第41話 おじさんに優しいエッチなお姉さんなどいない
中央に描かれているのは、白く神々しい何か。
周囲に描かれているのは、黒く禍々しい何か。
何かの儀式を描いているのだろうか。ひどく抽象的で、一体何を描いたものなのかさっぱり分からない。とはいえ風景画でもない限り、絵画などというものは大抵そういう感じではある。そもそも俺に美的センスなどというものが備わっているのか、という点は甚だ疑問だが————そんなセンスのない俺から見て、この絵はいやに不気味だった。
「なんというかこう…………感動みたいなものは全然ないな」
やや率直過ぎる感想となってしまったが、周囲には誰も居ないのだから問題ないだろう。そうして巨大な絵画をしばらく眺めた後、ぷぅちゃんの様子を窺ってみる。いつもの彼女なら『くさ』だの『ださ』だのと言いそうなものだが、何故だか今は妙に静かだった。
「ぬーん」
「…………ぷぅちゃん?」
「これ、きらい」
意外な一言だった。
表情はいつも通り、眠そうなむっつり半眼だ。
しかしそんな無表情の中に、今は確かな嫌悪が感じられた。彼女がこうも分かりやすくムスっとしていたことなど、これまでにあっただろうか。見ればぷぅちゃんの頭上ではジークまでもが、何やらニャーニャーと威嚇じみた声を上げている。申し訳ないが大変に微笑ましい。
「いやお前イヌ科だろ……タヌキとしての自覚持て?」
突っ込みを入れつつ、煙草を取り出し火をつける。
美術館での喫煙など本来であればご法度だろうが、こんな廃墟ではね。
眼前の絵画から目を切り、再び周囲を見渡す。
この怪しい絵画の他には、これといった展示も見当たらなかった。ひんやりとした廃墟の中、ぽつんと残された巨大な絵画。埃まみれで汚れてはいるが、状態自体は悪くないように見える。外にあった石碑(?)を見るに、恐らくは相当古い品だと思うのだが。陽の光も風も通らない、地下室に安置されていたせいだろうか。あるいはこの場所は、元美術館の地下倉庫だったりするのかもしれない。
「でもまぁ確かに…………なんかちょっと気味が悪いな。自分でも理由はよく分からんけど、持って帰ろうって気にはならない」
この絵はこのまま置いておくことに決めた。
売ればかなりの値が付きそうなものではあるが、しかし今は金欲よりも得体の知れない怖さが勝つ。もしこの場にアムが居れば、大興奮で鑑定を始めていただろうか。土産話として聞かせてやれば喜ぶだろうか。いや、その場合は『何故持って帰って来なかったんだい』などと詰められそうな気もするな。
「ま、普通に空振りかな? 何かぷぅちゃんの記憶に繋がる手がかりとか、あると思ったんだけどねぇ」
あんな何の変哲もない街道にあったくらいだ、きっとこれからも似たような施設跡————古代遺跡は見つかることだろう。もしかすると既存の遺跡にも、ぷぅちゃんに反応して開く扉なんかがあるかもしれない。それを思えば、何もここに固執する必要はないのだ。ぷぅちゃんもご機嫌ナナメなことだし、さっさと切り上げるが吉である。
「よし。それじゃあ戻ろうか、ぷぅちゃ————」
そう言ってぷぅちゃんの手を取ろうとした、その時だった。
————がしゃん。
俺達が入ってきた方角、つまりは背後から何か大きな音が聞こえた。静寂に包まれていた地下廃墟に、突如響き渡る金属音。
「…………聞こえた?」
「きこえた」
いやまぁ、音量からして聞こえないハズもないのだが。
だがそれでも、確認せずには居られなかった。ちなみにだが、俺は心霊系が割と平気なタイプである。好んで心霊スポットを訪れたいとは思わないが、いざ行くとなればホイホイ進んでゆける程度には平気だ。しかしそれはあくまでも『雰囲気だけではビビらない』というだけの話である。実際に物音や声のようなものが聞こえようものなら、普通にビビる自信があった。つまり何が言いたいかというと。
「…………オイオイオイ、やっぱ怖えわ」
「いえた」
「ネタ拾ってくれて助かるぅ……ちょっと怖くなくなったかも」
流石、ぷネキはいつも頼りになる幼女だぜ。
気持ちを落ち着かせるように、煙草の煙をゆっくりと吸い込む。そうして吐き出した煙が、ゆらりと揺れながら上ってゆく。
「ふぅ……まぁなんだ、時間経過で勝手に入口が閉まったとかなのかね? そういや自動ドアだったし」
