温度
四日目だった。
フィアは的の正面に立っていた。壁に寄りかかっていない。腕も組んでいない。両腕を下げて、的だけを見ている。
俺は荷物を下ろして、床に座った。フィアは振り返らなかった。
右手が上がる。呪文が短く出る。火球が走り、的の左端に当たって散った。
フィアは腕を下ろした。
また上げる。撃った。今度は右端だ。
下ろした。また上げた。撃った。中央より二十センチ上。
三発とも壁に刻まれた。的の中心には何もない。フィアは腕を下ろして、動かなくなった。俺は何も言わなかった。言うべきことが見当たらなかった。
◇
しばらく経って、フィアが袖に手をかけた。
右の袖口を掴んで、ゆっくりと肘のほうへ引き上げる。手首が出た。細い。煤が少し残っている。さらに引き上げて、前腕の半ばまで。
フィアは俺のほうを向かなかった。壁を見たまま、右手のひらを上に向けて、肘を軽く曲げた。差し出すような格好だった。
差し出している。自分から。
俺は立った。フィアの横に並んで、その手のひらを見た。細い指。節のしっかりした関節。手相の線が三本、ほぼ平行に走っている。
触れた。
指先が皮膚に当たった瞬間、熱が来た。
フィアの体温だと頭では分かっている。分かっているが、それより先に感覚が来た。思っていたより、温かい。思っていたより、というのが正確かどうかも分からない。比べる記憶がない。ただ温かい。指先から手のひら全体に、その温度が広がっていく。
ターミナルが開いた。
◇
だが最初に来たのは術式ではなかった。
温度だ。さっきの熱が、まだ指にある。ターミナルの入力画面が展開しているのに、俺の意識は先にそこにいた。
少し間を置いて、意識を画面に戻した。
術式が流れてくる。フィアの魔法制御の構造が展開される。四層の論理がある。入力処理は正確だ。パラメータも揃っている。問題は実行層の末尾に近いところにある。方向の補正値が、ほんのわずか、毎回同じ方角にずれている。
見ていると、術式の中に何かがある。
いつもと同じように見えるのに、違う。花びらのような模様がある。それは前回も見た。だが今日の模様は、前とは違う角度で広がっているような気がした。広がり方が、違う。
見えているのか、見たいから見えているのかが分からない。
俺は術式の修正点に指を置いた。方向を一点三度。着弾点を中央に引き寄せる補正。同じ式だ。一週間前に書いたのと同じ文字を、同じ順序で書く。
フィアの指先が少し動いた。小さく震えたというより、力が入ったというより、呼吸が来たような動きだった。
◇
「撃て」
俺は言った。フィアは前を向いたまま頷かなかった。でも手のひらが、少しだけ俺の指に押し返すように動いた。
手を離す。フィアが腕を正面に向ける。
呪文が出た。
火球が走った。
的の中心に当たった。
散った。
八日ぶりだ。一週間前、最初の修正で当たって、それ以来ずっと当たらなかった。今日また、中心に当たった。
フィアは動かなかった。腕を下ろさなかった。的の中心にできた焦げ跡を、正面から見ている。浅い呼吸が聞こえる。前の日と呼吸の速さが違う。前の日というより、さっき撃った三発と違う。
俺も動かなかった。
長い沈黙があった。
「前と、違う」
フィアが言った。壁を見たまま。俺のほうは向いていない。
俺は何も答えない。答え方が分からなかった。何が違うのかを聞けなかった。聞けば、今あるものが別の形になりそうだった。
的の焦げ跡が壁にある。中心に、新しい跡がある。
指先にまだ温度が残っていた。




