第九話 持ち物、だいたい怪しい
人が増えた。
槍も増えた。
「人数と槍が増えたんだけど」
「一人一本。管理が行き届いてるな」
「感心してる場合かよ」
俺たちは地面に座ったまま、両手を上げていた。
隣にはリィナ。
正面には見張り。
その後ろから現れた三人も、全員こちらを警戒している。
人間に会えた。
人間だ。
なのに、さっきより命の危険が増えている気がする。
森では黒い犬みたいな何かに囲まれた。
今は人間みたいな何かに槍で囲まれている。
どちらがましかは、まだ分からない。
「――リィナ!」
新しく現れた一人が、声を上げた。
女の人だった。
年はおっさんより少し下くらい。
髪を後ろでまとめ、腰には小さな袋をいくつも下げている。
彼女はリィナを見るなり駆け寄ろうとした。
けれど、途中で俺たちに気づいて止まった。
正確には、リィナの隣で手を上げている俺と。
営業スマイルを顔に貼りつけたおっさんに気づいた。
そりゃ止まる。
俺でも止まる。
「……今、俺たちの顔見て止まったよな」
「顔だけが原因とは限らん」
「他に何があるんだよ」
「服装、言葉、出てきた場所、怪我人との位置関係」
「全部じゃねえか」
「だから顔だけを気にするな」
「慰めが下手!」
女の人は、最初の見張りに何かを尋ねた。
見張りが短く答える。
草むらを指す。
俺たちを指す。
リィナを指す。
見つけたときの状況を説明している。
そこはいらない。
できれば黙っていてほしい。
女の人がリィナに向かって何かを言った。
リィナも答える。
声が速い。
いつもより強い。
「証拠にはなったか?」
「状況証拠くらいにはなったんじゃねえか」
「営業では証拠より納得が大事だ」
「裁判に向いてなさそうなこと言うな」
女の人がリィナのそばへ近づいた。
俺を警戒しながら、ゆっくりと。
「大丈夫か?」
リィナは、俺を見て一度だけうなずいた。
女の人と、もう一人の男がリィナを支える。
リィナは女の人に支えられ、数歩だけ離れた場所へ座らされた。
完全に引き離された。
助けてもらえた。
そう思うべきなのだろう。
けれど、言葉の通じる唯一の現地人が遠くなったせいで、俺たちの状況はむしろ悪くなった気がした。
いや、リィナとも言葉は通じていない。
それでも、顔を見れば何となく分かることはあった。
今は、それすらない。
見張りの男の後ろから、体格のいい男が前へ出た。
四十代くらい。
短い髪。
腕が太い。
顔に古い傷がある。
そして、笑っていない。
おっさんと真逆だ。
男は俺たちを順番に見たあと、地面を指さした。
次に、自分の腰の袋を叩く。
それから、俺たちの服のポケットを指した。
「何?」
「持ち物を出せ、だろうな」
「分かるの?」
「営業で手荷物検査はしないが、空港ではする」
「知識の出所が普通!」
男がもう一度、俺のポケットを指した。
槍も少し動いた。
出せ。
そういうことだ。
「全部?」
「隠して見つかった方が面倒だ」
「財布まで?」
「この世界で金として使えると思うか?」
「思わないけど、個人情報が」
「住所が分かっても帰れないだろ」
「急に刺すな」
俺はゆっくり、ポケットへ手を伸ばした。
槍が動く。
「動くたびに槍がついてくるんだけど!」
「人気者だな」
「代わってやろうか!?」
「俺にも二本向いてる」
「一本多いじゃねえか」
「年長者だからな」
「尊敬じゃねえよ、それ!」
俺は相手に見えるように、ゆっくりと持ち物を地面へ置いた。
スマートフォン。
財布。
家の鍵。
少しくしゃくしゃになったレシート。
以上。
文明の結晶と、生活の残骸だった。
改めて見ると、異世界で役に立ちそうなものがほとんどない。
「少なっ」
「お前の人生が?」
