第六話 見張り交代、成立せず
目が覚めたとき、火はまだ生きていた。
朝らしい。
ということは、俺の見張りの番はどうなった?
おっさんが、火の向こうに座っていた。
膝を抱え、岩壁へ背中を預けていた。
目の下には、昨日はなかった影ができていた。
岩陰の外からは、白い光が差し込んでいる。
森の夜は終わっていた。
「何で起こさなかったんだよ!」
俺は飛び起きた。
背中が痛い。
首も痛い。
頭の下にしていた右腕は、完全にしびれていた。
「起こそうとはした」
「起きてないけど」
「正確には、お前が起きなかった」
「見張りの順番、俺が最後だっただろ!」
「そうだな」
「そうだな、じゃなくて!」
おっさんは、岩陰の入口を指した。
リィナが座っていた。
刃物を膝の上へ置き、外の森を見ている。
俺が起きたことに気づき、こちらを振り返った。
「リィナもずっと起きてたの?」
「いや。途中で俺と代わって寝た」
「じゃあ、俺は?」
「リィナがお前を起こそうとした。起きなかったから、最後は俺が代わった」
「俺の見張り、自然消滅してんじゃん!」
リィナが俺を指した。
「セラノ」
「何?」
リィナは両手を頬の横へ置いた。
目を閉じる。
次に、俺の肩を軽く叩く仕草。
もう一度。
さらにもう一度。
「起こした?」
リィナがうなずいた。
「俺、何かした?」
リィナは、手で何かをつかむ動きをした。
胸元へ引き寄せる。
それから横を向き、目を閉じる。
俺は肩へかけていた布を見た。
「……布を取られた?」
「リィナが起こそうとしたら、お前が布を引っ張って寝返りを打った」
「最低じゃん、俺!」
「安心しろ。本人は怒っていない」
「何で分かる」
「刃物が鞘に入っている」
「判断基準がこわ」
リィナの腰を見る。
刃物は鞘へ収まっていた。
膝の上には、鞘に収めたまま置かれている。
「ごめん」
俺はリィナへ頭を下げた。
自分を指す。
目を閉じる仕草。
両手を合わせる。
「見張るつもりだったんだけど」
言葉は伝わらない。
それでも、リィナは俺をしばらく見たあと、肩をすくめた。
「許された?」
「呆れられたんだろ」
「似てるからいい」
「よくない」
俺は立ち上がろうとした。
足に力を入れる。
太ももが張っていた。
背中も重い。
昨日、走って、薪を集めて、沢に入り、リィナを背負った。
一晩寝たくらいでは、全部は回復しないらしい。
「若さ、仕事してない」
「仕事はした。その程度で済んでいる」
「おっさんは?」
「見てのとおり元気だ」
おっさんも立ち上がった。
腰を伸ばした途端、動きが止まる。
「うっ」
「元気?」
「朝は、体が起きるまで時間がかかる」
「器用だな、クソ昭和」
「朝から元気だな、ニセ令和」
いつもの返事だった。
少し安心した。
俺は腕を回した。
しびれていた右手にも、少しずつ感覚が戻ってくる。
「おっさん、本当に寝た?」
「リィナが見張っていた間にな」
「どれくらい」
「分からん。寝る前に時計を見てない」
「スマホあるだろ」
「寝た時刻が分からなきゃ測れん」
「元営業、時間管理どうなってんだよ」
リィナが地面へ手をついた。
立ち上がろうとしている。
俺は反射的に近づきかけた。
リィナの手が、刃物の柄へ動く。
途中で止まった。
俺も止まった。
「手伝う」
自分の肩を指す。
リィナを指す。
昨日と同じように、背負う動きをする。
リィナは首を横に振った。
岩壁へ手をつき、怪我をしていない方の脚で立つ。
傷ついた脚を、そっと地面へ下ろした。
体重をかける。
顔が歪んだ。
すぐに足を浮かせる。
「やっぱり無理だろ」
リィナは俺をにらんだ。
「俺が悪いみたいな顔すんなよ」
「正論は、言い方を間違えると反感を買う」
「おっさんが言う?」
「俺は経験者だ」
リィナは座り直した。
脚に巻いた布へ手をかける。
昨日、おっさんのハンカチを巻いた傷だ。
結び目をほどく。
「傷、大丈夫かな」
「見せてもらえ」
「俺が?」
「昨日、巻いたのはお前だろ」
「でも」
「気になるなら見る。怖いなら見ない」
「怖くない」
「では見ろ」
「追い込むなよ」
俺はリィナの前へしゃがんだ。
傷口を見ようとすると、リィナが手で制した。