落ち着いて考えればどうということはない。
幽霊の正体見たり、枯れ尾花ってね。
————コツリ。
「…………何が枯れ尾花だよ、今の絶対に足音だろ」
この世界にはレイスと呼ばれる霊体型の魔物が存在する。地球でもゲームや漫画でお馴染みのアレだ。もちろん俺はまだ見たことがないが、知識としては知っていた。脅威度はそれほど高くないが、倒すにはそれなりの準備がいる面倒な相手だそうだ。しかし、だ。当然ながらヤツらは歩かない。足が存在しないし、そもそも物理的な干渉から解き放たれた存在であるからだ。つまり先ほど聞こえた足音は、お化けの類では絶対にあり得ないということ。
「っていうか…………気のせいじゃなきゃ、ヒールの音っぽく聞こえたんだけど?」
————コツ、コツ。
「ははぁん…………これはアレだ、ヒールブーツだね。それも結構高さのあるヤツだ。俺は足フェチなんだ、間違いない」
「なるほど」
「成程じゃないのよ」
などと冗談を言ってもみるが、所詮これは恐怖の裏返し。
俺達にしか開けられないはずの扉、俺達しか居ないはずの地下廃墟。にも関わらず、背後から聞こえてくる何者かの足音。よもやこんな場所で、ブーツのよく似合うエッチなお姉さんが突然現れるハズもなし。これがホラーでなくて、一体なんだというのか。
明らかに魔物の足音ではない。
仮に二足歩行系のモンスターだとしても、こんなハッキリとした足音は鳴らないだろう。冷静に考えれば考えるほど、暗闇の向こうに潜むモノの正体が分からない。未知とは恐怖だ。人は理解できない事象を極端に恐れる。事此処に至り、大人の余裕なんてものは微塵も残っていなかった。
恐らく————否、人であることは間違いない。
問題は敵なのか、あるいはそうでないのか。俺達の後にやってきて、たまたま開いていた穴を見かけて入ってきた、という線も十分にあり得る。
————ガリッ、ガリガリッ。
「…………いや何の音だよ、こえーよ」
なにか重い金属を引きずるかのような、ひどく耳障りな音。人であることは間違いない、などという俺の考えも一気に信頼性を失う。およそ普通の人間が立てる物音ではなかった。
ふと脳裏を過ったのは、日本の大人気ホラーゲームシリーズだった。
襲い来るゾンビから逃げつつ事件の真相を追ってゆく、といった内容のアレだ。お化けや妖怪などといったファンタジー的怖さではなく、実体があるがゆえの恐怖というヤツだ。そんな怖さを紛らわせるように、後頭部を掻きつつ悪態を吐く。
「ああクソ、なんだってんだよ…………ぷぅちゃん、念のため俺の後ろに隠れてて」
「わかった。にゃーはあんがいできるこ、がんばれ」
こんな閉所では、ぷぅちゃんが力を発揮出来ない。
なまじ火力が高すぎるからこそ、俺たちまで生き埋めになってしまう。いつぞやの、古代遺跡シャレムからの脱出時がそうであったように。いやまぁ仮に埋まったところで、ぷぅちゃんはケロリとしていそうだが。ともあれ、どうやらここはおじさんの頑張りどころであるらしい。
魔導具に照らされた薄明かりの中、遠く階段の方をじっと睨みつける。
ここからの距離は三十メートルといったところだろうか。ヤニを入れた今の状態なら、ほんの数秒で駆けられる距離だった。
待つこと数秒、それはゆらりと現れた。
最初に見えたのは、純白のニーソックスに包まれた長く美しい脚。
それに一瞬遅れて、闇に溶けるかのような漆黒の衣装が続く。まるでシスター服のようにも見えたが、しかし大胆なスリットが目立つことから純粋な修道服ではあり得ない。ハロウィンなどで着用するコスプレ衣装、と形容したほうが近いだろうか。加えて、遠目に見ても分かるほどの豊満な体つき。ここまでのみを見ればまさしく、先ほど夢想していたエッチなお姉さんであった。
が、異様なのはその体勢。
頭をだらりと俯かせ、垂らした長い髪で顔は見えない。
その手には巨大な斧槍。柄を握る腕は力なく垂れ下がり、囚人の足枷よろしく、鋭利な刃が地面を撫でつける。一歩、また一歩と歩く度に、硬質な床が悲鳴を上げていた。
極めつけは、髪の隙間から除く真紅の眼光。
それは薄明かりの中で尾をひき、何かを探すように宙を彷徨っていた。
その姿を総じて————。
「…………マジのバケモンが出たわ。ぷぅちゃん、俺無理かも……」
「がんばえー」




