手のひら
放課後。F組訓練場にフィアがいた。
壁に寄りかかっている。腕を組んでいない。手首が見えている。ここ数日と同じだ。
近づいた。いつものように手首を掴もうと、手を伸ばした。
フィアの手が動いた。
手首を引いたのではない。袖を引き上げた。右手を前に出した。手のひらが上を向いている。指が開いている。
「......やんなさいよ」
声が小さかった。こちらを見ていない。視線が横を向いている。耳が赤い。命令形だ。だが手のひらが上を向いている。掴めとは言っていない。ここに触れと言っている。
指先をフィアの手のひらに置いた。
手首とは違う。掌の肌は柔らかい。手首は骨と筋の上だった。ここは肉の上だ。脈は遠い。だが手のひらの温度が指の腹に直接伝わってくる。手首の時より、熱い。
◇
目を閉じた。ターミナルにコードが広がった。
同じ構造だ。上から下に処理が流れている。段になっている。空白がある。修正の跡もある。手首の時と変わらない——と思った。
違った。
文字が大きい。段の間隔が広い。手首の時は壁越しのガラスを通して読んでいるような鮮明さだった。今は、ガラスがない。部屋の中に立っているような感覚。文字がそのまま目の前にある。
空白が見える。方向を書いた場所。着弾点を書いた場所。二日前の修正の跡がまだ残っている。その全部が、手首の時より大きく見える。
だがそれだけではない。空白の縁に、今まで見えなかったものがあった。
薄い色の模様が空白の縁を囲んでいる。花びらのような形をしている。細くて、淡くて、手首の時には見えなかった。俺が書いたものではない。修正の跡とは質感が違う。俺の文字は黒い。これは色がある。色のある文字を書いた覚えはない。最初からここにあったのだ。フィアの中に。俺が触る前から。
フィアの手のひらの温度が指を通して伝わってくる。手首の時より広い範囲が温かい。フィアの呼吸が深くなっている。肩の力が抜けていく。壁にもたれかかる体重が増えた。
「......っ、は」
息が漏れた。声ではない。低く押し出された吐息だ。手首の時は噛み殺していた。唇を引き結んで、歯を食いしばって堪えていた。今日は堪えていない。力が入っていない。体から自然に漏れたものだ。
方向を書き直した。着弾点を書き直した。深い場所に。手のひら接触だと、深い場所がさらに見える。空白の奥の文字の影が、手首の時よりはっきりしている。
手を離した。指先が冷えた。フィアの熱が急に消えた。フィアが壁にもたれたまま、目を閉じている。呼吸がゆっくりになっている。睫毛の下に光るものがあった。目が潤んでいる。右手がまだ前に出たまま、宙に浮いている。こちらを見ていない。
◇
「撃て」
フィアが目を開けた。前を向いた。
「フレア!」
的の中心を焼き抜いた。煙が上がる。焦げた匂いが広がった。
火の中を見た。花びらは混じっていなかった。
手首の時は混じった。毎回混じった。手のひらの時は混じらなかった。同じ修正を書いた。同じ場所に。同じ文字を。接触の仕方だけが違う。
「もう一発」
「フレア!」
二発目。花びらは出なかった。的の中心に焦げ跡が重なっている。手首接触では三発中二発に混じった。手のひら接触では二発とも混じらない。
フィアが壁に背中をつけたまま、的を見ている。二つの焦げ跡が中心に重なっている。自分の火が、今日もまっすぐ飛んだことを確認している。
「......手のひらの方が、なんか違う」
小さな声だった。こちらを見ていない。
「何が違う」
「わかんない。前より、楽。詰まってない。体が軽い」
手首の時は声を噛み殺していた。手のひらでは吐息が漏れた。フィアの体が受け入れ方を変えている。
◇
部屋でノートを開いた。
「手のひら接触。手首より鮮明。空白の縁に花びらのような模様。修正で書いたものではない。最初からあったもの」
その下に書いた。「手のひら接触でフレアに花びら混入なし。手首接触では毎回混入。接触の仕方で結果が変わる」
ペンが止まった。
修正の外にあるもの。触り方を変えたら見えた。修正の問題ではなかった。接触の深さに、答えがある。
もっと深く触れたら、何が見えるのか。




