第八話 槍はまだ下がらない
槍の先が、こっちを向いている。
木々の間から差し込む光を拾って、鈍く光っていた。
綺麗だ。
いや、綺麗とか言ってる場合じゃない。
あれはたぶん、俺を刺すための部分だ。
道を見つけてから、しばらく歩いた。
森の中を通っていた細い道は、少しずつ幅を広げていった。
地面には、何度も人や荷物が通ったような跡がある。
途中からは、木の幹に紐を巻いた跡や、枝を切り落とした場所も見つかった。
人がいる。
今度こそ、本当にいる。
そう思った。
少し先から煙が上がっているのを見たときには、ようやく助かったと思った。
水があるかもしれない。
食べ物があるかもしれない。
リィナの怪我を診てもらえるかもしれない。
言葉の通じる相手がいるかもしれない。
最後の一つについては、すぐに無理だと分かった。
「――!」
道の先にいた男が、槍をこちらへ向けて何かを叫んだ。
意味は分からない。
でも、動くなとか、そこにいろとか、変なことをしたら刺すとか。
だいたい、その辺だと思う。
人間、槍を向けられると語学力が上がるらしい。
内容は一切分からないけど、圧だけは正確に伝わった。
「おっさん」
「おう」
「これ、止まれって意味だよな」
「まず間違いない」
「生きるための語学?」
「上達したな」
「嬉しくねえよ!」
俺たちは動きを止めた。
正確には、三人同時に止まろうとして、少しよろけた。
リィナが杖を地面へつく。
俺とおっさんが、左右から肩を支える。
どうにか倒れずに済んだ。
見張りらしい男の槍が、さらに上がった。
「いまの、襲いかかろうとしたように見えた?」
「三人そろって一歩出たからな」
「止まろうとしたんだよ!」
「向こうには分からん」
「最初から状況悪くない?」
「かなり悪い」
「即答すんな!」
見張りは、俺よりは年上に見えた。
でも、おっさんよりは若い。
革のようなものを重ねた服。
リィナの服よりも厚めに作られている。
腰には短い剣。
手には長い槍。
道の先には、木を組んだ柵があった。
柵の向こうには、布を張った小屋のようなものがいくつか見える。
リィナが地面に描いた四角は、たぶんここのようだ。
たどり着いた。
目的地までは。
ただし、歓迎はされていない。
当然だった。
俺たちは見慣れない服を着た男二人で、怪我をした女の人を両側から支えている。
事情を知らない人間から見れば、助けているようにも見える。
無理やり連れてきたようにも見える。
むしろ、後者の方が強いかもしれない。
「これ、俺たち悪者に見えてない?」
「見えてるだろうな」
「もう少し考えてから答えろよ!」
「考えても答えは変わらん」
「リィナが一緒なら大丈夫だと思ったのに」
「怪我をしているから、余計に怪しい」
「最悪じゃん!」
リィナが、見張りに向かって何かを言った。
声は大きくない。
でも、はっきりとした口調だった。
見張りの顔が変わる。
驚いたように目を見開いた。
「リィナだって分かった?」
「そうみたいだな」
「じゃあ槍下ろしてよ」
「下がってないな」
槍の先は、まだ俺たちへ向いたままだった。
見張りはリィナを見る。
次に俺を見る。
おっさんを見る。
もう一度リィナを見る。
知っている人間が帰ってきた。
でも、知らない男を二人連れている。
しかも怪我をしている。
安心する材料と、警戒する材料が同時に来たらしい。
「リィナが説明すれば何とかなるんじゃない?」
「脅されている可能性も考えるだろ」
「誰に?」
「俺たちに」
「そんなことしてない」
「向こうは知らない」
「リィナが普通に喋ってるだろ」
「脅されて、そう言わされているかもしれん」
「考えすぎじゃない?」
「見張りが考えなさすぎる方が困る」
「俺たちが困ってるんだけど!」
また腹立つことに、正論だった。
見張りの仕事は、知らない人間を善人だと信じることではない。
