第39話 開けゴマ
スィーリアを出発してから一週間が経とうとしていた。
スィーリアからグレンタニアまでの間には、大都市と呼べるほどの街はない。そもそもグレンタニア自体が辺境の街なのだから当然だ。とはいえ宿場町というわけではないが、小さな街はいくつか点在している。そしてこの世界には冒険者や商人といった職種の人間が少なくないため、そういった小さな街にも大抵の場合は宿が存在するのだ。ゆえに常に野宿をする必要はなく、二日に一度ほどはベッドでゆっくりと休むことが出来た。俺達にとっては初めての長旅だが、取り立ててトラブルもない穏やかな旅路だったと言えるだろう。が、しかし。
「えー、ここでぷぅちゃんに悲しいお知らせがあります」
「なに?」
「スィーリアを出発して既に一週間が経過しましたが、我々はまだ予定の三分の一ほどしか進んでおりません」
「おお……なむさん」
そう、穏やかな旅路ではあった。しかし順調な旅路とは言い難かった。
ぷぅちゃんが上空へ連れ去られること二回。
見晴らしが良さそうだからと、旅には関係のない丘に登ること二回。
観光を延長すること一回、道に迷うこと二回。
橋が流されていた為に回り道をすること一回。
偶然見つけた魔物の巣を、煙で燻し滅ぼすこと一回。
謎の綺麗な石を拾うこと一回。
「けっこうたのしかった」
「それはそうね。俺も反省はしているけど、ぶっちゃけ後悔はしてない」
時にはぷぅちゃんが何かを見つけ、ある時は俺が何かに気づき。
初めての長旅ということもあり、どうやら二人とも知らずのうちに興奮していたらしい。あっちへ行ったりこっちへ行ったりと、およそ無駄でしかない行動を俺達は度々繰り返した。そうして気づけば一週間が経過していたというワケだ。二週間で到着する予定だった旅路は、早くも総崩れとなっていた。
いい歳した大人が何をやっているのか、と思うかも知れない。
俺だってそう思う。保護者がそんな体たらくでどうするのか、と。
だが待って欲しい。
初めての土地、美しい風景、爽やかな風、晴れ渡る空。
『旅行の醍醐味詰め合わせ』とでも言うべきそれらを前に、異世界歴の浅い俺達が抗えるだろうか。
答えは否だ。
気分は完全に海外旅行のそれでしかなかった。
もちろん危険な場所であれば近づいたりはしない。何度でも言うが、俺はチート勇者などでは断じてないのだ。故に俺達はただ街道——といっても舗装はされていない——を真っ直ぐに進んでいただけ。つまりはごくごくありふれた安全な道中に、これほどまでのワクワクが散りばめられていたということだ。好奇心旺盛な幼女と愉快なオッサンが、それらを無視出来るはずなど当然なく。日程が押したことについては情けない限りだが、寄り道してよかったと思える程度には楽しかった。かつてはビルがひしめくコンクリートジャングルで生活していた身、たまには自然の中でハメを外したくもなるというものだ。
「そう、後悔はしてない。してないんだけど…………なんというか、別の問題が出てきまして」
初めての長旅、事前の準備は入念に行った。
上等な地図をアムに借り、ルートの確認はしっかり行った。おかげで一度は道に迷ったものの、今はこうして復帰することが出来ている。途中の村々で販売するための特産品も、出発前に買い漁った。現時点で既に、幾許かの利益を生み出すことに成功している。
もちろん食料もたっぷり買い込み、ぷネキの鞄にまとめてぶち込んであった。
今? すっからかんだよ、不思議だね。多分誰かがつまみ食いしてると思うんですけど。問題とはつまりソレのことだ。
「どこかで買い足さないと食料が無くなるってワケ。いい加減進まないと流石に不味いんだよね」
「にんげんはいきいそぐ」
「おぉ……なんかよく分からんが人外幼女がそれっぽいこと言い出したな……口に食べかす付いてるよ」
「てれる」
「褒めてないのよ」
俺達にとって、食料不足は最大の敵と言っていい。
もちろん普通の冒険者や商人にとってもそうだが、俺達の場合はより深刻だった。食料が足りないということは、ぷぅちゃんが戦えなくなるということを意味しているからだ。俺達の戦力は基本的に、ぷぅちゃんの火力頼みとなっている。仮に何かイレギュラーが発生した際、腹が減って萎んでいるようでは困るのだ。幼女に守ってもらうなんて情けない、みたいな話はもちろん横に置いておく。だって仕方ないじゃない、なんなら俺よりたぬきの方が強いんだもの。
