第二十四話 三か月先へ
北にある古い塔まで、歩いて三か月。
そう聞かされてから、二十日が経った。
俺たちは仕事をしながら、現地の言葉を覚えた。
まだ村の人たちの会話にはついていけないし、分からない単語も多い。それでも、日常的なやり取りくらいなら二十日前よりはマシになった。
空いた時間には、棒の扱いも練習した。
ラクロスでディフェンダーをしていた俺は、棒をロングスティックくらいの長さに調整し、見張り役に稽古をつけてもらった。
その間、おっさんは寝ていた。
そうして俺たちはいま、村の入口に立っている。
「少なくない?」
地面に置いた荷物を見下ろし、俺は言った。
背負い袋が三つ。丸めた毛布。水を入れた革袋。干した肉や固いパン、名前のわからない乾物が数日分。
三か月の旅に出る人間の荷物には、どう考えても見えない。
あとは道中の村で補給するか、食べられるものを探すらしい。
「同感だが、持てなきゃ意味ないぞ」
おっさんが、自分の背負い袋を持ち上げながら言った。
一度では上がらず、膝を使って二度目でようやく背負った。
「いまの説得力、全部消えたけど」
「重いんじゃない。腰が旅に慣れてないだけだ」
「出発前から旅のせいにすんなよ」
おっさんは背負い袋の紐を直しながら、俺をにらんだ。
「お前のほうが軽いだろ。若者が多く持て」
「俺のには鍋が入ってる」
「鍋ひとつで偉そうにするな」
「おっさんの袋、ほとんど毛布じゃん」
「寝床を軽視する奴は早死にするぞ」
「じゃあ、その毛布で一生寝てろ」
村の外へ続く道は、森の間を抜けて北へ伸びていた。
二十日前まで、俺たちは塔の場所すら知らなかった。
それがいまでは、そこへ向かうための荷物を背負っている。
準備が整った、とは言いづらい。
必要そうなものを集めて、持てるだけ持った。
正確には、それだけだ。
リィナは俺たちの少し前で、荷紐の結び目を確認していた。
俺とおっさんが二十日かけても覚えなかった結び方を、リィナは一度で覚えたらしい。
「セラノ。ゆるい」
リィナが俺の袋を指さした。
「締めた」
「ゆるい」
「二回、締めた」
「二回、ゆるい」
「回数の問題じゃなかったか」
リィナがため息をつき、俺の背負い袋の紐を引いた。
急に胸が締まり、俺は一歩前へつんのめる。
「締めすぎ!」
「これで、落ちない」
「俺の肺が落ちる!」
「出発が騒がしい」
声に振り返ると、まとめ役の男がこちらへ歩いてきていた。
その手には、小さな革袋が下がっている。
「出るのか」
「そのつもりです」
俺が答えると、男は北へ続く道を見た。
「三か月」
「聞くたびに遠くなる気がします」
「実際、遠い」
まとめ役の男は持っていた革袋をおっさんへ差し出した。
「なんです、これ」
おっさんが受け取る。
ちゃり、と中で何かが鳴った。
その音を聞いた瞬間、俺とおっさんの目が革袋に吸い寄せられた。
「金だ」
男が言った。
「見ればわかります」
おっさんはさっきまでの腰の重さを忘れたように、袋を両手で持ち直した。
口を開き、中をのぞく。
俺ものぞく。
「おお」
「おお……!」
銀色のものが、そこそこ入っていた。
この世界の金の価値を、俺たちはまだ完全には理解していない。
だが、そこそこ入っていることだけはわかる。
持たせてもらったが、重い。
「金は、重ければ重いほどいい」
とは、おっさんの言葉だ。
正直、今から出発する旅でお金が一番心配だった。
「荷を持っていた連中と、村の者からだ」
男が言った。
「お前たちが荷と人を守った礼だ。町から戻った者が、昨日持ってきた」
「礼……」
おっさんが呟いた。
「俺たちへの?」
「ほかに誰が?」
おっさんが俺を見た。
俺もおっさんを見た。
「宿」
「肉」
二人同時に言った。
「毎日とは言わん。二日に一度くらいは屋根のあるところで寝られるぞ」
「肉も買える。干してないやつ」
「酒も――」
「それはいらない」
「いるだろ。三か月歩くんだぞ」
「歩くのに酒はいらないだろ」
「心に必要なんだよ」
「おっさんの心、燃料効率悪すぎるだろ」
おっさんは革袋を胸元へ寄せた。
さっきまで荷物が少ないことに同意していた男とは思えない顔をしている。
「これで旅が変わるぞ、ニセ令和」
「変わる。野宿の回数を減らせる」
「町に着いたら、まず温かい飯だ」
「風呂があるなら風呂も」
「酒場で情報も集められる」
「酒飲みたいだけだろ」
「情報収集だ。元営業をなめるな」
そのとき、俺たちの間に手が伸びてきた。
リィナだった。
おっさんの手から、有無を言わせぬ手つきで革袋を取った。
「あ」
「ああ……」
俺とおっさんの声が重なった。
リィナは袋の中を確かめ、口をしっかり縛った。
それから自分の背負い袋の、いちばん奥へ入れた。
「待て、まて!」
おっさんが慌てて言った。
「なぜ、お前が持つ」
「アイド、使う」
