第17話 歳とってから目覚める系男子
大怪我にしか見えないアッシュだが、流石は異世界の強者といったところか。
彼は並走を始めたばかりか、徐々にバテ始めたアムを抱きかかえ、そのまま走り出した。かたや幼女を肩に担いだ中年。かたや優雅にお姫様抱っこをキメる美青年。不思議と負けた気がするのは何故だろう。
「ふぅーらくちん…………ともあれ無事でなによりだよ。で、どうだった?」
「見ての通りボコボコにされたよ。流石は最強の魔物といったところだね、技術も何もあったもんじゃあない。圧倒的な種族差を思い知らされたよ。武器さえあれば、少しはやりようもあったんだけど…………予備の剣じゃあどうにもならない」
「仕方ないさ。そもそも単独で戦うような相手じゃないしね。とりあえず回復だけでもしておこうか」
アッシュに抱えられたまま、腰元に付けたポーション瓶を取り出すアム。そうして勢いよく蓋を開けたかと思えば、そのままアッシュの顔面にぶちまける。当然抱えられているアムにもポーションが掛かっていたが、非常時にそんなことを気にする余裕はない。なおポーションの基本的な用法として、怪我なら患部に直接塗布、病気には服用が効果的だとされている。効果にそれほど大きな差はなく、出来る限りそうするのが望ましい、といった程度のものだが。閑話休題。
ポーションの効果は劇的で、アッシュの出血はすぐに止まった。
とはいえ、失った体力まで回復出来るわけではない。加えてアッシュは武器も失っており、仮に剣が健在だったとしても、そもそもドラゴンには通用しなかったと言う。つまり俺達を襲うこの苦境は、未だ去ってなどいないということだ。
「さて…………いよいよ万事休すといった感じだね。アッシュですら微塵もダメなら、正直打つ手がない」
これまでヘラヘラと笑っていることが多かったアムだが、ここに来てひどく真剣な表情を見せた。知り合ったばかりでまるで実感は無いが、彼女はこれで王国の筆頭魔技師なのだ。戦闘は門外漢などと言ってはいたが、当然ながら頭脳は明晰。彼女の頭の中では今、いくつもの作戦がぐるぐると泳いでいるのだろう。そんな彼女をして打つ手がないというのであれば、本当にそうなのだろう。
そうして僅かな逡巡を見せたあと、アムは突然こう言った。
「…………ニャー達は村へ戻って、この事を伝えてくれ。すぐに動けば、どうにか避難出来るかも知れない」
言葉の裏に隠された意図は読み取れる。
つい今しがた『時間稼ぎすら難しい』と結論は出たハズなのだ。ならばとにかく逃げるしかない。しかし俺達がこのまま逃げ続ければ、まず間違いなくレーテ村にも被害が及ぶ。或いは依頼という形で、俺を無理矢理連れてきた事に負い目を感じているのかもしれない。
だから残る、自分たちが。
ここに来たのは自分たちの意思。無関係の君達を逃がすのは自分達の役目。アムは言外にそう言っているのだ。
(…………それしか、ないのか?)
自問。
成程確かに、俺達はアムの依頼を受けてやってきた。客観的に見た時、誰に責任があるのかと言えばまずアムになるだろう。だがここで、どうしても違和感を感じる。果たして本当にそうだろうか。アムだけの責任だと、本当に言い切れるだろうか。弱みに付け込まれたとはいえ、断ろうと思えば断れたハズではないか。あんな冗談めかしたやり取りのみを粒立てて、全ての責任をアム達に押し付ける?
(…………いいワケないだろ、そんな事!)
