読む
放課後。F組訓練場。フィアが壁に寄りかかっている。
俺が近づくと、フィアの右手が動いた。手のひらを上に向けて、前に出す。昨日と同じだ。もう躊躇がない。指が開いている。視線は横を向いているが、手は迷っていない。
今日は書かない。
指先をフィアの手のひらに置いた。掌の温度が指の腹に伝わってくる。目を閉じた。
ターミナルにコードが広がった。手のひら接触の鮮明さ。文字が大きく、段の間隔が広い。修正の跡がまだ残っている。方向も着弾点も、昨日書き直したものがはっきり読める。
だが今日は修正に触らない。空白の縁に目を向けた。
花びらの模様があった。昨日と同じ場所にある。薄い色で、細くて、修正の文字とは質感が違う。だが形が——昨日と違う。花びらの先端が少しだけ長くなっている。縁に沿って、ゆっくり動いているように見える。
修正の跡は動かない。俺が書いた方向指定も着弾点指定も、消えるまでその場にある。黒い文字が並んでいる。動かない。だがこの花びら模様は違う。昨日と今日で形が変わっている。縁に沿って、ほんの少しずつ移動している。生きているように。俺が書いたものは死んだ文字だ。これは生きた模様だ。
指先に熱が溜まってきた。フィアの手のひらから流れてくるものだ。接続しているだけで、何かが通っている。俺は何も書いていない。方向も着弾点も今日は触っていない。ただ読んでいるだけだ。
フィアの呼吸が深くなっている。
「......っ、は」
吐息が漏れた。昨日と同じ、低く押し出された呼気だ。修正を書いた時と同じ反応。だが今日は修正を書いていない。ただ手のひらに触れて、中を読んでいるだけだ。
フィアの肩の力が抜けていく。壁にもたれる体重が増える。目を閉じている。唇が少し開いている。
読んでいるだけで、体に来ている。接触自体が何かを通している。修正を書く時は、俺が一方的にフィアの中に文字を入れていた。今は何も入れていない。だがフィアの体が反応している。流れているのは俺からフィアへの一方向ではない。フィアの中のものが、手のひらを通して俺にも来ている。
◇
手を離した。フィアが壁にもたれたまま、目を開けた。呼吸がゆっくりになっている。頬に色が戻っている。
「撃つか」
「......うん」
うなずき方が柔らかかった。前を向いた。
「フレア!」
的の中心を焼き抜いた。花びらは混じらなかった。
フィアが的の焦げ跡を見ている。それから、こちらを向いた。金色の目が何かを探っている。
「ねえ」
「何だ」
「今日、何もしてないでしょ」
間が空いた。
「修正は書いてない。読んでただけだ」
「読むって何。あたしの中、見てただけってこと?」
「ああ」
フィアの耳が赤くなっていく。首まで赤い。視線が外れた。袖を引っ張る仕草。だが手のひらは隠さなかった。
「......見てただけで、あたしあんな声出したの」
声がかすれていた。怒っているのか。恥ずかしいのか。レンには読めなかった。だがフィアの指が、さっきまで差し出していた手のひらを、もう片方の手で握り込んでいた。
「明日は書く。修正も書き直す」
フィアが黙った。数秒。
「......勝手にすれば」
声が震えていなかった。だが耳の赤さは消えていない。袖を引き下ろして手首を隠す仕草をしかけて、途中でやめた。手のひらが見えたまま、壁に背中をつけている。
◇
部屋でノートを開いた。
「花びら模様は動いている。昨日と形が違った。修正の跡は固定。模様は流動。生きているように変わる」
その下に書いた。「修正を書かなくても接触だけで体に来る。接触が通しているものは修正とは別のレイヤー」
ペンが止まった。
修正は俺が書くものだ。接触はフィアが受け入れるものだ。花びら模様はフィアの中にもともとあったものだ。三つとも別のものなのに、全部が手のひらの上で重なっている。
フィアの手のひらを握り込んでいた指が浮かんだ。見てただけで声が出た。恥ずかしかったのか。それとも別の何かか。
明日は修正を書く。だが読むことも、やめられない。




