第16話 やっぱり変態じゃないか
正式な任務ではない、ほとんど散歩のようなもの。
突然押しかけてきた幼馴染に、半ば無理矢理連れ出されただけ。であれば正式な装備など持ち出せるはずもなく、着の身着のまま、素振りをする際に使っている予備の剣だけを手にやってきた。それでも、ここらに出没するほとんどの魔物は相手にならない。
当然だ。
本来であれば、彼はこんなところで遊んでいてよい人物ではないのだから。
ゴブリンやオークはもちろんのこと、たとえ強敵と言われるオーガであっても鼻歌混じりで切り捨てる事が出来る。それだけの実力が彼にはあった。
お世辞にも名剣とは言い難い、訓練用の長剣。
手入れを怠ってなどいないが、しかし最強の魔物を相手取るには荷が重かった。
アッシュの放った目の覚めるような一閃は、まるで宝石の様に輝く赤鱗に阻まれた。
「くく……くははははは!」
心底嬉しそうで楽しそうな、ある種の狂気すら感じる笑い声。
爛々と輝き、興奮を隠そうともしない妖しい瞳。
今は微塵も見当たらない。ずっと崩さなかった柔和な微笑みも、落ち着き払った優しい声音も。
「くくっ! まるで刃が通らないじゃないか! これがドラゴン、これが最強の魔物!」
二度、三度。
続けざまに斬りつけるが、やはり結果は同じ。
一方のドラゴンといえば、アッシュのことなどまるで知らんふり。
最強種たるドラゴンからすれば人間など、羽虫或いは塵芥も同然。何の痛痒も感じていない。
そればかりか剣は痛み、既にいくつか刃毀れが発生している始末である。無論アッシュの腕が悪いわけではない。彼が握っているのはそこらの武器屋でも売っているような、何の変哲もない鉄剣なのだ。最強の魔物を相手に、まだ折っていない技術を褒めるべきであろう。
「正直ムカつくよ。これじゃあまるで俺が下手クソみたいだろ」
しかしアッシュは満足せず、顔を歪めた。
苛立ちをぶつけるかのように、速度を上げて何度も斬りかかる。
目にも留まらぬ神速の斬撃が奔り、その度に小さく火花が散り、そして刃が欠けてゆく。
そこで漸く、ドラゴンがアッシュの方をちらと眺めた。
頭上から向けられたその視線はまさしく睥睨。国内で一、二を争う剣の腕を誇る、アッシュのプライドを著しく傷つけた。
「何だよその目は。デカいだけのトカゲが良い気になりやがって」
そう口汚く罵りつつも、アッシュは好戦的な笑みを浮かべた。
『無関心』から『鬱陶しい』へと、漸く敵の認識が変わったことを感じ取ったからだ。故にアッシュは剣を振るう。彼がこの場に残ったのは足止めの為だ。敵の意識が自身に向いたのであれば、それはアッシュの目論見通りであるのだから。その後の作戦は頼もしい幼馴染が考えてくれる筈。そう信じているからこそ、彼はこの場に一人残った。
(…………全力だと、持ってあと数振りといったところかな。こんなことならアンを持ってくるんだった)
自身の手にある長剣を長め、次いで今は手元にない愛剣を想う。
ドラゴンと戦うなどと、そんな経験はそう得られるものではないし、剣士であれば誰もが『竜殺し』を夢見るものだ。だからこそ今の自分に出来る全てを、今ここで発揮したかった。装備さえ万全なら、そこそこいい勝負が出来たかも知れないのに、とも。とはいえ所詮はないものねだり、今更言っても詮無き事なのだが。
そうして今度は足の先、爪の隙間に剣を突き立てる。
もちろん通じた様子はないが、人間同様やはり神経が集まっているのだろう。先程までの攻撃よりは、幾分ドラゴンの気を引くことに成功する。続けて、間髪に入れずに連撃。そうしてアッシュの流麗な剣技が、ついに鱗の一枚を弾き飛ばした。ようやく一枚、されど一枚。ドラゴンが足元の羽虫を、改めて敵と認識するには十分な成果であった。
「ハハハッ! どうだ、効いただろ————っと!」
鋭利な爪が鼻先を掠める。
頭上を見上げればそこには、敵意に満ちた瞳がアッシュを見下していた。
「いいね、かかってこいよ。遊んでやるからさ」
* * *
「————とまぁ、あっちは今頃こんな感じになってるハズだ」
森の中を駆け抜けながら、そう得意気に話すアム。
というかコイツ、意外と足速いな。激重どすこい系幼女(+タヌキ)を肩に担いでいるとはいえ、ヤニ加護状態の俺とほぼ同等とは。
「待って待って。いろいろツッコみたいんだけど…………まず今の話にちょいちょい出てきた、ガラの悪いチンピラみたいなのは?」