「持ち物だよ!」
「十八歳にしては身軽だな」
「異世界転移に旅行鞄持ってくるやついねえだろ」
体格のいい男が、地面の品を見た。
明らかに困っている。
まずスマートフォンを指さす。
男は槍を持った仲間に何かを言った。
若い見張りが、慎重にスマートフォンへ近づく。
槍の先で、端をつついた。
「やめろ! 画面割れるだろ!」
思わず声が出た。
三本の槍が、一斉に俺を向いた。
「すみませんでした!」
「謝罪が早い」
「命がかかってるからな!」
若い見張りはスマートフォンを拾い上げた。
黒い板を裏返す。
横から見る。
匂いを嗅ぐ。
「嗅いでも分かんねえよ」
「食えるか確認してるのかもしれん」
「文明品を食材候補に入れるな」
見張りの指が、偶然画面に触れた。
暗かった画面が光る。
「――ッ!」
見張りがスマートフォンを落とした。
「俺のスマホ!」
地面だった。
土だった。
割れてはいない。
「待ち受け、何にしてた?」
「今そこ聞く!?」
「変な画像だったら外交問題になる」
「普通の風景だよ!」
「よかったな。異世界初の文化交流が変な画像じゃなくて」
「本当によかったよ!」
現地人たちは、光る画面を見てざわついていた。
顔に浮かんでいるのは、驚き。
それから、警戒。
俺にはただのスマートフォンだ。
でも、この人たちには、触れただけで光を出す黒い板だった。
説明できない。
言葉が通じても、説明は難しい。
電気から始める必要がある。
その電気を俺もよく分かっていない。
「文明人は文明を説明できない」
「普通は説明しなくても使えるからな」
「便利に甘えてた」
「反省は帰ってからしろ」
「帰れる前提で言うな」
一瞬だけ、言葉が止まった。
おっさんは俺を見た。
俺はスマートフォンを見た。
帰る。
その単語だけが、少し重かった。
けれど、今は槍の方が重い。
体格のいい男が次に、財布を指した。
中身を全部出せ、というように手を動かす。
俺は財布を開いた。
紙幣。
硬貨。
学生証。
キャッシュカード。
ポイントカード。
現地人たちの顔が、さらに困った。
「文明が出れば出るほど怪しまれてる」
「お前のポイントカード、役に立つかもしれんぞ」
「どこでだよ」
「十個ためたら村に入れる」
「そんな親切な村あるか!」
若い見張りは硬貨を一枚拾い、歯で噛んだ。
「本当にやるんだ、それ」
「偽物の金を疑ってるのかもな」
「こっちでは本物でも、ここでは偽物だろ」
「世知辛いな」
紙幣も、カードも、文字は読めない。
価値も分からない。
見張りは全部、元の場所へ戻した。
興味を失ったというより、判断を諦めたように見えた。
次は家の鍵。
最後にレシート。
男は紙を広げ、書かれた文字をじっと見た。
「それ、コンビニのレシート」
「重要書類に見えてるかもしれん」
「おにぎりとお茶買った記録だぞ」
「この世界では失われた古代契約書だ」
「489円の?」
「金額で価値を決めるな」
「営業が言うと重いな」
俺の持ち物検査は終わった。
役に立たないことだけは、十分伝わった気がする。
次に、男がおっさんを見た。
「俺か」
「隠し持ってるもん全部出せよ」
「言い方が警察なんだよ」
おっさんはゆっくりとポケットを探った。
財布。
小銭。
折れ曲がった名刺。
飴の包み紙。
そして。
ライター。
地面に置いた瞬間、リィナが顔を上げた。
現地人たちは、まだそれが何なのか分かっていない。
若い見張りが手を伸ばす。
「待て」
おっさんが言った。
けれど声の調子で何かを感じたのか、見張りの手が止まった。
代わりに槍が向いた。
「おっさん」
「いきなり触らせる方が危ない」
「火が出るから?」
「使い方が分からんやつが触れば、な」