「使うための金だ」
「ぜんぶ、使う」
「全部使わん。必要分だけだ」
リィナは俺を見た。
「セラノも、使う」
「俺は食料にしか使わない」
「肉」
「食料だろ!」
「酒」
「それは、おっさん!」
リィナは背負い袋の口を閉じた。
「わたし、持つ」
「決定事項なの?」
「決定」
おっさんが俺を見る。
「主人公、ヒロインに何か言え」
「……まあ、管理する人間は必要だと思う」
「裏切ったな、ニセ令和」
「酒って言った時点で負けてんだよ、クソ昭和」
村を出る前から、俺たちの財布は俺たちのものではなくなった。
そのとき、後ろからいくつもの足音が聞こえた。
振り返る。
いつの間にか、村の入口に人が集まっていた。
薬師の女の人。
倉庫を管理している年配の男。
いつも食事を配っていた女の人。
荷車に乗っていた男たち。
それから、俺に数字を教えていた子供。
大勢ではない。
歓声もない。
俺たちを英雄みたいに送り出す空気でもなかった。
ただ、仕事の手を止めて、ここまで来てくれたらしい。
「見送り?」
俺が言うと、おっさんが村人たちを見回した。
「そうみたいだな」
薬師の女の人が、俺の前へ来た。
俺の肩を見る。
棍棒で殴られた場所だ。
「もう大丈夫です」
通じるかは分からないけど、とりあえず動かして見せる。
腕を上げる。
前へ回す。
後ろへ回す。
薬師の女の人は俺の肩へ手を置いた。
押した。
「痛い!」
思ったより強かった。
女の人は俺の顔を見て、もう一度肩を押した。
「だから痛いって!」
「治ってないんじゃないか?」
おっさんが横から言う。
「確認方法が乱暴なんだよ!」
「気を付けて」
女の人は笑いながら言った。
最後に肩を軽く叩かれた。
軽くても痛かった。
次に、倉庫の男がおっさんの前へ立った。
おっさんの背負い袋を見る。
紐を見る。
結び目を引っ張った。
ほどけた。
倉庫の男がおっさんを見た。
何も言わない。
倉庫の男は、慣れた手つきで紐を結び直した。
「倉庫を任されてるだけあるな」
「おっさんには荷物を任せられないみたいだけど」
「紐と管理能力は別だ」
「言い訳まで営業だな」
倉庫の男は結び目を強く引き、今度は満足したようにうなずいた。
おっさんも頭を下げる。
いつも食事を配っていた女の人は、布に包んだものをリィナへ渡した。
リィナが中を見る。
「パンと肉」
「増えた」
「よかったじゃねえか。少ないって言ってただろ」
リィナは迷うことなく、俺の背負い袋を開いた。
「少ないとは言ったけど、俺の袋に入れろとは言ってない」
俺の背負い袋が、少しだけ重くなった。
でも。
悪い重さではなかった。
最後に、子供が俺の前へ来た。
片方の手を全部開く。
もう片方の手から、指を一本立てる。
六。
子供が現地の言葉で発音した。
俺も真似する。
子供は少し考えてから、今度はうなずいた。
「通じた?」
子供が笑う。
それから、北へ続く道を指した。
俺たちを指す。
最後に、村の中を指した。
「来る?」
覚えたばかりの言葉を、子供が口にする。
来る。
俺たちも、仕事をしながら何度も使った言葉だった。
「戻ってこいって?」
子供は、もう一度村を指した。
「来る?」
「荷物を返しに来いって意味かもしれんぞ」
おっさんが言う。
「今日は都合よく受け取らせろよ」
俺が現地の言葉で「来る」と返すと、子供は大きくうなずいた。
最初にこの村へ来たとき。
俺たちは槍を向けられた。
荷物を調べられた。
火を起こす道具を見つけられて、危険な人間を見るような目をされた。
いまは。
村の入口で、手を振られている。
俺たちが何者なのか、村の人たちは今も全部は知らない。
俺たちだって、この村のことを全部知ったわけではない。
それでも。
ここで働いた。
飯を食べた。
怪我をして、助けられた。
荷物を守って、一緒に戻ってきた。
それくらいは残ったらしい。
まとめ役の男が、俺たち三人を順番に見る。
「行ってこい」
そう言った。
俺たちも頭を下げた。
三か月の旅を支える金が、少しだけできた。
荷物も、少しだけ増えた。
帰れる保証はない。
塔に記録が残っている保証もない。
そもそも、三人とも無事に着ける保証すらない。
それでも、行くしかない。
少なくともおっさんは。
俺はそれに付き合うだけ。今のところはだが。
俺は背負い袋の位置を直し、北へ続く道を見た。
「じゃあ、行くか」
おっさんが言った。
「おっさん、急に先頭に立つなよ」
「金を持ってないから足が軽いんだよ」
「さっき腰が旅に慣れてないって言ってただろ」
「もう慣れた」
「現金な腰だな」
リィナが俺たちの横を通り過ぎる。
「行く」
俺たちは顔を見合わせ、そのあとを追った。
そして、金を持ったリィナが先頭になった。
俺とおっさんは、もう一度だけ村を振り返った。
村人たちは、まだそこにいた。
第一章終わりです。