「ん? そりゃアッシュに決まって…………ああそうか、そういえば今回の道中ではほとんど出番が無かったね。アイツは剣を持つと性格変わるんだよ」
「あのニッコリ敬語美男子からチンピラに……だと? 愉快すぎるだろ」
激しく見てみたいところだが、今はそんなことを言っている場合ではない。
アムの話によれば、アッシュは万全の状態ではないらしい。なんでもお忍びでの野外調査旅だったため、必要最低限の装備しか持ってきていないのだそうだ。鎧を装備していないのはもちろん、剣もまた予備の訓練用であるらしい。よくもまぁそんな状態で足止めを買って出たものである。
「大丈夫なのか?」
「アイツはアレで、第二騎士団の団長様なんだぜ。剣の腕なら国内でも一、二を争うほどだ。そんなアイツが自分から残ったってことは、何かしら成算があるってことなんだろうさ」
「……は!? いやいや、それって滅茶苦茶すごい人なんじゃないのか!?」
「まぁね。とはいえボクからすればただの幼馴染さ」
そんなヤツを自分都合で振り回すなよ、という言葉をぐっと飲み込む。
これまでのアッシュの様子を見た限り、二人の間には確かな信頼が垣間見えたから。
「そもそもボクらがあの場に居たって、足手まといにしかならないだろうしね」
成程確かに、それはそうだ。
ヤニの加護があるからといって、ドラゴン相手に出来ることなど何も無い。オーガを倒せたのだってほとんどマグレみたいなもので、ヤニ加護状態での戦闘について特訓したわけでもない。更に加えて、あれからまともな戦闘を一度もしていないのだ。能力についての検証も不十分で、元々の実力も不十分。精々ゴブリンと同レベルの戦闘力しかなかった俺など、あの場に居ても邪魔にしかならなかっただろう。
アムもいろいろとアイテムを持ち込んではいたらしいが、あの場に残ってアッシュの支援を行うのはリスクが大きすぎる。仮に狙われなかったとしても、ドラゴンが適当に尻尾でも振るえばそれで終わりなのだから。その身じろぎひとつでさえ、一般人にとっては大きな脅威となる。
「アッシュが時間を稼いでいる間に、どうにかして倒す方法を考える。それがボクらの仕事ってワケさ」
「まさかアレと戦うのか!? どう考えても無理だろ! 逃げる以外に選択肢なんて————」
「おいおいニャーくん、忘れたのかい? よしんばこの場から逃げられたとして、その先にあるのはレーテ村だぜ?」
「あっ」
この場を乗り切ることしか考えていなかった俺は、アムの言葉にハッとする。
そうだ。今ココであのドラゴンを振り切れたとして、ではその先はどうなる。もし俺達を追ってドラゴンが森から出てくるような事になれば、最初に辿り着くのはあの村だ。
「ドラゴンってのは滅多に山から下りてこないけれど、その分一度目を付けた獲物には、それがモノであれ生物であれひどく執着する。そしてボクたちは今、ヤツの目に留まってしまった。ドラゴンに人間の区別なんてつくわけもないだろうし、ここで何とかしなくちゃあの村はお終いさ。ボクらのせいで、ね」
思えば最初からそうだった。
村長に助け舟を出したことに始まり、なんだかんだでアムの依頼を引き受けたこともそう。ゴブリンの巣穴を駆除したこともそうだ。俺が積極的に動くといつもこうだ。いざやる気を出せば、最後の最後で必ず上手くいかない。頑張る気力はあっても、いつも結果が伴わない。依頼を持ってきた手前、アムは『ボクらのせいで』なんて言っているが、実際には違う。そもそもドラゴンが山を下りてきたのは、おそらく例の『異変』せいだ。つまり責任は俺にあるということ。
「…………ああクソっ、やっぱロクなことにならねぇなぁ!」
「悪態を吐きたい気持ちは分かるけれど、嘆いていても始まらないぜ。というわけでニャーくん、何か妙案は————」
瞬間、俺とアムの間を何かが通り抜ける。
人間大の、ボロ布に包まれたゴミのようなもの。凄まじい速度で飛来したそれは地面を滑り、転がり、砂を巻き上げ。そうして俺達の目の前で何度かバウンドした後、華麗な受け身と共に、俺達と並走を始める。
「いやぁ申し訳ない、ダメでしたアハハ」
服や外套はボロボロで、頭部からは鮮血を滴らせ、手にした長剣は根本からポッキリと折れている。
そうして飛んできたゴミのようなもの————アッシュはにこやかにそう言った。




