顔
ノートを広げた。
フィアの名前が四ページ分ある。来た日、来なかった日。着弾の位置。手首に袖を引き下ろした回数を数えてある。数字と方角と「不在」の文字だけが並んでいる。ノートを閉じた。訓練場に向かった。
◇
フィアがいた。
いつもと同じ場所に、いつもと同じ姿勢で壁に寄りかかっている。腕を組んで、袖を引き下ろして、的のほうも俺のほうも見ていない。
荷物を床に置くあいだ、ターミナルに指が伸びかけた。入力フォームを開けば、距離が測れる。角度が出る。風速も計算できる。数字に変換してしまえば、対処できる気がした。
手が止まった。握らなかった。
ゆっくりと、顔を上げる。ターミナルを介さずに、フィアを見た。
金髪は今日も肩の上にある。日光を受けて、先のほうだけ薄く透けている。目はつり上がっている。目尻から頬にかけて、昨日の練習でついた煤の跡がうっすら残っている。袖を掴んでいる指が、布の端を内側に折り込もうとしている。成功していない。
来た。
昨日「来る」と言って、今日来た。そのことが胸の奥で引っかかった。
フィアが壁に寄りかかったまま、こちらを見た。
◇
「何見てるの」
フィアの声は低かった。警戒しているというより、単純に問うている声だった。
俺は答えを探した。ターミナルを開いていない。フィアの着弾精度のことも、軌道補正のことも、今は浮かんでいない。見えているのは、壁と、金髪と、煤の残った頬だけだ。
「お前の顔」
言葉が出た。
フィアが微かに動いた。腕の組み方が変わった。崩れたというより、止まった。
沈黙がある。風が訓練場の外で木の枝を揺らす音が聞こえる。フィアはまだこちらを見ている。目が逸れない。
赤い。頬ではない。耳だ。金髪の端から覗く耳が、じわりと色づいている。
フィアは口を開かなかった。俺も開かなかった。その先は何もない。言い訳も補足も思いつかない。ただ見ていたから、そう言った。
壁から背中を離す気配がした。出ていくと思った。
フィアは出ていかなかった。
腕を組み直して、また壁に背中をつけた。さっきとほぼ同じ位置だ。目は的に向いている。耳の赤みはまだ残っている。
何か言うべきか考える。何も浮かばなかった。俺も的の方を向いて、右手を上げた。呪文を口に出す前に、もう一度だけフィアのほうを見る。
フィアは見ていなかった。壁の焦げ跡を、静かに見ている。
◇
訓練が終わっても、二人とも動かなかった。
的には俺の着弾跡が三つある。フィアは今日、一発も撃っていない。俺はそのことを口にしなかった。
風がまた吹いた。石の床に砂が転がる音が聞こえる。
「明日も来る」
フィアが言った。昨日と同じ言葉だ。でも声が違う。昨日は宣言だった。今日のは、もう少し低くて、少し速い。自分に言い聞かせているような、急いで口から出してしまいたいような声だった。
俺は何も答えなかった。何か言えば、今あるものまで別の形になりそうだった。
明日も来ようと思った。ターミナルを開かずに。




