第2話 異世界終了のお知らせ
とにかく運のない人生だった。
球技大会の前日、自転車に轢かれて骨折。
好きな子に告白しようと決心した当日、歳の離れた兄が蒸発したと聞かされ。
高校受験当日、会場へ向かう途中でバイクに撥ねられ病院送り。
部活の最後の大会では、部内で不祥事が発覚して参加取り消し。
大学受験当日、万全を期して乗り込んだタクシーが事故、そのまま病院送り。
人一倍努力はしたつもりだし、承認欲求だって人並み程度にはある。
けれど何をやっても、いざ本番となると全てが上手くいかない。ここぞという時に限って、いつもロクなことにならない。結果が出ない。
三十年以上も歩んできたこの道は、きっとこの先も、死ぬまで変わらないだろう。
悔しいなどという感情はとうに消え、もうそれで構わないと、この春日野新也自身が受け入れてしまっているのだから。
そう思っていた、ある日の夜。
ベッドの中でおかしな夢をみた。否、今にして思えば、あれはきっと夢ではなかったのだろう。
昏く深い闇の中、妙に可愛らしい声が突如聞こえてきたのだ。
――――暇してるなら、ちょっとお願いを聞いてくれないかな?
確かに惰性で生きてはいるが、別に暇というわけではない。
しかし声も出せない状態では、謎の声に文句を垂れることも出来なかった。というか誰だお前は。
夢とは記憶の整理なんて説もあるらしいが、俺の記憶にこんな声の持ち主は居ない――――と思う。
いや、単に思い出せないだけかもしれないが。
――――実は落とし物をしちゃってね。このくらいの小さな宝石なんだけど、凄く大事なものなんだ。私の代わりに探してきてくれないかな。
一体何者なのか、一体何を探せというのか、そもそも何故俺なのか。
このくらいなどと言われても、俺にはひたすら闇しか見えない。闇が見えるという表現が正しいのかどうかは分からないが。
聞きたいことはもちろん山程あった。大事な探し物なんぞ自分でやれよと、心の底からそう思った。しかしどうやら声の主は、俺の意見など聞くつもりがないらしい。そもそもこの時は夢だと思っていた為に、大した抵抗もしていなかったのだが。
――――もちろんちゃんとお礼はするよ。見つけてくれたら願いをひとつだけ、何でも叶えてあげる。
謎の声が語る話は抽象的すぎて、内容が微塵も理解出来ない。出来るわけがない。
疑問に巻かれ混乱する俺を差し置いて、得体の知れない話だけが勝手に進んでゆく。
――――いい? それじゃあ頼んだよ?
そこまで言って、謎の声は途絶えた。
いい? ではない。いいわけあるか。
そんな当たり前の文句も、口から出すことはついぞ叶わなかった。
これが俺の記憶にある、不思議な夢の全て。
会話内容も朧げで、交わしたやりとりが本当にこうだったのかも、今となっては分からない。
とにかく肝心なことは何もわからないまま、ただただ不思議なだけの夢は終わった。
そうして俺は目を覚ました。
『朝、布団の中で目が覚めた』みたいなもんじゃなくて、もっと別の、本当に唐突な覚醒だった。
例えるなら、朝礼中に立ったまま居眠りをしていて、何かの拍子に一瞬だけ目が覚めた――――みたいな感覚だろうか。
気がつけば俺は、どことも知れない草原に突っ立っていた。
* * *
煙草を咥え、ライターで火をつける。
あちらの世界から持ち込むことが出来たものは、何かの拍子に貰った百円ライターと携帯灰皿、そして何故かポケットに入っていた煙草が一箱だけ。これはその最後の一本だ。これが電子煙草だったなら、とうの昔にバッテリー切れとなっていただろう。外では紙煙草を吸うようにしていた、自分の習慣に感謝する。
深く息を吸い込み、煙を肺に入れる。久しぶりの煙草だった。
どうやらこちらの世界には煙草が存在しない――葉巻やら煙管はあるらしい――らしく、補充する手段が見つからなかった。だからこの一箱を大切に、少しずつ吸ってきた。俺みたいなどうしようもないヤニカスでも、切羽詰まれば意外と節約できるらしい。
煙草というものは、開封してから急激に劣化する。一日も置けば味が変わるし、二日も置けば目に見えて味が落ちる。二ヶ月もの間節約してきた煙草は、正直言って不味かった。だがそれでも。ヤニカスの性とでも言うべきだろうか、不思議と全身に力が湧くようだった。吐き出した煙はゆらりと尾を引きながら、頭上にぽっかり空いた穴へと吸い込まれてゆく。
「ま、仕方ない」
今居るここは、ダンジョンと化した古代遺跡の奥深く。
さらに言えば、そこにある落とし穴の中だった。頑張ったところで上手くいかない、お決まりの展開だ。
どう見ても、よじ登れるような高さではない。ましてこんな折れた左腕ではとても、とても。
臨時でパーティーを組んでいた仲間達は、とうの昔に撤退してしまった。
見捨てられたからといって、別に腹を立てたりはしない。そもそも置いて行けと言ったのは自分だ。もしこれが現代日本だったなら、叩かれたり、あるいは炎上するのかもしれないが。しかしここは異世界で、魔物蔓延るダンジョンの奥地。加えてこれだけの深さだ、引き上げるのにも時間がかかる。いくらここが危険度の低いダンジョンと言っても、挑んでいる俺達だってほとんど駆け出しなのだ。罠にかかって負傷した間抜けを助けるなど、一体どれだけのリスクを負うことになることか。
