第二十五話 旅の友、になるかは不明
森の奥から、おっさんを呼ぶ声がした。
「オッサン!」
俺は足を止めた。
前を歩いていたリィナも止まる。
後ろから、おっさんが追いついてきた。
「何だ」
「呼ばれてる」
「俺は何も言ってないぞ」
「森の方から」
「森に知り合いはいない」
「オッサン!」
もう一度。
今度は、さっきよりはっきり聞こえた。
野太い。
低い。
妙に必死だ。
俺とおっさんは顔を見合わせた。
「お迎えじゃない?」
「四十六歳を異世界の森が迎えに来るな」
「同世代の集まりとか」
「森に昭和を集めるな」
リィナが道の脇にある木々を指した。
「カリニウマ」
リィナは少し考え、もう一度言った。
「荷車。引く」
「ああ」
以前、村から町へ向かったとき。
荷車を引いていた、馬によく似た動物。
体は馬。
耳は少し長い。
首の毛は妙に硬い。
そして鳴き声が、完全に「オッサン」。
正式な名前は、リィナから一度聞いた。
聞いたけど、発音できなかった。
だから、仮に馬。
「仮に馬か」
「勝手に名づけるな」
「おっさんだって名前覚えてないだろ」
「俺は聞き取れなかっただけだ」
「同じじゃん」
俺たちは、町へ向かっていた。
北の古い塔へ向かう前に、まずは旅の準備を整える。
食料。
水を入れる革袋。
雨を防ぐ布。
怪我をしたときの薬。
道中で使えそうな道具。
必要なものは、考えるたびに増えていた。
三か月分を全部買うことはできない。
そもそも、買っても持てない。
だから町で、荷物を運ばせられる動物も探すつもりだった。
「買う前に出てきたな」
俺が言った。
「金を使わずに済むと思うなよ」
「まだ見てもないだろ」
「森の中にいる時点で、面倒を抱えている可能性が高い」
「元営業、無料のものを信用しなさすぎじゃない?」
「無料という言葉には、見えていない条件がついている」
「人生経験が重い」
リィナは道を外れた。
草を踏み分け、声のした方へ進んでいく。
俺たちもあとを追った。
「オッサン!」
「はいはい、いま行きますよ」
おっさんが答えた。
「返事するんだ」
「呼ばれているからな」
「おっさんじゃなくて、仮に馬だろ」
「向こうからすれば、お前も俺も同じ人間だ」
「鳴き声と同じ分類に入るなよ」
木々の間を進む。
道からそれほど離れてはいなかった。
やがて、茶色い背中が見えた。
仮に馬だった。
村で見たものより少し小さい。
灰色に近い茶色の毛。
長い耳。
首には、硬そうな毛が立っている。
その首から、太い綱が伸びていた。
綱は低い木の幹を一周し、地面へ垂れ、仮に馬の前脚へ絡みついている。
動こうとするたび、綱が締まる。
前脚を引けば、首も引かれる。
首を動かせば、脚へ食い込む。
「オッサン!」
仮に馬が首を振った。
綱がさらに張る。
「動くな」
おっさんが言った。
「言葉、通じないだろ」
「言わないよりましだ」
「俺の長話には文字数制限つけたくせに」
「相手が馬なら短くする」
仮に馬は俺たちを見た。
黒い目が大きく開いている。
鼻から荒い息を吐く。
近づけば暴れそうだった。
リィナがゆっくり横へ回った。
「危ない」
仮に馬の後ろ脚を指す。
次に、地面を強く蹴る仕草をした。
「後ろに立つなって?」
俺が聞く。
リィナはうなずいた。
「蹴られたら?」
「痛い」
おっさんが答えた。
「知ってるよ」
「最悪、死ぬ」
「急に情報の温度上げんな」
リィナは仮に馬の首元を指した。
そこには、綱とは別に革の帯がついている。
帯の一部には、金属の輪。
背中の毛も、四角く擦れていた。
「人」
リィナが言った。
自分の手で、荷物を背負う仕草をする。
次に仮に馬を指す。
「人が飼ってた?」