自分で布を少しずつ外していく。
新しい血はにじんでいない。
出血は止まっているように見えた。
ただ、傷の周りはまだ赤く腫れている。
俺は傷の周りを指した。
リィナは意図を察したのか、自分でそっと触れた。
「痛いみたい」
「腫れも残ってるな」
「熱、持ってるかな」
「触らなきゃ分からん」
「営業なのに」
「俺は営業であって、医者ではない」
リィナは腰の袋から、細く折り畳んだ布を取り出した。
昨日のハンカチより細いが、乾いている。
布を沢ですすぎ、傷を洗うような仕草を見せたあと、ひとまず傷へ軽く巻き直した。
水場へ着いたら、洗って結び直すつもりらしい。
「水場に戻る?」
「近かったはずだ」
「暗い中で歩いたから、距離が分からない」
「お前は背負って歩いただろ」
「前しか見てなかった」
「俺も火しか見てなかった」
二人でリィナを見る。
リィナは岩陰の外を指した。
昨日来た方向とは、少し違う方角だった。
「近道?」
「水が別にあるのかもしれん」
「行ける?」
リィナは立とうとした。
また脚へ体重をかける。
やっぱり無理だった。
「まず、どうやって移動するかだな」
おっさんが言った。
「背負う」
「昨日は、ここまでの短い距離だった」
「今日も俺が運べばいいだろ」
「行き先までの距離が分からん」
「途中で休めばいい」
「お前が動けなくなったら、怪我人が二人になる」
「動ける」
「一度立て。そこからしゃがんで、もう一度立ってみろ」
「何で」
「いいから」
俺は立ち上がり、言われた通りにしゃがみ込んだ。
そこから、もう一度立ち上がろうとする。
太ももに力を入れた途端、背中に痛みが走った。
「いっ……」
「もう一度、背負えるか?」
「背負える」
「どれくらい」
「それは……」
「できるか、できないかではない。どれだけ続けられるかだ」
昨日の俺なら、できると言い張っていたかもしれない。
今も、言い張りたい。
でも。
背中は痛い。
腕も完全には戻っていない。
どこまで歩くかも分からない。
「ずっとは、無理」
「なら、別の方法を考える」
「最初からそう言えよ」
「自分で認めないと、途中で意地を張るだろ」
「性格悪いな」
「相手を納得させるのが営業だ」
「俺、客じゃねえぞ」
「面倒な相手ほど、客だと思って扱う」
「誰が面倒だ!」
リィナが火のそばに落ちていた枝を拾った。
地面の灰を避け、土の上へ線を引く。
最初に、大きな形。
岩のような形だ。
「ここ?」
俺が岩陰を指す。
リィナがうなずく。
そこから、曲がった線を伸ばす。
途中に、波のような線。
「沢」
また、うなずく。
曲がった線は、その先も続いている。
最後に、リィナは短い縦線を何本も並べた。
その奥に、四角をいくつか描く。
「何これ」
「柵と建物じゃないか?」
「人がいる?」
「そうかもしれん」
「村?」
「そこまでは分からん」
リィナは四角を指す。
次に、自分の胸へ手を当てた。
もう一度、四角を指す。
「リィナのいた場所?」
「帰りたい場所かもしれん」
リィナは自分の脚を指した。
四角を指す。
両手を合わせる。
「助けてもらえる?」
「人がいるなら、その可能性はある」
「俺たちも?」
「それは別問題だ」
「ついでに助けてくれないかな」
「怪我人を連れてきた功績を主張するか」
「見返り目当てみたいに言うなよ」
「期待しているだろ」
「水と食べ物と、できれば屋根」
「十分多い」
「命に必要なものしか言ってない」
「人間は、生きるだけで要求が多いんだよ」
リィナが、地面の線を指でなぞった。
岩陰から沢へ。
そこから森の中を通り、四角まで。
線は長かった。
縮尺は分からないけど、すぐそこを描いたようには見えない。
「どれくらいかかる?」
「本人に聞け」
「だから通じないって」
俺は太陽を指し、地面へ沈めるように手を動かす。
次に、地図の四角を指した。
「日が沈む前に着く?」
リィナは俺の指を見る。
空を見る。
四角を見る。
少し考えたあと、うなずいた。
「そう言っているようには見える」
「怪我人を支えながらな」
「着かなかったら?」
「また野宿だ」
「嫌だな」
「同意する」
行き先は決まった。
次は、移動方法だった。