中へ入れても大丈夫か、確かめることだ。
見張りが何かを叫ぶ。
リィナが返す。
短いやり取りが続く。
リィナの声が少し強くなった。
見張りも譲らない。
内容は分からない。
ただ、二人とも俺たちについて話していることは分かった。
時々、こっちを見るからだ。
「悪口言われてる?」
「さあな」
「顔で分かるんじゃなかった?」
「真剣に揉めていることは分かる」
「内容は?」
「俺たちを中へ入れるかどうか」
「それ、見れば分かる」
「成長したな」
「褒められてない気がする!」
おっさんが小さく息を吐いた。
それから、口元を持ち上げた。
いつもの営業スマイルだった。
槍を向けられているのに笑っている。
一見すると、まったく怖がっていない。
でも。
肩は、いつもより少し上がっている。
足も、何かあればすぐ下がれる形になっていた。
怖くないから笑っているんじゃない。
怖がっていると、相手に悟らせないために笑っている。
そういう顔だった。
「よし」
「何がよしだよ」
「営業の時間だ」
「異世界二日目で出勤すんな、クソ昭和」
「誰かが働かないと、中へ入れん」
「言葉通じないぞ」
「言葉だけが交渉じゃない」
「昨日から、そればっかりだな」
「今日は成果を見せる」
おっさんは、リィナの肩から自分の腕をゆっくり外した。
「ちょっと待て」
「お前が支えろ」
「片側だけで?」
「杖もある。急には離すな」
「先に言えよ」
俺はリィナへ回していた腕へ力を入れた。
リィナも杖を地面へ強くつく。
おっさんが完全に離れる。
リィナの体重が、俺の肩へ傾いた。
「重っ」
リィナの手が、俺の肩を叩いた。
「違う。急に来たから!」
「女性に重いと言うな」
「おっさんが離れたせいだろ!」
「静かにしろ。交渉する」
「誰のせいで騒いでると思ってんだ!」
見張りの槍先が、俺の声に反応して少し動いた。
俺は口を閉じた。
「……お願いします」
小声で言う。
「素直でよろしい」
おっさんは、ゆっくり両手を上げた。
手のひらを見せる。
急には動かない。
見張りとの距離も詰めない。
「はいはい、どうも。こちら、迷子と怪我人と、口の悪い若者です。敵意はありません」
「喋るんだ」
「声の調子も情報になる」
「何が伝わる?」
「俺が丸腰で、逆らう気がなくて、多少話を聞く価値がある善良な中年だということ」
「最後の二つは伝わらねえよ」
見張りが、もう一度何かを叫んだ。
槍の先が少し上がる。
おっさんは止まった。
笑顔は消さない。
でも、それ以上は何もしない。
相手が次にどう動くかを待っている。
「おっさん」
「黙ってろ」
「はい」
声が低かった。
ふざけていないときのおっさんは、少し怖い。
リィナが、俺の肩へ回していた腕を外そうとした。
「え、待って」
リィナは見張りの方へ何かを言う。
自分で前へ出るつもりらしい。
「無理だって」
言葉は通じない。
リィナは杖を前へついた。
怪我をしていない脚を出す。
傷ついた脚も、地面へ触れた。
顔が歪む。
体が傾いた。
「危なっ!」
俺は反射的に、リィナの腰へ腕を回した。
倒れないように抱える。
その瞬間。
見張りの槍が、真っすぐ俺に向いた。
「――!」
「違う! 今のは倒れそうになったから!」
通じない。
分かっている。
分かっているけど、言わずにはいられなかった。
押さえつけたんじゃない。
捕まえたんでもない。
倒れそうになったから支えただけだ。
でも。
見張りから見れば、前へ出ようとしたリィナを、俺が無理やり引き止めたように見える。
「はい。状況が悪化しました」
「実況すんな、クソ昭和!」
「今のは悪化しただろ」
「分かってるよ!」
「声を上げるな。余計に警戒される」
「誰のせいで声上げてると思ってんだ!」
「お前だな」
「このジジイ!」
リィナが俺の腕の中で顔を上げた。
見張りに向かって、今までで一番大きな声を出した。
