第12話 盾と矛
『村の近くにある遺跡』とは言うものの。
この世界で言うところの『近い』は、地球のそれと比べれば随分異なる。あくまでも『最寄りの人里』という意味であり、実際には二、三日かかる、なんてことはザラだ。
とはいえそれも当然のこと。
この世界に於ける長距離移動手段といえば専ら馬車であり、車や電車があるわけではないのだ。馬車の速度など精々が時速七キロメートル前後。人間で言うところの早歩きとさして変わらない。今でこそ多少は慣れもしたが、この世界に来た当初はこうした感覚の違いに随分と戸惑ったものである。
「おっ、見たまえニャーくん。シルジラ草が生えてるぜ」
「いや、そんな『串焼きの屋台が出てるぜ』みたいに言われてもな…………」
アムの指さす先には、ハート型の小さな葉がひっそりと生えていた。
彼女はさも当然のように言うが、しかしシルジラ草とやらが何なのかなど俺に分かるはずもない。
「なんだ、行商もしていたんじゃなかったのかい?」
「真似事ね、真似事。雑に転売してただけで、目利きなんて出来ないよ。んで、結局何なの?」
「強力な毒草だ。触るだけでも危険だし、もし体内に入れようものなら、毒耐性の高い悪食オークも即死だぜ」
「うおおおおお危ねぇ!」
伸ばしていた手を慌てて引っ込める。
こちとら異世界初心者なのだ、そんな危険なものなら先に言っておいて欲しい。まぁ、俺が異世界人だということは彼女の知る所ではないのだが。
「はっはっは。比較的珍しい植物だが、冒険者なら知っておいて損はないぜ」
「…………覚えておくよ」
成程確かに、アムの言う通りだった。遺跡から逃げ帰る道中で、この草に触れていたらと思うとぞっとする。
これから先は恐らく、今までの様な行商の真似事だけでは生活出来ないだろう。これまではギリギリやれていたが、しかしその程度の稼ぎでぷぅちゃんの胃を満たすのは不可能だ。情けない限りではあるが、ぷぅちゃんの満腹具合は俺の生存率に直結する。加えて彼女の記憶を取り戻すため、そして兄貴の手帳を解読するためにも、旅に出なければならない。馬車も新調しなければならないだろう。そうした諸々の事情を考えれば、冒険者としての稼ぎがどうしたって必要になる。であればこそ、こうした知識は必須だった。
「誰だって最初はそんなものですよ。冒険者を続けていれば自然と身につきます」
自分の甘さを痛感し、知らずのうちに顔が険しくなっていたらしい。
そんな俺を見たアッシュが、慰めるようにフォローを入れてくれた。この男、イケメンが過ぎる。
「だといいんだけどなぁ。そういえばアッシュさんは元冒険者でしたか」
「はい。といっても下積み時代に数年、といった程度のものですが。それとニャーさん、私に敬語は必要ありませんよ」
アッシュとは出会って一日も経っていない。本音を言えば、彼とタメ口で話すのにはまだ抵抗があった。ならアムに対してはどうなのかって? 彼女の場合は拭いきれないメスガキ臭が前面に出ているせいで、敬語だとかえってやりにくいのだ。ともあれそうして固辞しようとした途端、アッシュが少し寂しそうな顔を見せた。このハイスペックイケメンは、どうやら人懐っこくもあるらしい。であればと、渋々ではあるが彼の提案を受け入れる。
「いや…………んんん。じゃあそっちもそうしてくれ」
「私のこれは性分ですので、このままでお願いします」
その直後にこれだ。ズルくない?
それを言ったら俺だってそうなんだが? 顔見知り程度の相手であれば敬語を使ってしまうのが日本人の性なんだが?
