秘密
放課後。F組訓練場。フィアが壁に寄りかかって待っていた。手首が見えている。昨日と同じだ。
掴んだ。脈が指の腹に当たる。落ち着いている。三日前よりずっと穏やかな拍動だ。
目を閉じた。ターミナルにコードが広がる。二日前に書いた修正が残っているが、輪郭がにじみ始めていた。あと三日で消える。書き直す。方向を前方に、着弾点を中心に。深い場所まで手を伸ばした。
フィアの脈が速くなった。肩が上がる。息が浅くなる。声は漏れなかった。もう慣れたはずの反応だ。だが毎回、少しだけ違う。今日は肩の上がり方が昨日より小さい。体が書き込みを覚え始めているのかもしれない。フィアの指が空いている方の手で制服の裾を掴んだ。力の入り方は初めて深く書いた日と同じだ。だが唇を噛んでいない。堪えているのではなく、受け入れている。
「撃て」
「フレア!」
的の中心を焼き抜いた。煙が上がる。
火の中に花びらが混じっていた。今日も出た。
手を離した。ターミナルを開いたまま、火が消えた後の空気を見ている。方向は合っていた。着弾点も合っていた。修正は正しく動いた。的に当たった。だが書いていない花びらが混じった。
これで何度目だ。修正を書くたびに、書いていないものが出る。俺のfireにも出る。フィアの修正済みフレアにも出る。修正が正しいのは再現実験で確認した。方向が合っていても、着弾点が合っていても、深く書いても。花びらは修正の中から出ているのではない。修正の外にあるものだ。
修正だけでは、この揺らぎはわからない。
◇
フィアが壁に背中を預けたまま、的の焦げ跡を見ている。息が整ってきた。肩が下がっている。
「当たったでしょ」
「ああ」
「毎回当たるの、まだ慣れない」
三年間当たらなかった女の声だ。だが声の質が変わっている。最初の頃は確認するように「当たった」と呟いていた。壁に穴を開けるしかなかった女が、今は煙の上がる的を見ている。少しだけ、自分のものだという響きがある。
「ねえ」
「何だ」
フィアが袖を引っ張った。だが手首は隠さなかった。視線が少し下を向いている。
「......明日も、来て」
何度もこの言葉を聞いた。最初は「来なさいよ」だった。命令形しか使えない女の精一杯の頼み方。それが「来て」に変わった。今日はもっと小さい。声が喉の奥から出てきている。そして——
フィアの右手が少しだけ前に出ていた。
手首ではない。手のひらだ。指が開いていた。ほんの一瞬。差し出すように。
フィアが自分の手に気づいた。引いた。視線を外して、壁に背中をつけ直した。耳が赤い。
「......別に、あんたが来なくても、暴発するだけだし」
取り繕うように言ったが、声がかすれていた。
「明日も来る」
フィアが前を向いた。何も言わなかった。壁に背中をつけたまま、的の焦げ跡を見ている。煙がまだ一筋上がっている。自分の火が作った痕だ。
耳の赤さは消えなかった。袖を直す仕草もしなかった。手首が出たまま、隣に立っている。
◇
部屋でノートを開いた。
「修正は正しく動く。方向も着弾点も書いた通り。だが毎回、書いていないものが混じる。花びら。水滴。修正の外にあるものだ」
その下に一行。「修正だけでは、揺らぎの正体はわからない」
ペンが止まった。
修正はできる。空白に方向を書けば飛ぶ。着弾点を書けば当たる。深く書けば五日間持つ。フィアの火はまっすぐ飛ぶようになった。暴発は止まった。だがその先にあるものには、修正では手が届かない。花びらが混じる理由は、修正をいくら正確に書いてもわからない。修正の外側にあるものを知る方法が、今の俺にはない。
fireを打った。花びらが混じった。俺のfireにも、フィアの修正済みフレアにも混じる。エルナの氷には混じらない。
三種類の魔法。二種類には揺らぎがある。一種類にはない。
フィアの手のひらが浮かんだ。指が開いていた。差し出すように一瞬だけ前に出て、引かれた。耳が赤かった。あの手のひらは手首とは違う。手首は俺が掴む場所だ。手のひらは、フィアが差し出す場所だ。
何かが変わり始めている。修正の問題とは別の場所で。