「――! ――!」
見張りの表情が変わる。
目が見開かれた。
槍先が、ほんの少しだけ下がった。
リィナが何を言ったのかは分からない。
ただ、俺が危害を加えているわけではないと説明してくれたらしい。
「助かった?」
「まだだ」
槍は下りきらなかった。
見張りはリィナを見る。
俺の腕を見る。
おっさんを見る。
警戒は、少し薄くなった。
でも、信用には変わっていない。
「リィナが説明したのに」
「本人が無事だと言っても、すぐには信用できん」
「何で」
「混乱している可能性もある。俺たちが後ろに仲間を隠しているかもしれん。中へ入ってから何かするつもりかもしれん」
「いないし、しない」
「俺たちは知っている。向こうは知らない」
「またそれかよ」
「大事なことだ」
おっさんは片手を上げたまま、自分を指した。
次に俺を指す。
リィナを指す。
両手で人を支える仕草をした。
「助けた。怪我。歩けない。支えた」
「説明が原始的」
「確認できる材料を出している」
おっさんはリィナの足元を指した。
傷に巻かれた乾いた布。
地面へつかれた杖。
リィナの腕が、俺の肩へ回されている。
見張りの目が、その順番に動いた。
「営業?」
「営業」
「言葉が通じなくても営業すんの?」
「伝わる情報を並べて、相手に判断させる」
「何売ってたんだよ、あんた」
「いろいろだ」
「絶対、怪しいものも売ってたろ」
「いまそれを言うな」
見張りの槍先が、少し下がった。
俺の胸ではなく、腹の辺り。
刺される場所が変わっただけだった。
安心していいのか分からない。
おっさんは、さらにゆっくり膝をついた。
「おい」
「立っていると大きく見える」
「おっさん、小さいじゃん」
「百六十九ある」
「今そこ張るとこじゃねえよ」
おっさんが地面へ座る。
両手は見せたまま。
逃げない。
襲わない。
まず話を聞け。
言葉にすれば、たぶんそういう意味だった。
「ニセ令和」
「何」
「お前も座れ」
「リィナ支えてんだけど」
「ゆっくり下ろせ」
「槍向いてるんだけど」
「だから、ゆっくりやれ」
「注文が多い!」
俺はリィナの顔を見た。
リィナもこちらを見る。
俺は地面を指した。
次に、座る仕草。
リィナは少し考えたあと、うなずいた。
杖を地面へつく。
俺はリィナの体を支えながら、少しずつ腰を落とした。
太ももの悲鳴を感じる、踏ん張るところだ。
急に動かない。
見張りの槍を見ながら。
リィナの脚へ体重がかからないように。
時間をかけて、道の端へ座らせる。
背中を木の幹へ預ける。
杖を手の届く位置へ置く。
それから、俺も隣へ座った。
両手を上げる。
「これでいい?」
「よくできました」
「殺すぞ」
「槍を向けられてるときに殺害予告すんな」
「誰のせいだよ!」
見張りは、俺たちが座ったことを確認した。
それでも槍は下げない。
代わりに、野営地の方へ顔を向け、何かを叫んだ。
声が返ってくる。
一つではない。
柵の向こうで、人が動く音がした。
ばたばたと、複数の足音が近づいてくる。
「おっさん」
「おう」
「人、増えるぞ」
「交渉相手が増えるな」
「嬉しそうに言うな」
「人数が増えれば、話の分かるやつが混じる可能性も上がる」
「槍の数も増えるだろ」
「それも上がる」
「駄目じゃねえか!」
柵の向こうから、新しい人影が現れた。
一人。
二人。
三人。
その全員が、俺たちを見た。
正確には。
怪我をしたリィナと。
その隣で両手を上げている俺と。
営業スマイルを貼りつけたおっさんを見た。
一人は弓を持っている。
一人は短い剣を抜いている。
最後の一人は、また槍だ。
「増えた」
「見れば分かる」
「槍も増えた」
「予想どおりだな」
「当たっても嬉しくない予想するなよ!」
異世界で新しく出会った人間たちは、俺たちを歓迎してくれないようだった。
ただし。
まだ刺してもいない。
今のところは。




