉じて、もう一度開く。本人にも何が起きたかわかっていない。
手を離した。指先が痺れている。ほんの数秒だったはずだが、もっと長い時間つながっていたような感覚が残っている。掴んでいた手首の温度が、まだ指の腹に残っていた。
後ろでざわついている。何人か残っていたらしい。
「今の、フィアがやったのか」
「あいつが手首掴んでた。何したんだよ」
グレイが記録盤に何か書いて、こちらを一度だけ見た。
◇
訓練場の出口で足音が追いかけてきた。
「ちょっと」
振り返るとフィアがいた。腕を組んではいるが、さっきほど力が入っていない。
「今、あんた、あたしの魔法の中に何かしたでしょ」
「空白を見つけた。方向を一行足した」
「勝手に。触っていいとは言ったけど、中身いじっていいなんて聞いてない」
声が低い。目が据わっている。
「お前の魔法の中に空いてる場所があった。そこに方向だけ書き足した。それだけだ」
「魔法の中身を覗いたり変えたりなんて聞いたことない。何であんたにそんなことできんのよ」
答えられなかった。俺にもわからない。手首を掴んで目を閉じたら見えた。それだけだ。
フィアの目が揺れた。怒りとは違う何かが混じっている。自分の魔法を他人に触られた。この世界で誰にもできないはずのことをされた。その意味をまだ飲み込めていない顔だった。
視線が落ちる。袖口を掴む指に力が入っている。
「あれ、ちゃんとあたしの魔法だった。まっすぐ飛んだの、初めてだった」
声が小さくなっていた。さっき怒っていた女と同じ声帯から出ているとは思えない。
「もう一回やれんの、あれ」
「やってみないとわからない」
フィアが踵を返した。三歩歩いて、振り向かずに言った。
「明日も来なさいよ。次は先に言って、何するか」
命令形だった。頼んでいるのに命令形にしか変換できない女。
足音が遠ざかっていく。訓練場の出口に夕日が差していて、フィアの影が長く伸びていた。さっき掴んでいた手首の感触がまだ残っている。脈と、湿りと、熱。
あのワークフローの中身を、もっと見たい。