おっさんは自分を指さした。
次にライターを指さす。
触っていいか確認するように、体格のいい男を見る。
男はしばらく迷った。
やがて、槍を構えたまま小さくうなずく。
「許可制になったな」
「信頼関係の第一歩だ」
「三本槍向けられてるけど」
「最初はそんなもんだ」
「どんな営業してきたんだよ」
おっさんはライターを拾った。
持ち方が見えるように、ゆっくりと。
親指を金属の輪へ置く。
カチッ。
小さな火がついた。
現地人たちが、一斉に動いた。
槍が上がる。
女の人がリィナの前に出る。
体格のいい男は腰の刃物へ手を伸ばした。
「消せ消せ消せ!」
「分かってる」
おっさんはすぐに指を離した。
火が消える。
けれど、警戒は消えなかった。
むしろ、今までで一番強くなった。
「完全に武器判定されたぞ!」
「小さな道具から火が出たら、そりゃ驚く」
「分かっててやったの!?」
「見せないと説明できん」
「説明してさらに怪しまれてんじゃねえか!」
体格のいい男が鋭く何かを叫んだ。
おっさんはライターを地面へ置く。
両手を上げ直す。
「はい。危険物ではありません。正しく使えば便利な道具です」
「営業トーク始めんな!」
男が槍の先で、ライターを自分たちの方へ引き寄せようとした。
そのとき。
「――!」
リィナが声を上げた。
全員が彼女を見る。
リィナは何かを強く言った。
ライターを指す。
焚き火を作る仕草をする。
水を飲む仕草。
魚を食べる仕草。
それから、俺たちを指さした。
自分の足に巻かれた布を叩く。
もう一度、俺たちを指さす。
声は大きくない。
けれど、はっきりしていた。
昨日、沢で向けられた刃物よりも、ずっと真っ直ぐだった。
「……庇ってる?」
「そう見えるな」
「俺たちを?」
「他に誰がいる」
「いや、だって」
「助けた分が返ってきたんだろ」
「損得で言うなよ」
「損得じゃない」
おっさんはリィナを見たまま言った。
「信用だ」
体格のいい男が、リィナへ何かを尋ねた。
リィナはうなずいた。
また俺たちを指す。
今度は、迷わなかった。
男はしばらく黙っていた。
俺たちを見る。
地面に並んだ、用途不明の文明品を見る。
スマートフォン。
財布。
鍵。
レシート。
そして、ライター。
どう見ても怪しい。
俺が見ても怪しい。
けれど、リィナはもう一度何かを言った。
男の肩から、ほんの少しだけ力が抜けた。
槍は下がらない。
ただ、俺たちを刺すための高さから、逃がさないための高さへ変わった。
「おっさん」
「おう」
「これ、信用された?」
「半分くらい」
「残り半分は?」
「拘束されながら稼ぐ」
「信用って面倒くせえな」
「だから価値があるんだよ」
男が野営地の方を指さした。
次に、俺たちを指す。
立て、というように手を動かした。
「入っていいってこと?」
「連れていく、だろうな」
「違いある?」
「客として入るか、不審者として入るか」
「俺たちは?」
おっさんは立ち上がりながら、周囲の槍を見た。
「不審者寄りの客だな」
「一番嫌な立場!」
俺たちは持ち物を拾った。
ただし、ライターだけは返されなかった。
体格のいい男が布に包み、自分の袋へ入れた。
「没収されたぞ」
「預けただけだ」
「返ってくる?」
「信用を稼げばな」
「また信用かよ」
リィナは、女の人に支えられながらこちらを見ていた。
目が合う。
彼女は、ほんの少しだけうなずいた。
俺も、何となくうなずき返した。
今、リィナが俺たちの側に立ったことだけは分かった。
俺たちは野営地へ入れてもらえた。
歓迎されたわけではない。
助けられたとも、まだ言い切れない。
正確には。
危険物と一緒に、監視下で持ち込まれることになった。