おっさんが岩陰の外へ出た。
「杖になる枝を探す」
「リィナ、持ってる紐で固定できないかな」
「何を」
「枝を二本使って、担架みたいに」
「布が足りん」
「上着を使う?」
「お前と俺の二枚で、人一人を支えられると思うか」
「試す?」
「破れたら、今夜から上半身が寒い」
「却下だな」
「早いな」
結局、昨日のように背負うのではなく、杖と二人の支えを使うことになった。
リィナは杖をつく。
俺が反対側から肩を貸す。
おっさんは杖側の後ろから支える。
それなら、一人に全部の重さはかからない。
「おっさん、膝は?」
「昨日よりはましだ」
「本当?」
「歩ける」
「どれくらい」
「お前、仕返ししてるだろ」
「自分で認めないと、途中で意地張るじゃん」
「覚えが早いな、ニセ令和」
「若いから」
「年寄りに最強の言葉を使うな。……誰が年寄りだ!」
「自分で言ったのに……」
俺たちは、岩陰の周りで枝を探した。
明るくなった森は、夜とはまったく違って見えた。
黒い壁だった木々には、一本ずつ形がある。
葉にも色がある。
地面には、小さな虫が動いている。
見えるようになったからといって、安全になったわけではない。
見えない怖さが、見える怖さに変わっただけだった。
「これは?」
俺は長い枝を持ち上げた。
「細い」
「これは?」
「短い」
「これは?」
「先が二股だ」
「何か問題ある?」
「股に刺さったら痛い」
「想像させんな!」
少し離れた場所で、おっさんが枝を拾った。
立てると、リィナの肩より少し低いくらい。
太さもある。
「これならどうだ」
リィナの前へ持っていく。
リィナは枝を受け取った。
地面へつく。
少し体重をかける。
折れない。
表面の小枝を、刃物で手早く落としていく。
「自分で作るんだな」
「俺たちがやるより早い」
「刃物貸してって言ったら?」
「断られるだろうな」
「信用されてない?」
「昨日会ったばかりだ」
「火と魚は分けたのに」
「刃物は、命を預ける道具だ」
「重いな」
「実際、刺されれば重傷だ」
「そっちじゃない」
リィナは杖を完成させた。
おっさんが火へ土をかけ、熾火を枝で崩した。
煙が出なくなるまで確かめた。
リィナが杖を地面につき、立ち上がった。
俺は杖と反対側へ回った。
おっさんは杖側の後ろへ回った。
「おっさん、杖と同じ側でいいの?」
「杖が滑ったとき、後ろから支える」
「じゃあ俺は、体重を受ける方?」
「若いからな」
「便利に使うな」
「嫌なら代わる」
「やるよ」
リィナが俺たちを見た。
俺たちが近づくのを、まだ少し警戒しているようだった。
俺は自分の肩を指した。
次に、リィナの空いている腕を指す。
「ここ」
リィナは俺の顔を見る。
少し迷ったあと、空いている腕を俺の肩へ回した。
おっさんは杖側の後ろから、リィナの背中へ手を添えた。
「昨日よりは楽?」
リィナは答えない。
杖をつく。
怪我をしていない脚を出す。
俺の肩と、おっさんの手に体重がかかる。
傷ついた脚は、地面へ軽く触れるだけ。
一歩。
止まる。
もう一歩。
「遅いな」
俺が言った。
「急ぐと転ぶ」
「分かってる」
「文句を言うな」
「文句じゃない。確認」
「誰に」
「自分に」
昨日、背負ったときよりは軽い。
その代わり、歩調を合わせるのが難しい。
俺だけ先に出ると、リィナの体が引っ張られる。
おっさんが遅れると、杖と俺の肩へ重さが集中する。
三人が、同じ速さで動かなければならない。
リィナが森の奥を指した。
俺たちは、そちらへ体の向きを変えた。
人がいる場所まで、どれくらいかかるのか。
本当に日が沈む前に着くのか。
俺たちを受け入れてもらえるのか。
まだ、何一つ分からない。
「行こう」
俺が言った。
「お前が決めるのか」
「リィナが案内して、おっさんが文句言って、俺が歩くんだろ」
「役割分担が雑だな」
「違う?」
「だいたい合ってる」
「おっさんは文句係な」
「交渉担当だ」
「まだ、リィナ以外に誰とも交渉できてないだろ」
「人を見つけてからが本番だ」
リィナが、俺とおっさんを交互に見た。
それから、もう一度森の奥を指す。
三人で、森の奥へ進み始めた。
道は、まだ見えなかった。