「荷物を運んでたみたいだな」
おっさんは綱の端を見る。
切れていた。
刃物できれいに切ったのではない。
何かに引っかかり、何度も擦れて千切れたような切れ方だった。
「逃げたのかな」
「荷車から外れたか、放されたか」
「飼い主は?」
「分からん」
おっさんは地面を見た。
草が倒れている。
仮に馬の足跡はある。
けれど、ほかの足跡は分からなかった。
道から外れているし、地面には落ち葉が積もっている。
俺が見ても、何日前の跡なのか判断できない。
「近くにいるかもしれない」
「探す?」
「まず、こいつをどうにかする方が先だ」
おっさんは仮に馬を指した。
「助けるの?」
「見たまま置いていけるか?」
「おっさんから言うんだ」
「何だ、その顔は」
「俺が言ったら、責任がどうとか言い出すと思ってた」
「いまは綱を外すだけだ。連れていく話はしてない」
「まだ何も言ってないけど」
「顔に書いてある」
「営業、動物を助けるときまで人の顔色見てるの?」
「お前は動物じゃないだろ」
「俺の話だよ!」
仮に馬が、また脚を動かした。
綱が締まり、体が傾く。
「オッサン!」
「呼ばれてるぞ」
「お前が行け」
「返事してたじゃん」
「交渉は決裂した」
リィナが俺たちをにらんだ。
「静か」
「はい」
「すみません」
二人で答えた。
リィナは自分の背負い袋を下ろした。
中から、細長い葉を束ねたものを取り出す。
仮に馬へ見せた。
少しずつ近づく。
仮に馬の耳が動いた。
鼻を伸ばす。
「食べ物?」
俺が小声で聞く。
「そうらしいな」
「俺たちの食料より新鮮そう」
「食うなよ」
「食べないよ」
リィナは仮に馬の正面には立たなかった。
少し横から、葉を差し出す。
仮に馬が匂いを嗅ぐ。
すぐには食べない。
リィナも動かなかった。
しばらくして。
仮に馬が首を伸ばし、葉の先を口へ入れた。
リィナがこちらを見る。
木の幹へ絡まった綱を指した。
「いま?」
俺が聞く。
リィナがうなずく。
俺は木の反対側へ回った。
仮に馬の正面にも、後ろにも入らない。
綱を見る。
木の根元へ二重に巻きつき、さらに低い枝へ引っかかっていた。
仮に馬が動くたび、巻きついた部分が締まっている。
「切る?」
「できれば切らない方がいい」
おっさんが言った。
「何で」
「持ち主のものかもしれん。それに町まで連れていくなら、綱は必要だ」
「連れていく話してるじゃん」
「可能性の話だ」
「現金使わない可能性?」
「そういう意味の現金じゃない」
おっさんが木の幹へ近づく。
「まず、張っている綱を緩める。セラノ、あの枝を持ち上げろ」
「これ?」
「違う。それを動かすと、首が締まる」
「先に言えよ!」
触りかけた手を止める。
おっさんが指したのは、少し高い位置にある枝だった。
綱が下から回り込んでいる。
俺は枝へ両手をかけた。
「持ち上げるぞ」
「ゆっくりな」
力を入れる。
枝は思っていたより重かった。
湿っている。
表面が妙に滑る。
少しずつ持ち上げると、綱が緩んだ。
「そのまま」
「早くして。重い」
「若いんだからどうにでもなる」
「その言葉嫌いだって言ったよな!」
「若いんだから、あと十秒くらいはどうにでもなる」
「限定すればいいと思うなよ!」
おっさんが幹へ巻きついた綱を外していく。
一周。
二周。
途中で結び目のように固まった部分があった。
「引くなよ」
「引いてない」
「枝が下がってる」
「おっさんが遅い!」
仮に馬が顔を上げた。
リィナの持っていた葉を食べ終えたらしい。
俺たちを見る。
「リィナ、追加!」
「食い物で時間を買う営業になってるな」
「おっさんがもっと速く働けば無料だよ!」
リィナがもう一枚、葉を出した。
