第52話 亡国の王子、囲まれる。
「本当に全員来てるんですね」
「そうね」
思わず零した俺の感想に、エレオノーレ殿下が小さく答えてくれる。
完璧な皇女の顔と半歩後ろの俺にしか聞こえない声で。
「久しぶりに全員揃うと、それだけで会場の空気が変わるでしょう」
「変わりますね」
少し視線を動かせば、ドロテア殿下が静かに挨拶を受けている様子や、ジルベルト殿下が貴族令嬢たちに囲まれているのが見える。
なにより、貴族たちの視線が明らかに落ち着かない。
誰がどの皇族に挨拶へ行くか。
どの順番で回るか。
それを見て、他の誰かがどう判断するか。
……この場全部が、腹の探り合いでできている。
あ、でもご飯が明らかにいつにも増して豪華だ。
よく見るとオスカー殿下の周りの人たちはご飯食べてる!いいなぁ!
「おお、エル!」
地鳴りみたいな声が会場に響く。
その声だけで誰かわかってしまうのも嫌だが、周囲の貴族たちがさっと道を空けて、その隙間をグスタフ殿下がズンズン歩いてくる。
……なんというか、森で大きな魔獣と遭遇した小動物たちの動きに近い。
カミラ殿下やジルベルト殿下が、空気だけで上手に道を作るのとはまた違う感じである。
「元気だったか、エル!」
「グスタフ兄様。お久しぶりです」
エレオノーレ殿下が完璧な礼を取る。
「そうか?そうだったかもな!ガハハ!」
さてはグスタフ殿下、あなた妹に会った時期を記憶してないでしょ!?
そのまま、グスタフ殿下がでかい手をエレオノーレ殿下の頭に乗せた。
……おお。
意外と髪型を崩さないように気を遣って撫でている。
手はでかいし動きも豪快なのに、指先だけ妙に丁寧だ。
この人も皇族ってことだなぁ。
「ん?」
グスタフ殿下の視線がこちらへ向いてしまった。
やめてください、俺はただの秘書官です。
そのまま妹君だけ撫でていてください。
「おお!エルの細いのではないか!」
「はい。先日はお声がけいただき、ありがとうございました」
覚えられてしまった細いのです。
「エル!」
グスタフ殿下が、こちらを指さしてエレオノーレ殿下を見る。
「お前のこれ、今度訓練に参加させろ!」
俺、これ扱いなんだ。
いや、それは別にいいんだけど、エレオノーレ殿下。
信じてますよ?
ここはきっぱりと、「私の秘書官に余計なことをしないでください」と断ってくださいね?
「……グスタフ兄様」
エレオノーレ殿下の声が、少しだけ低くなる。
「彼は『私の』秘書官です」
そう、その調子!
「ん?ああ、お前のだな?」
「はい」
「知ってるぞ!」
「……」
「だから、お前に許可を取っている!」
「そうですね」
……あれ。
なんか、今、エレオノーレ殿下の機嫌がよくなった気がする。
いや、表情は完璧に無表情のままなんだけど。
でも、なんか。
「いいでしょう。今度、日程を調整しましょう」
「殿下!?」
どうして!?
信じてたのに!?
「ガハハ!話が早いな!」
「はい」
「エルのためにも、鍛えておいてやろう!」
「はい。ほどほどにお願いしますね」
「任せろ!」
任せていいんですか、それ。
グスタフ殿下のほどほどと、一般的なほどほどは、たぶん単位が違うと思うんですけど。
「安心しろ、細いの!」
痛い!
グスタフ殿下が俺の肩をばしんと叩くが、たぶん手加減されてるのにすごく痛い。
手加減されて痛いの、何?
「最初は軽くでいい!」
「その軽くが怖いのですが」
「大丈夫だ!死にはせん!」
「基準がそこなんですか?」
「鍛錬だからな!」
ローラントですら、死を前提とする鍛錬はしてませんでしたよ!?
「グスタフ、そこまでになさい」
こちらも声だけでわかりますが、カミラ殿下!
