第29話 そびえ立つ肉の塊
目を覚まし、顔を洗い、バルコニーに出て朝の冷たい風を浴びる。
まだ寝ぼけたまま(?)のぷぅちゃんを浴衣から着替えさせ、櫛で髪を整える。そして最後にタヌキを巻けば、朝の準備は完了だ。
広い旅館内をゆったりと歩けば、他の宿泊客とすれ違う。朝食帰りだろうか、皆一様に満足そうな顔をしていた。食堂に近づけば近づくほど、鼻腔をくすぐる香ばしい香り。まだ料理どころかメニューすら見てもいないというのに、間違いなく美味いと断言出来る。その証拠に、大食らい幼女とタヌキもそわそわしっぱなしである。
いざ食堂へと足を踏み入れれば、俺達はなんとも言えない芳醇な香りに包まれた。
先ほど感じた香ばしさは焼いた肉の匂い、あるいは脂の匂いだろうか。朝に食べる肉といえば相場は決まっている。脳裏を過るのは当然、カリカリに焼かれたベーコンだ。そこに半熟の目玉焼きでもあれば文句なし、これぞ理想の朝食だろう。だがこの時俺は、ここが異世界であるということを一瞬忘れてしまっていた。なにしろ目に映るのは見覚えしかない和風建築なのだ。寝ぼけ半分の脳はまだ切り替えが済んでいなかった。
そんな俺達を最初に出迎えたのは、カゴいっぱいに積まれたふかふかのパン達だ。こちらの世界のパンは基本的に硬めであり、元日本人の俺にはなんというか、お世辞にも美味いとは言い難い代物だ。別に不味いわけではないし普通に食えはするが、やはり現代の技術によって進化したパンとは比べ物にならないのだ。しかしこの旅館のパンは違った。有名ベーカリーの焼き立てパンも斯くやといった、丸々としたふっくらパンだったのだ。なお宿泊料金に含まれているため、ここのパンは食べ放題である。どすこい幼女の腹が唸った気がした。
「んほぉー」
「はいはい、あとで取りに来ようね」
さっそくとばかりにパンへ手を伸ばすぷぅちゃんを制止し、ひとまずテーブルに着くことを提案。どうやら各テーブルに備え付けられたベルで従業員を呼び、そこで希望の料理をオーダーする仕組みらしい。料理がすぐに来るわけでもなし、先に注文を入れてからパンを取りに行くほうが効率的だ。そう思っていたのだが————テーブルに到着したとき、既にぷぅちゃんの頬はパンパンに膨れ上がっていた。さもありなん。
革張りの立派なメニュー表を開けば、ずらりと並ぶ多種多様な異世界料理たち。知っている料理もあれば、想像すらつかないような料理まで記載されている。というより、メニュー上に知っている料理はひとつしか乗っていなかった。流石は高級旅館というべきなのか、はたまた俺が異世界に適応出来ていないだけなのか。当然写真などは載っていないため、字面と想像だけで料理を注文するしかなかった。一応はこの世界の住人であるぷぅちゃんも、今の時代の知識は皆無と言っていいため頼りにはならない。タヌキは言わずもがな、これではほとんど運ゲーである。とはいえ一貫して和風をテーマとしている旅館だ、何を頼んでも大外しはしないだろう。
そうしてパンを取り、待つことしばらく。
気づけばテーブル中央には、馬鹿みたいな大きさの肉が段々に積み上げられていた。大外しはしないだろうという俺の予想は、見事に打ち砕かれていた。見るからに濃厚そうなソースが肉汁と共に、まるで滝のように滴り落ちる。
「んほぉー」
「こりゃオッサンには重いぞ…………つーか何なのコレ。朝からこんなん食うヤツいないでしょ。肉で肉を挟んだ肉ミルフィーユかな?」
「ぷぅがぜんぶたべるので」
「頼もしすぎんだろ…………ていうか、流石に全部が全部和風ってワケじゃないのね」
いくら異世界といえど、こんな和風料理があってたまるかよ。
まぁ適当に注文したコレだけが、特別アレだったのかもしれないが。
* * *
それは朝食を終え、今後の予定を相談していたときのことだった。
「アムとの約束、アッシュとの約束。ついでに金も稼がなきゃならん。なんか知らんけどやること多いよね」
「どんまい」
「他人事じゃないのよ」
まだ資金には余裕があるとはいえ、ぷぅちゃんの食欲的にそう長くはもちそうにない。旅行気分で浮かれていたが、本来であればこんな高級旅館に泊まっている場合ではないのだ。となればどうにかして金を稼ぐ他ないのだが、それもまた難しい。現在俺の冒険者ランクは余裕のFランクであり、受けられる依頼もそれ相応でしかない。細々とした依頼では稼げる金額もいまいちで、とてもではないがぷネキの胃袋に追い付かない。まだ余裕のあるうちにどうにか稼いでおきたいところだが、冒険者ランクを上げるには時間がかかる。要するにドラゴン素材をアムに売り払った、その先の展望がないというわけだ。あれ、コレ詰んでない?
