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とある寂れた教会の窓辺





しとしとしとしと




雨はやまない。

窓辺に片足を立てるようにして座る魔王様がボンヤリ薄暗い外を眺めていた。




「魔王様、嵐が来るみたいです。」




「…左様か」





ねえ、思い出してしまいますね、あの日のこと。







***








どうにも暗い朝だった。

昨日から嵐が止まず、雨がひどく増していく。

いつも通りに修道服に身を纏い、1人分の硬いパンを頬張り、朝のお祈りにいこうと燻んだ赤の傘を差して少し歩き、教会の扉を開けたところで。


懐かしい香りがした。







「っ、」




私のこのガサガサに乾きヒビ割れたような心が一気に水分を含み潤うような、息が止まりそうなほどの豊かな香りに思わず膝をつく。腰が抜けたように足が動かなくなった。








薄暗い教会の中で、だれかが十字架の前の祭壇にゆったりと身を携えている。私が突然入ってきたことも驚かず、何者にも揺るがないような金の目が私を見据えていた。





何故だろう、知っている。

この、この絶対的な存在を、私は、知っている。


全身の血が騒いで騒いで仕方がない。腰が抜けていなければ、駆け出して目の前の存在にかぶりつきたいぐらい、求めていた。何故だろう、何故なんだろう、どうして、こんなに。


ピシャンと雷が落ちて、ガタガタと窓が鳴る。

朝なのに、真っ暗な闇がこの教会の中で蠢く。






「、だ、だれ、なの、」







コツリ

立ち上がり、赤の絨毯を踏み、こちらに歩いて来る姿はまさに王様。人の上に立つ存在。目が離せないままに見上げる。全身に黒を纏う細身の身体。頭から二本の黒い黒いツノが彼が人間ではないことを物語る。褐色の肌に漆黒の髪。麗しい髪から覗く黄金の目がゆたりと細まった。笑ったわけでもなく、貶すわけでもなく、観察するように、じくりと見つめ合う。私の心を明け渡すように、私も見つめ続けた。逸らせない、逸らそうとすら、思えない。



クイ、と無い眉をあげて、その口が開いた。







「…死にたいか?」








死神なのかと思った。

そうすれば私の生命が共鳴するのもおかしくはない。

私は確かにずっとずっと死にたかった。

それが本音かどうかなんて置いておいても、死を渇望してやまない意識があるのは事実だ。

だけれど、どうにもしっくりこない。






「…私を、殺しに来たのですか?」





「…」



とても可愛い表現で表すのなら、彼は今まさにキョトンとした。表情は変わらずとも、何故かなんともわかりやすくキョトンとした。


…あら?





「…何故?」


「…殺しに来たのではないの、ですか?」


「我輩がそなたを殺す理由は存在しない」


「…ではなぜ、死にたいか、なんて」


「…あぁ、」





骨身にしみるような吐息混じりの声で彼は首をかしげる。そして1人で納得したように軽く頷いて、首を戻す。そのあまりの美しさに、場違いにも頰が少し染まってしまったのを自覚しながら、彼を見つめた。少しも感情に動かない無表情が彫刻のようで冷たい。




「あの、」


「…我輩はベラエナ・ヴィンディガ・シューベニギア・R・キュロスという。もう引退したが、魔王なるものをやっていた。」


「へ、」


「知らぬ方が、そなたは楽に生きられそうにもないな」


「ま、お、」


「そなたが死を望むのは、その身体のせいであろう?」





魔王、さま、




身体のどこかがしゅるりと解けたような感覚があった。

途端。


ずくりずくりずくりずくりずくり、

体の中で隅々から声が聞こえる気がする。

全身が魔王様に共鳴する。

全身が呼んでいる、魔王様を呼んでいる、この絶対的な存在を叫んでいる、





「っ、あ、はぁ、」





いつのまにか自分の姿が変わっていて、修道服がずたり裂けて尻尾が揺れる、頭が痛くて、触れればツノが天を向いている。この姿が嫌いだった。小さいときから自分なんて大嫌いだった。こんな異端児なんて消えればいいと思っていた。人間じゃなくて、なのに家族を愛するはずの悪魔さえ周りにいなくて、ただ1人、一人ぼっちで、誰にも必要とされない不用品。だけど何故、何故なんだろう。この不幸の原因の体さえ、この方に似ていることが、歓喜に身体が震えるほどにこの存在が、

あぁ、あぁなんて愛おしい。







「ま、魔王様、っ、」





思わず笑顔が零れ落ちた。

知らぬ間に苦しくて辛くて愛おしくて感激してやまなくて涙さえ出ていた。

私は、私は、



彼に出会うために今まで生きてきたのだと悟ったのだ。









震え続けながら魔王様に笑って、泣く私を、魔王様はその美しい目に映す。限りなく無表情のはずなのに、魔王様は仕方なさそうに呆れたような、そんな気がした。




「…恨みながらでも生きればよい。我輩こそがお前を『そうした』張本人であるのだから。」


「魔王様、っ、魔王様、」


「殺したいというのならば、殺しにこればいい。我輩とてもう老いぼれである。そなたならば出来よう。」


「魔王様、っ」


「それでも死にたいというのならば、責任持って始末してやろう。それまでは、我輩を恨みながら生きてみよ、」




頭が沸騰したように魔王様に染まって、今までの足りなかった全てが魔王様に満たされた気がした。今は何も考えられない。魔王様が話されていることさえ理解したいのに、わからなくて、耳に入らなくて、グワンと鳴る耳鳴りの中で魔王様だけを見つめていた。一心に、ただ求めるように。




「魔王様、」


「…聞いておるのか?小娘」


「魔王様、魔王様、私、」




高貴な高貴な魔王様。



「っ、もう、置いていかないで、」







魔王様の無表情の目が観察するように細まる。


分からないながら絞り出した言葉は、私自身でさえ訳が分からなかった。あったこともなければ、置いていかれた記憶なんてないのに、置いていかないでなんて思ったこともないのに、だけれど、一番しっくりきた。





触れられないけれど、震える指を伸ばして、黒のローブの裾を掴む。力一杯握りしめた。






もう、離さない。








「…愚かな娘よな。」






冷たい言葉と裏腹に、

私の身体を暖かい魔力が包んだ気がした。







その日から、たった1人で住んでいた私の家に、魔王様がやってきたのである。




魔王様は基本無口だけど、必要であれば喋るときは喋る。


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