あなたを想って 01
気持ちの良い季節というものは、いつも足早に過ぎ去ってしまう。まるで急斜面を駆け下りるように日々は過ぎ、王都ツィーレは冬を迎えていた。
外の気温がすっかり下がってしまったせいか、今年で七十歳になる聖リティリア王国の大聖女の体調が、このところ優れなかった。
レイアはこの数日の間、大聖女の側に付き添っていて、フランクール家には戻っていない。
「レイア、もう良いから家に戻りなさい」
大聖女グレースは、レイアの育ての母のような存在だ。ベッドで上体を起こしたグレースに、レイアは淹れたばかりのジンジャーティーを渡した。はちみつをたっぷりと入れたそれを、グレースは好んで飲んでいた。
数日前に高熱を出したグレースではあるが、今は微熱程度に落ち着いている。しかしその藍色の瞳にはまだ力がなく、顔色も良くない。一つにまとめた白い髪は、つやがすっかり失われてしまっていた。
「降誕祭の日には戻ります」
建国の聖女が降誕したとされる日には、聖リティリア王国全土が祝福ムードに包まれる。大聖堂では国王も参列しての礼拝が行われ、その門の前には、王族や聖女の姿を見ようと、多くの国民が詰め掛ける。その日の夜には皆、家族や恋人や友人と、互いに贈り物を渡し、パーティを楽しむのだ。
「もう心配はいりません。今日にでも戻りなさい」
「降誕祭の礼拝までは、側にいます。それまでにしっかり体調を整えていただかないと。大切なお役目があるのだから」
「……私ももう良い年なのだから、そろそろ後任者を決める時ね」
「そんなことを言っても、誰も代わってくれませんよ」
レイアは笑い、ベッドサイドの丸椅子に座って、自分もサイドテーブルに置いてあったジンジャーティーを口にした。
「大聖堂の修復、間に合って良かったですね」
例の一件を思い出しながら、レイアは言った。闇を生んだあの場所は、事件などなかったかのように、すっかり元通りになっている。建国の聖女の像は新しく作り直され、美しくそこに佇んでいる。
「……レイア。あれ以来、あなたこそ体調は」
「大丈夫です。何ともありません」
でも、とレイアは表情を変えずに続けた。
「封印はもう、あまり持ちません。今まで、よく持ってくれたけれど。大聖堂の件でも分かった通り、脆くなってしまっている。春までには対処します。私の我侭で一年引き伸ばしたのは、申し訳なかったけれど」
「……あなたはまだ、考え直していないのですか」
心配するような、咎めるような視線に、レイアは苦笑した。
「直しません。私には、正しく行動する責任があります」
「正しいか正しくないか、あなただけで決めることではありません。私は最後まであなたを止めますよ」
「ありがたいことですが、私はもう二度と失敗できませんから。私に与えられた役目を、きちんと果たします」
これまで何度も繰り返された問答に、グレースは大きく息をついた。
「あなたに去られると、他の聖女たちはどうなります。後任はいないのですよ」
「大丈夫。必要な時に、必要な人間が現れます。この国のどこかで、きっともう生を受けてる」
「仮にそうだとして、誰が教え、導くのです」
「そこはグレース様が」
「……年寄りをこき使うものではありません」
「まだまだ頑張っていただかないと」
茶化すように言ってレイアは、ティーカップを戻す。グレースからもカップを受け取って、話を終えようとした。
「そろそろ休んでください」
「レイア。必要であれば、私はフランクール家に手紙を出します。クィンとテオフィルにも、本当のことを話します」
体を横たえながら、はっきりとした口調で言ったグレースに、レイアは動きをとめた。
「……それは駄目です」
「私だってそうはしたくはありません。あなたも考え直しなさい」
「危険と分かっていて、そのままにはしておけません」
「あなた一人で背負う必要はありません。誰もそんなことを望んでいません」
「…………」
「さあ、もう戻りなさい」
それっきりグレースが目を閉じてしまったので、レイアはグレースのブランケットを整え、ランプの灯りを小さくしてから部屋を出た。
閉めた扉に背中をつけてレイアは、小さく息をついた。事実を知れば皆は、何と言うだろう。セルジュは、どんな顔をするだろう。
体の奥底で何かが動いた気がした。レイアは小さく首を横に振り、それを抑え込む。
決意を覆すつもりはなかった。迷うことはあっても、逃げたくはない。
レイアは決然とした表情で顔を上げて、足を踏み出した。