「だもんで、ここからは寄り道ナシってことでお願いします」
「……ぜひもなし」
* * *
決意を新たに再出発してから、ざっくり一時間ほど。
「見なよぷぅちゃん、なんか石碑みたいなのがあるぜ」
馬車が二台すれ違えるかどうか、といった道幅の街道。
そのすぐ脇に生えた大層立派な巨木の傍に、石で作られた細長い柱が突き立っていた。木陰にひっそりと佇む石碑は一瞥しただけでは見逃してしまいそうで、ひどく苔むし、蔦が絡まり、お世辞にも綺麗とは言い難い状態であった。ここは舗装されているわけでもない、小さな街と街をつなぐ小さな道だ。わざわざ手入れをする者もいないのだろう。
「なかなかおもむきがある」
「お、意外と興味津々?」
声をかけておいてなんだが、ぷぅちゃんは興味などないだろうと思っていた。ぷぅちゃんが興味を示すものといえば、基本的には食べ物か敵かのどちらかだ。少なくともこれまではそうだった。しかし意外や意外、ぷぅちゃんは石碑を眺めるためわざわざ荷台を降りてきたのだ。そうしていつもの眠そうな半眼で、じっとりと石碑を観察し始めた。
「きょうみはない。でもなんとなく、きらいじゃない」
「もしかすると、ぷぅちゃんが生まれた時代の物だったりするのかもね」
石碑とはすなわち、過去に起こった何かを後世に伝えるためのものだ。ぷぅちゃんの言う『よく分からないが嫌いじゃない』という感覚は、あるいは望郷に近い感覚なのかもしれない。
「日本人が桜を見て故郷を思い出す、みたいな感じなのかね? いやちょっと違うか?」
ともあれ、だ。
ぷぅちゃんの反応を見るに、何か彼女の過去に関する手がかりが隠されているかもしれない。もちろんそんな都合のいい話が無いことくらいは理解っているが、仮に何も見つからなかったとして、それで俺達に何か不利益が発生するわけでもなし。調べるだけタダってね。
「よし、ちょっと調べてみるか……つってもかなり汚れてるなぁ」
手で苔を払い、蔦を千切り。
雨汚れを指の腹でゴシゴシと拭い、泥を落とす。
もちろん、こんな間に合わせの雑な手入れではほとんど何も変わらない。表面の汚れがわずかに、ほんの少しマシになった程度のこと。本気でこの石碑を調べるのであれば、まずは掃除用具を持参する必要があるだろう。それでもしばらく続けてみれば、ほんの少しだけ表面が露わとなった。
「こりゃ相当な年代物だな…………おお? これは……文字? 何か書いてある……のか? うーん……読めん」
わずか指の先二本分程度の隙間。
こびりついた苔が剥がれ落ち、そこに何か溝のようなものが見えた。
文字が掘ってあるようにも見えたが、しかし読み取ることは難しかった。
「みせて」
「ん、ほらココ」
ずいとぷぅちゃんが顔を出す。
そうして半眼のまま、しばらくの間じっと石碑を見つめていた。
「なんか分かった?」
「にゃー、きたない」
「ひどっ」
掃除によって汚れた俺の手を、ぷぅちゃんがぺしりと叩く。
そうして勢い余ったぷぅちゃんの手が、ほんの僅かに————だが確かに石碑へと触れた。
その瞬間。
『———————、———』
まるで頭の中へと直接響くかのように、何か言葉のようなものが聞こえた。
言葉といっても、ただそれっぽい音が聞こえただけだ。ノイズのような機械音のような、少なくともこの世界では聞いたことがない類の音だ。当然ながら内容は一切聞き取れなかった。しかし不思議と、俺には確信めいたものがあった。たった今聞こえてきた音が、間違いなく誰かの『声』であると。
「…………え? 今、何か……」
突然の事に動揺し、慌ててぷぅちゃんの方を振り返る。
しかし彼女はいつものようにむっつりと口を引き結び、ただじっとこちらを見つめているのみだった。
どれほどそうしていただろうか。俺がまるで阿呆の様に彼女を見つめていると、ぷぅちゃんはゆっくりと腕を上げ、そうして俺の背後を指差した。
「なんかあいた」
「…………へ?」
小さな指に釣られるように、背後へと視線を向けてみれば。
樹齢千年はゆうに越えているであろう巨木の根本に、先程まではなかった大きな穴が開いていた。