「どっかに大金でも落ちてないもんかね」
「せりふがおわってる」
などと下らない話をしていた俺達へ、見知らぬ男性が声をかけてきた。
「失礼、そこの御仁。少しよいだろうか」
こちらの世界ではあまり見かけない、スーツ風の衣服を纏った初老の男性だった。ぴしりと着こなした上着にはシワのひとつも見当たらない。柔和な笑みを浮かべてはいるが、片眼鏡の奥に見える瞳からは、理知的で只者ではない気配を感じさせる。一見しただけで上流階級の人間だということが分かる、そんな出で立ちだった。
「俺————私に何か御用でも?」
「ああいや、そう畏まらずとも結構です。突然話しかけて申し訳ない」
どう考えても俺の方が身分は下であろうに、男性の言葉遣いや態度は柔らかく、ひとまず悪い印象は受けない。であればこそ分からない。こんな何処にでもいるごろつきのようなおっさんと幼女に、一体何の用があるというのか。
「そんなつもりはなかったのですが、少しお話が聞こえてしまいまして。何やらお困りのご様子だったので、つい声をかけてしまいました」
「はあ」
「おっと、これはまた重ねて失礼を。私の名はハンツ・リリエンタール、この街で商いをしている者です。リリエンタール商会というのですが、聞いたことはありませんかな」
成程、商人だった。
商人と言ってもピンからキリまで居るが、身なりや態度から察するに結構な大店の主なのではないだろうか。知らんけど。こちとら異世界人であり、未だパンをドカ食いしている隣の幼女は人ですらないのだ。ついでにこの街へ来たのはつい昨日のことで、この世界に来たのもつい二、三ヶ月ほど前のこと。謂わば超ド田舎からやってきたスーパーお上りさんだ。街の有名店や有名人のことなど、これっぽっちも知りはしない。
「ニーヤです。すみません、実はこの街に来たばかりで」
「成程、そうでしたか。どうですかなニーヤさん、スウィーリアはいい街でしょう?」
「そうですね。町並みは綺麗ですし、治安もいい。衛兵も親切でしたし、この宿も素晴らしい。今のところは文句のつけようがないですね」
「そうでしょう、そうでしょう!」
俺が月次な褒め言葉を並べると、ハンツ氏はまるで自分が褒められたかのように笑った。
いいから早く本題に入ってくれまいか。
「あの、それで……?」
「おっと、これはまた失礼を……よく話が脱線してしまうのが私の悪い癖でしてね。妻にもよく叱られるのですが、これが中々治らないんですよ。ははは」
ええ加減にせえよ、という言葉をぐっと飲み込む。
「ええ加減にせえよ?」
そしてすぐに出た。
割と気は長い方だと自負している俺だが、我慢できないものがふたつある。同じ話を繰り返し遅々として話が進まない輩と、冷やし中華の胡瓜だ。特に後者は許せない。胡瓜の味汚染度は異常だ。「自分あっさりしてます」みたいな顔をしてその実、触れた他の食材全てを胡瓜味にしてしまう。そう、俺は胡瓜が嫌いなんだ。閑話休題。
「ああもう、ついまた……何度も申し訳ない。えー、何の話でしたか……そう、声をかけさせていただいた理由でしたな」
「ええ」
「みたところ、ニーヤさんは冒険者をされているご様子。そして現在お金にお困り、と。ここまでは相違ありませんかな」
「そこまで切羽詰まってはいませんが……まぁそうですね、確かに冒険者ではあります」
そんな俺の言葉に対してハンツ氏は満足そうに頷き、続けてこう言った。
「実はひとつ、ニーヤさんにお願いしたい事があるのです」