ちなみに俺の冒険者としてのランクはF、つまりは最下級である。冒険者としての活動を早々に諦めたからというのもあるが、何よりも戦闘能力がカスだったために、ほとんど依頼を達成出来なかったからだ。もちろんこの事は、既にアムやアッシュにも伝えてある。しかし二人はFランクだからといってバカにしたりはせず、むしろ先程のように度々知識を与えてくれるようになった。なんだかんだと言いつつ、アムもまたいいヤツである。
あとぷぅちゃん。
こっそりシルジラ草をカバンにしまうのはやめなさい。
* * *
『めぷぅす』の煙を燻らせつつ、空を見上げる。
あちらの世界ではなかなか見られなくなった満点の星空に、大きさの異なる月っぽい何かがみっつ。こちらの世界に来てから二か月と少し。こうして夜空を見上げる度、まるで夢の中にいるような気分になる。
隣を見れば、何やらカバンをごそごそと漁っているぷぅちゃんの姿が。膝上には茶色い毛玉。
彼女は眠らない————というよりも眠る必要がない夜行性幼女だ。ゆえにこうして周囲の見張り、火の番に付き合ってくれている。なおこの可愛らしいショルダーバッグは、村長の娘さんから出掛けにもらったものだ。何にも興味のなさそうなぷぅちゃんだが意外や意外、どうやら結構気に入っているご様子である。そうしてぷぅちゃんはカバンから何かを取り出し、俺に向かってずいと差し出した。
「ん」
「え? それ、もしかして煙草?」
「そう。しんさく」
ぷぅちゃん曰くの新作煙草を受け取りパッケージを眺めてみれば、そこには『きゅあめぷぅす』の文字。
「キュア?」
「ぽーしょんでつくったので」
出発時、アムから先払い報酬として渡された回復薬。どうやら市販されているものよりも上等な品だったらしく、効能も俺の知っている回復薬より数段上だった。俺の骨折治療に使用してなお、少しだが余剰があったほどだ。とはいえ予備として持つには半端で、捨ててしまうには勿体ない量である。そうしてどうしたものかと悩んでいたところ、その余りをぷぅちゃんが欲しがったというわけだ。一体何に使うのかと疑問に思っていたのだが、ようやく得心がいった。どうやらこの『きゅあめぷぅす』はその余り分を使って作られたものらしい。回復薬に由来しているからだろうか、パッケージもレギュラーの『めぷぅす』と違って緑色が基調になっていた。どことなくメンソール煙草のようで、正直ワクワクする。
「からだにいいかも」
「マジで?」
ぷぅちゃんの言葉に驚きはしたが、しかしよくよく考えてみれば明らかに矛盾している。
成程確かに、回復薬から作られた煙草など如何にも身体に良さそうだ。だがそもそもからして煙草とは健康によろしくないもの。回復薬と煙草は正と邪、光と影。相反するそれが同居することなどあり得ない。清純派AV女優じゃあるまいし、身体に良い煙草などは存在し得ない。互いに効果を打ち消しあい、どれだけ良くてもプラマイゼロが精々じゃないだろうか。
そうは思うものの、だ。
折角ぷぅちゃんが作ってくれたものだ、嬉しいに決まっている。
「ありがとね、ぷぅちゃん。それじゃあ折角だし、遠慮なく」
先程まで吸っていた『めぷぅす』の火を、新しく手に取った『きゅあめぷぅす』へと移す。
そうしてゆっくりと、味を確かめるように息を吸い込んだ。
最初に感じたのは豊かな緑。
まるで草原に居るかのような、爽やかで瑞々しい草の香り。次いでやって来たのはフローラルな花の香りだ。ポーションの原料である薬草や花に由来するものだろうか。メンソールのような冷感はないが、強い清涼感が鼻を抜けていく。そう、例えるならこれは————。
「どう?」
「…………便所かな?」
一言で言えば、『きゅあめぷぅす』はトイレの芳香剤だった。
「おお。せいこう?」
「いえ、普通にマズいです」
「ざんねん。つぎにきたい」
俺のレビューに満足したのか、ぷぅちゃんはそう言い残して馬車の方へトコトコ戻っていった。
果たして、彼女の煙草製作への熱意はどこから来ているのだろうか。俺としてはありがたい話であるが、甚だ謎ではある。
改めて、彼女は一体何者なのだろうか。
兄貴は一体、何の為に彼女を作ったのだろうか。
そんな疑問を反芻しつつ、手にしたナイフを軽く投げる。
焚き火の炎を刃に写しながら、ナイフが五十メートルほど先にある木へと突き刺さった。描いた軌跡は直線、速度はまるで銃弾のよう。投擲用でもないただの果物ナイフだというのに、それは回転することすらなく、ただただ真っ直ぐに。狙いはほんの僅かにすらズレることはなく、ほとんど刃の根本までずっぽりと。
「…………きもちわる」
他でもない自分が行ったその結果に、やはり嫌悪を覚える。
あの日から何度か試してはいるが、中々慣れそうにない。
そうして顔を顰めていると、ふと横合いから声をかけられた。
「見事なものだね」
ぷぅちゃんと入れ替わりでやって来たのはアムだった。
アムは感心するように、遠くナイフの刺さった木を見つめる。
「ボクは戦闘に関して素人だけど…………この距離、この暗さでアレなら結構なモノではないのかい? 少なくともただのFランク冒険者には見えないな」
「どうだか。正直、俺の身には余る」
「うん? それはどういう意味だい?」
「いやこっちの話さ、気にしないでくれ。交代だろ?」
「ん…………ああ、そうだね。アッシュを起こしてきてくれるかい?」
「あいよ」
恐らくは純粋に褒めてくれているのだろうが、しかしアムは相当な有識者だ。対する俺は異世界初心者。一問一答がどう転ぶかわかったものじゃない。仮にこの『ヤニの加護』が前例のない能力だったとすれば、根掘り葉掘りと聞かれる可能性がある。そこからぷぅちゃんの正体まで芋づる式に露見すれば目も当てられない。そもそも俺自身がこの能力の事を何も知らないのだが————どうあれ、可能な限りリスクは避けるべきだろう。
そうして怪訝そうな顔を見せるアムを尻目に、俺はゆっくりとその場を後にした。
なお『きゅあめぷぅす』はクソ不味い割に、回復薬の性能はしっかりと受け継いでいた。無駄に体力が回復したお陰で目がギンギンに冴え、この夜は一睡も出来なかった。