だから、彼らを責めるような気にはなれなかった。
これはただ、穴に落ちた俺が間抜けだったというだけの話。
こちらの世界にやってきてから、今日までざっくり二ヶ月ほど。
こうなった理由はまるでわからないが、原因だけははっきりしている。例の夢で語りかけてきた、あの怪しい声の仕業に違いない。
そうして俺なりに色々と足掻いてはみたものの、結局はこの有り様だ。
それはそうだろう。
現代日本でだらだらと生きていたアラサーのオッサンが、こんな剣と魔法の世界にいきなりやってきて、それでどうにかなる方がどうかしている。何でも小器用にこなせるとは言ったが、剣と魔法は流石に飛躍しすぎだ。異世界転移だの転生だの、そんな話は所詮作り話に過ぎない。異世界にやってきたからといって、オッサンが急に機敏な動きをし始めたらそれこそホラーだ。一体何処に需要があるというのか。
長いようで短かったこれまでに思いを馳せ、再び煙を肺に入れる。
例の声が何を言っていたのか、俺に何をさせようとしていたのか。慌ただしさのせいで、それすらもよく思い出せなかった。
「なーんで俺だったのかねえ」
何も、本当に何も分からない二ヶ月だった。
理由も、人選も、目的も――――いや、目的は何か言っていたような気がする。今となってはどうでもいいことだが。
なにはともあれ、この馬鹿げた時間もようやく終わりだ。そう考えた瞬間、どっとこれまでの疲れが押し寄せてきた。
そうして昏い落とし穴の中、ゆっくりと壁に背中を預けた――――その瞬間だった。
「ぉ?」
まるで押し戸にもたれかかったかのように、背後から壁が消えた。
壁に体重を預けるつもりでいた俺は、そのまま勢いよく後ろに転がってしまう。次いで感じたのは浮遊感と衝撃だった。
「うぉおおおぉおぉお!?」
肩、背中、足、折れた腕。
体中の至る所をぶつけながら、恐らくは階段であろう場所をごろごろと転がり落ちてゆく。
十数秒も転がっていただろうか。ようやく身体が止まった時、俺は開けた部屋の中にいた。
「くッ、痛ッ――――く、ない……?」
死んでもおかしくない高さから転がり落ちただろうに、不思議と身体はなんともなかった。
もちろん折れた腕は動かないが、それだけだ。そこかしこにぶつけたというのに、痛みはまるで感じなかった。
どうにも解せないが、ひとまずは周囲を窺う。
こうして疑問を後回しに出来るのは、曲がりなりにも冒険者をやっていた成果と言えるのかもしれない。
部屋の中に魔物の気配はなかった。もちろん人の気配も。
加えて、雰囲気も一変していた。
「ここは…………?」
錆びついてはいるが、金属で出来たテーブルらしきもの。大小様々な割れたガラスの筒に、煤こけたこれはマグカップだろうか。
何か、ひどく異質な空間だった。如何にも古代遺跡といった雰囲気のこれまでと比べ、どこか――――そう、どこか近代的なのだ。極めつけは、部屋の壁にかかった謎の巨大な四角い板だ。なんとなく、モニターのように見えなくもない。
この世界はよくあるファンタジー小説の世界に近い。少なくとも、地球のように科学が発展している世界ではない。もちろん俺もこの世界に詳しいわけではないが、少なくともそういったモノはこれまで目にしていない。地球出身である俺にとって、ひどく身近なモノであるはずのそれは、しかしその明らかな異物感ゆえ、なぜだか少し怖かった。
「…………何かの研究室、なのか?」
部屋全体が汚れすぎていて定かではないが、どことなく何かの研究室っぽいような、そんな気がした。
そのまま部屋を見渡しながら、ゆっくりと歩く。奥に見える、大きな入れ物が妙に気になったのだ。
「カプセル……いや、ベッドか?」
それは大人がすっぽり入れるほど大きな、筒型のベッドがふたつ。
地球には酸素カプセルなんてものもあったが、目の前のベッドはあれによく似ていた。見様によっては棺のようにも見える。ひとつは蓋が開いた状態で、もうひとつは閉じたまま。蓋部分のガラス窓はひどく汚れていて、内部の様子は分からない。だがふと気がつけば、俺はその閉じている方のベッドに手を伸ばしていた。
「……いやいやいや、マジかよ俺。こんな怪しすぎるモンを開ける気か?」
なんだかんだと言いつつも、やはり動転しているのだろうか。宝箱を見つけたわけでもあるまいし、自分の行動がよく分からなかった。
しかしよくよく考えてみれば、一体何を恐れているというのだろうか。ほんの数分前には死を覚悟していたわけで、仮に今から戻ったところで結局は落とし穴の中だ。脱出する手段がない以上、状況は先程から然程も変わってはいない。
「……まぁ確かに? ここまで来て開けないのは嘘だよなぁ」
一度そう考えてしまえば、急激に怖くなくなるのが人間だ。否、知らずのうちに独り言が出ているあたり、やはりまだ少し怖いのかも知れない。
とはいえ、だ。『好奇心は猫をも殺す』などと言うが、どうせ一度死んだような身。今更何が出てきたところで。
「ええい、ままよ!」
意を決し、掛け声と共に筒型ベッドを開く。
どうやら相当に傷んでいたらしい。錆びついた金属が耳障りな音を立て、蓋が『がらん』と床に落ちた。
自分が立てた物音にビクつきつつ、そっと、そうっと中を覗き込む。
「…………女の子?」
怪しいベッドの中に隠されていたモノ。
それは瞳を閉じて眠る、小さな女の子だった。