深紅のドレスを大胆に着こなし、ゆっくりと、それでも人目を奪うように歩いてくる。
今日もお綺麗ですね、助けてください!
「おお、カミラの姉貴!」
「……カミラ姉様」
グスタフ殿下が勢いよく振り返り、エレオノーレ殿下は表情こそ変わらないものの、ほんのわずかに声に警戒が混じる。
「ロビンくんを壊したらエルが泣いちゃうわよ」
「なにぃ、そうなのかエル!?」
「泣きません」
グスタフ殿下が慌てたようにエレオノーレ殿下を見るが、よく見てください。カミラ殿下笑ってます。
完全にからかいモードですよ、その人。
「それにしても」
カミラ殿下の視線が俺へ向いた。
向かないでほしかった。
「あなた、本当に色々なところで話題になるわね」
「恐れ入ります」
「褒めているのよ?」
「ありがとうございます」
褒めている声じゃないですよね、遊んでる声ですよね?
「エルも」
「なんでしょう」
「ちゃんと見張っていないと、あなたの秘書官、あっという間にどこかへ持っていかれるわよ」
「……彼は物ではありません」
「そうね。だから自分で歩いていってしまうかもしれないわね」
カミラ殿下は上品に笑うが、エレオノーレ殿下が無表情のままちょっと機嫌悪くなってるし、グスタフ殿下は既に興味を失ったのか、傍のテーブルの肉をいつの間にか手に取ってる。
あの……皇族が三人もいらっしゃると、立ち位置にすごく困るので散ってもらえませんか。
あと、その肉俺も食べたいです。
カミラ殿下は、エレオノーレ殿下の反応を見て満足そうに笑うと、視線を会場の奥へ向けた。
「ま、今日はエルも周りを見ておきなさい」
「周りを、ですか」
「ええ」
カミラ殿下の視線を追うと、少し離れた場所で銀髪碧眼の男性が貴族たちに囲まれていた。
順番待ちの列すらできている。
ということは、以前にも遠目に見たが、あれが――第一皇子ハインリヒ・フォン・ライヘンバッハだろうな。
整った礼装に皇族らしい銀の髪と青い瞳。
「エル、ハインリヒ兄さんが帝国を継ぐと思っている者は多いわよ」
カミラ殿下が視線をエレオノーレ殿下に戻し、何かを探るように言う。
「……ハインリヒ兄様は長兄ですし、悪い人ではありませんから」
うーわ、殿下は表情を変えないまま返すが、明らかに含みのある回答。
怖い。
あの、音量落としてるのはわかるんですが、その会話、俺には聞こえてますよ?
いなくなって良ければ早めに言ってくださいね?
「そうね。たしかにハインリヒ兄さんは悪い人ではないし、あそこに人が集まるのは自然なことよ」
「はい」
「そして、自然なことほど利用しやすい、と考える者もいるかもしれないわね?」
「……」
カミラ殿下!目だけ笑ってないです!めっちゃ怖いです!!
エレオノーレ殿下も空気がミシミシいってますよ!?
ほら!何話してるか聞こえてない周りがめっちゃこっち見てますって!
「ガハハ!なんだ、エルもカミラの姉貴も難しい話して!俺は誰が帝国を継いでも異論はないぞ!だが、俺の部隊は俺のものだからな!」
グスタフ殿下が肉を齧ったまま大きな声で二人の会話に割り込む。
そんな大きな声で言うことじゃないです!
でも空気の温度は少し戻りました、ありがとうございます!!
……いや、かなりの数の貴族たちが一斉にこっちを向いたから、別の意味で空気は悪化してますけどね!?
「ふふ、この辺にしておきましょうか、エル」
「はい」
「なんの話だ!?」
「グスタフはこっち。今日は最後までいるって約束したでしょ」
「ぐ、ぐぬう。だが約束は守る!よし、ドロテアとジルベルトはどこだ!」
そのまま二つの台風が離れていった。
なんとなく周囲からほんの少しの同情と、多量の好奇の視線が突き刺さっている気がする。
「殿下」
「なに」
「本気でもう帰りたいです」
「ダメ」
……やっぱり、夜会って嫌いだ。




