穴
音が先だった。
バン、という破裂音ではなかった。石が割れる、鈍い炸裂音。訓練場の端に立っていた生徒が全員振り返った。フィアの撃ったフレアが壁に穴を開けていた。直径三十センチほど。縁から石屑が崩れ落ちている。
的ではなく、壁だった。三年前と同じ場所。
フィアは手を下ろして、穴を見ていた。振り返らなかった。教師が駆け寄る。何か言葉を交わしている。周囲がざわつく。
俺が最初に考えたのは、四日前に書いた修正が完全に消えたということだった。
◇
放課後のF組訓練場に、フィアは来なかった。
昨日も来なかった。二日目だ。
的に向けてfireを撃った。豆鉄砲が的の中心を焦がす。焦げ跡の中に、花びらが見えた。着弾の瞬間だけ現れて、すぐに消える。白い薄片が二枚、三枚、くるくると舞って的の表面から離れていく。
ノートを開いた。今日の日付を書いて、「自fire。花びら確認」。ペンが走る。書いている間に花びらの残像が薄れていく。
もう一発撃って、花びらを目で追う。一、二、三で消えた。ノートに「3」と書く。次の一発は四まで残って消える。「4」と書く。その次は三で消えた。次は四。その次もまた三で消える。
「3、4、3、4、3」。ノートの数字を見る。揃わない。同じ距離で、同じ的に、同じfireを撃っている。なのに花びらが消えるまでの時間は毎回違う。
ペンの先が紙の上で止まる。壁に開いた穴のことが浮かんだ。朝あの穴が開いたとき、フィアは的を狙っていたのか。狙っていなかったのか。俺に見えるのは、焦げ跡の数字だけだ。
◇
帰り支度をしていたら、背後に足音がした。
「記録、見せてもらっていいか」
グレイだった。記録盤を抱えている。革製の表紙が擦り切れている。相当使い込んでいる。
「何の記録だ?」
「フィアの着弾記録。今年の分は全部つけてある」
俺は手を止めた。グレイの表情は動かなかった。ただ確かめに来ただけの顔だった。
「なんで?」
「面白かったからだ」
グレイは記録盤を開いた。びっしりと数字と図が並んでいる。
「入学直後は的中率70%だった。一ヶ月で90%を超えた。三ヶ月で着弾精度が学年トップになった。それが先週から崩れた」
グレイが盤面を傾けて見せた。グラフではなく、座標と日付の羅列だ。先週以降の列だけ、中心から外れた数値が続いている。
「今日は壁に穴が開いた」とグレイは言った。「三年前に同じことがあったらしい。入学前の話だから俺は直接知らないが」
「どこで聞いた」
「本人から。一度だけ話してくれた」
俺はグレイの記録盤を見た。日付の並びをなぞる。四日前の欄だけ、他より字が雑だった。何かを急いで書いたような跡がある。
「お前、何かしてたんじゃないのか。フィアに」
答えなかった。
グレイは特に追及するような目つきをしなかった。ただ事実を並べているだけの目だ。
「フィアが壁に穴開けた時、お前は最初に何考えた?」
俺は口を開こうとして、止まった。
朝の炸裂音が耳に残っている。縁から石屑が崩れ落ちた。フィアが手を下ろしていた。振り返らなかった背中。
最初に浮かんだのは、修正の消失だった。96時間という数字だった。
それを口にしかけて、止まった。その答えでは、どこかを飛ばしている気がした。何を飛ばしたのかは、まだ言えなかった。
「……わからない」
グレイは何も言わなかった。記録盤を閉じた。「そうか」とだけ言って、先に訓練場を出ていった。
◇
寮の自室でノートを開いた。
今日の日付の下に、修正消失、花びら着弾後三〜四秒、条件不明、フィア不在二日目、と書いた。
ペンを持ったまま止まった。
修正を書いた日からここまで、十数ページにわたって書いてある。花びらが出た条件と出なかった条件。ガドとエルナも記録してある。接続仮説とその崩壊。修正の効果時間。
フィアの名前も何度もある。着弾の位置を記した。手首を隠した日。来なかった日。
だが、どのページをめくっても顔がない。俺は一度も、フィアの顔を書いていなかった。




