第6話 至福のひと時
フルコースが運ばれてからしばらくの間、口を開く者は誰一人としていなかった。
最初は広大で荘厳な空間と、レイン、そしてザグレイさんの醸し出す上品な雰囲気に圧倒されているのかと思った。
だが、どうやらそういうわけでもないらしい。
単純に、全員が夢中になっていたのだ。
目の前に差し出された高級料理に。
「こちらのオーク肉のソテーは、特に力を入れておりまして」
「それって何オーク?」
ユキが無邪気に問いかけた。
ザグレイさんは口元をナプキンで拭い、静かに答える。
「ロイヤル・オークです」
「へえ、あれが素材なの!」
珍しく、アディが大きめの声を発した。
それに続いて、アランやジョン、アリスまで感嘆の声を漏らす。
「ロイヤル・オークですか」と僕は言った。「あれは、オーク種の中でも二番目の強さを誇るモンスターですが。まさか、単身で?」
ザグレイさんは「まさか」と首を横に振った。
「あれを単身で仕留めるほどの体力は、今の私には残されておりません。腕利きの冒険者に依頼を出したのです。ご存じの通り、レイン坊ちゃまは湯水のごとく金品を所有しておりますから」
「こら」
レインの声が飛ぶ。
「はしたないよ、ザグレイ。食事中はもっと上品にいこう。それに、金品についてはまた後日と取り決めたじゃないか」
「失礼いたしました。つい、坊ちゃま自慢をしたくなりまして。私も年を取りましたな」
「ふひひ」とジョンが笑う。
「そりゃあ、お互い様ですな。ワシもほら、見ての通り。せっかくのロイヤル・オークのソテーも、こんな賽の目に切らんと食えんのですわ」
「ちょっと、その汚い歯を見せないでくださる? 食事中ですよ?」
強調するように、アディがレインの言葉を真似た。
相変わらず刺々しい物言いだ。
「すまん。ワインのお代わりをくれ」
ザグレイさんはアランのグラスに、ルビー色の液体を注いだ。
無駄のない、速やかで美しい所作だった。
まるで水が流れるようで、思わず見入ってしまう。
「お気に召されましたか?」
「ああ。この料理とは相性抜群だな」
「相応に研究していますから」
レインが少し自慢げに言った。
「私も料理始めようかな」
「ユキには無理よ。アンタ、不器用じゃん」
「同感ですわ。そもそも、不器用云々の次元にすら至っていませんから」
「そーお?」
もぐもぐと咀嚼しながらユキは首を傾げる。
言われるほど不器用ではないと思っているのだろう。
実際、僕の目から見れば、不器用そのものなのだけれど。
「さて、と」
最後にそれぞれがプティフールを口にしたところで、ザグレイさんは卓上の皿を片付け、軽く咳払いをした。
「これより先は自由時間になります。各自、好きに屋敷の中を見学してくださって構いません」
僕にとっては嬉しい申し出だった。
一階だけでなく、二階や三階にも飾られているであろう絵画を見てみたかったからだ。いい機会をもらえた。そう思っていると、ザグレイさんは表情を引き締めた。
「ただし、その前にいくつかご説明をさせていただきます」
真剣な眼差しが、僕たちを順に見回す。
「まず、このルクシオン島では、魔法を発動することができません。常時発動型の場合は別ですがね」
常時発動型、か。
僕はアディのほうを見やる。
アディはこのパーティで唯一、常時発動型という条件に当てはまる。
隣にはアリスが腰かけていて、二人同時に「あっ」と声を漏らした。どうやら本当に魔法が発動しないらしい。
「反魔法力場という魔法が、常時この島全体を包み込んでいるのです。いま皆様がこの島で新たに魔法を発動することはできませんが、この力場そのものは例外として残り続けています」
ザグレイさんによれば、この十字架屋敷には、金品では替えの利かない特別な価値があるらしい。そのため、森に潜むモンスターからの遠距離攻撃、特に魔法攻撃を防ぐ目的で、島全体に反魔法力場を展開しているのだという。
「ですが、ご安心ください。魔法が使えぬ以上、森に生息するモンスターなど、ただの熊や狼と変わりません。アラン様御一行が苦戦するはずもありますまい。この私ですら、素手で撃退できますからな」
「当然だな」
アランが腕を組み、自慢げに鼻を鳴らした。
「次の注意点です。この屋敷の窓には、すべて格子が取り付けられております。窓を開けることはできますが、そこから出入りすることはできません」
これもまた、屋敷を守るための措置だった。
外壁の傷なら簡単に補修できる。
しかし、モンスターが屋敷内部に侵入した場合、どれほどの損壊が生じるか分からない。だからこそ、すべての窓に鉄格子が設けられているのだという。
「反魔法力場が展開されている以上、魔法であの鉄格子を破壊することもできません」
「なるほどのう。確かにこの屋敷は豪勢じゃ。傷一つでも堪らんじゃろて」
「だよねぇ」とユキ。
「汚れも目立ちそうだしねー。私だったら普通にへこむわ」
そんな彼らをよそに、アディが「ところで」と切り出した。
「室温はどうするのですか。今は真夏ですが?」
「ご安心ください、アディ様。それぞれの部屋に【火の魔石】と【氷の魔石】をご用意しております」
【火の魔石】とは、使用するだけで周囲を温めるアイテムのことだ。複数個を同時に使えば効果は重なり、やがて焚き火と同じくらいの暖かさになる。【氷の魔石】の効果はその真逆だ。
「へぇ。随分な気遣いですね。……それにしても、本当に真っ白な屋敷ですわ。目が疲れないのはありがたいですけれど」
「清掃一つとっても苦労するんじゃないですか?」
僕が問うと、ザグレイさんは「いえいえ」と微笑んだ。
「私は、レイン坊ちゃまに仕えることこそ幸福だと感じております。坊ちゃまに尽くせるのであれば、たとえ火の中、水の中。この命を投げ捨てることも厭いませぬ」
「はっ!」
アランが吐き捨てるように笑った。
「呆れた忠誠心だな」
「でも、なんかそういう関係って憧れるかも」
「そーダネ。お姫様とナイト様ってカンジ?」
「お前ら、ちょっとロマンチックが過ぎんか?」
「そんなことありませんよ。僕は、二人のことが羨ましいです」
僕が微笑みながら言うと、レインもまた、鏡に映したように微笑んだ。
「そう言ってもらえて光栄です。こう見えて、古い付き合いですから。思い返せば、かれこれ二十年近く一緒にいるのかな。まあ、お姫様とナイトというのは、少し恥ずかしいですが」
照れたように、レインは頬を掻く。
どこにでもあるような、平和な一場面だった。
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