結局のところ、ここまできたのは他でもない俺自身の意思ではないか。
臨時パーティの誘いを受けて、ダンジョンに赴いた時もそう。そして今、アム達を案内したのもそう。本心では『手伝いたい』と、『役に立ちたい』と、俺はそう思っていたハズなのだ。
人の本質は簡単に変わらない。
誰かの役に立ちたいという思いは、昔からずっとこの胸の中にあった。
否、むしろそうした感情は人一倍だったかもしれない。なのにいつしか、そうした感情に蓋をするようになった。
『どうせ上手くいかないから』
まるで呪いのように纏わりつくこの体質(?)を、便利な言い訳として使うようになった。
本心では挑戦したいと思っているくせに、最初から諦めたり、そうでなければ渋々を装ったり、そうして自分を誤魔化すようになった。
これまではそれでもよかった。大学にしろ就職にしろ、妥協すればいくらでも道はあったから。唯一兄貴だけは、上京してからもずっと心配してくれていたけれど。それでも俺の程度が下がるだけで、誰に迷惑をかけるでもなかった。俺一人が妥協したところで、平和な日本では誰も命を落とさない。
だが、今は違う。ここでは誰かの妥協が人を殺す。
そしてこんな俺でも、出来ることがあるハズなのだ。
肩の上、顔面にタヌキを張り付けて藻掻くぷぅちゃんをちらと見る。
俺に足りないのは『運』なんかじゃない。今の俺に必要なのは、何があってもやり抜く『覚悟』だ。本当は、誰より現状に不満を抱いていたのが俺だろう。ぷぅちゃんと俺の正体がバレたら困るだって? 仮にバレても彼女を守るのが、今の俺の役目だろうが。理由は分からないが、ともあれ世界は変わったのだ。俺も変わらないと、折角の異世界が勿体ないじゃないか。
そう思った途端、今まで抱えていたものが劇的に軽くなった気がした。
「おいニャーくん。急に黙り込んで一体どうしたんだい」
心配そうにこちらを覗き込むアムを無視し、相棒へと声をかける。
「…………ぷぅちゃん、ちょっと俺の頬ひっぱたいてくれ」
「もごご」
ばちぃん!
森の中、風を切り裂いて乾いた音が鳴り響く。
頬から届いた衝撃が脳を揺らし、意識が吹き飛びそうになった。
おいコレ、ビンタってレベルじゃねーぞ。煙草もどっか飛んでいったし、そもそも今ノータイムで『くらえ』って言ったよね。
「えぇ……だ、大丈夫かい? 子どもの張り手とは思えない音がしたぜ……?」
「ぐふっ、うぉあ…………あ、アイムオーケー」
ふらつき倒れそうになる足を奮い立たせ、どうにか気合で走り続ける。
次いでぷぅちゃんの顔に張り付いたジークを引っ剥がし、手短に小声で問いかける。
「ぷぅちゃん。俺が詠唱時間を稼いだら、アレ倒せるかい?」
「いいの?」
ぷぅちゃんの言う『いいの?』とは、つまり魔法を使っても良いのかという事だ。彼女は出発前に伝えた『魔法は控えてね』という俺の言葉を律儀に守ってくれていたのだ。いやまぁ、見えないところで煙草の量産はしていたようだが。
「うん。この二人ならきっと大丈夫と思う。それに————何かあっても、俺がなんとかするから。するように、頑張ります」
「かっこよ」
幼女にイジられるおっさんとは。
とはいえ実際、長く凝り固まっていた考えを改めたばかり。多少の冷やかしは受け入れざるを得まい。
「やかましいわ。それで、どう?」
「よゆう」
「流石、頼りになるぜ。じゃあぷぅちゃん————俺達でやろう」
「いいよ。たのしみ」
ひどく物騒な話ではあるが、これまで何かと滅ぼしたがっていたぷぅちゃんは、やはりというか乗り気であった。相変わらずの無表情だが言葉通り、心做しかワクワクしているようにも見える。俺にはあのドラゴンが、果たしてどの程度強いのかが分からない。だがぷぅちゃんが『余裕』というのであれば、俺はそれを信じるだけだ。そもそもぷぅちゃんは思ったことをそのまま口に出すタイプであり、嘘を吐いたことなどこれまで一度もないのだから。
「ふぅぅ…………よし。アム、アッシュ、ちょっと聞いてくれ」
「え? あ、ああ」
「情報量が多すぎて何が何やらわかりませんが、お聞きしましょう」
戸惑うアムと、戸惑いをすぐさま頭の隅へと追いやるアッシュ。
このあたりの切り替え速度は、研究職と戦闘職の違いだろうか。
なにはともあれとにかく時間がない。故に俺は、手早く用件だけを告げた。
「俺とぷぅちゃんでアレを倒す。その代わり、これから起こることは全部内緒で頼む。国への報告とかもナシ…………どうだ?」