仮に馬が首を伸ばした、そのとき。
枝が小さく鳴った。
仮に馬の体が跳ねる。
「うわっ!」
前脚が上がった。
綱が引っ張られる。
枝が一気に重くなった。
「押さえろ!」
「押さえてる!」
仮に馬が暴れる。
地面を蹴る。
土が飛ぶ。
リィナはすぐ横へ離れた。
おっさんも幹の陰へ入る。
俺だけが枝を持ったまま残った。
「俺も逃げていい!?」
「枝を離したら、また締まる!」
「答えになってない!」
仮に馬がもう一度、前脚を振った。
綱が木へ擦れる。
枝が腕に食い込む。
「おっさん、早く!」
「あと一つだ!」
おっさんが綱を引き抜いた。
幹に巻きついていた部分が外れる。
「離せ!」
俺は枝から手を放した。
すぐに後ろへ下がる。
枝が元の位置へ戻り、葉を激しく揺らした。
仮に馬は数歩よろめいた。
それから、止まる。
首から伸びた綱は、もう木へつながっていない。
前脚へ絡んでいた輪も緩んでいた。
リィナが近づく。
仮に馬の顔を見ながら、ゆっくりしゃがむ。
脚へ絡んだ綱を外した。
「終わった?」
「たぶんな」
仮に馬は、その場に立っていた。
逃げない。
リィナが前脚に触れる。
少し毛が抜け、皮膚が赤くなっている。
血は出ていない。
脚を地面にもつけている。
リィナは水を少し布へ含ませ、擦れた場所を拭いた。
仮に馬は嫌がったが、蹴らなかった。
「歩けそう?」
俺が聞く。
リィナは立ち上がり、仮に馬の脚を指した。
「歩く。走る、だめ」
「町までは?」
「ゆっくり」
「連れていけるって」
俺はおっさんを見る。
「持ち主がいる」
「分かってる」
「勝手に連れていけば、馬泥棒だ」
「仮に馬泥棒」
「名前の問題じゃない」
おっさんは切れた綱を持ち上げた。
「こいつがどこから来たのか分からん。近くに飼い主がいるかもしれない」
「でも、このまま森に置いていくの?」
「綱は外れた。自分で戻れる可能性はある」
「戻れなかったら?」
「町へ連れていく方が正しいとも限らん。飼い主が探しに来たら、いなくなっている」
正論だった。
最近、このおっさんの正論に腹が立つ回数が増えている。
「道まで連れていく」
おっさんが言った。
「そこで放す。元いた方へ戻るなら追わない。俺たちについてくるなら、町で持ち主を探す」
「仮に馬に決めさせるってこと?」
「こいつの方が、俺たちより自分の帰る方向を知っているだろ」
リィナも話を聞き、うなずいた。
俺たちは仮に馬と一緒に道へ戻った。
正確には。
リィナが短くなった綱を持ち。
俺とおっさんが、少し離れて歩いた。
仮に馬は脚を庇っていた。
それでも、ゆっくりなら歩ける。
道へ着く。
リィナが綱を放した。
仮に馬は動かなかった。
「自由だぞ」
俺が言った。
「言葉は分からん」
「雰囲気で」
仮に馬は長い耳を動かした。
俺たちを見る。
道の南側。
俺たちが来た村の方を見る。
次に、北側。
町の方を見る。
「どっちだ?」
おっさんが聞いた。
仮に馬は答えなかった。
「オッサン!」
「俺に聞くな」
「おっさんって言っただけだろ」
しばらく待った。
仮に馬は、道端の草を食べ始めた。
「帰る気ないじゃん」
「腹が減っているんだろ」
「どうする?」
「俺たちは行く」
おっさんが歩き出した。
リィナも町の方へ進む。
俺は仮に馬を見た。
仮に馬は草を食べている。
「じゃあな」
返事はなかった。
俺も二人を追う。
十歩。
二十歩。
後ろから、足音が聞こえた。
止まる。
足音も止まる。
振り返る。
仮に馬がいた。
「ついてきてる」
「そうだな」
「助けたから?」
「食い物を持ってるからだろ」
「感動を現実で潰すなよ」
もう一度歩く。
仮に馬も歩く。
俺たちが止まる。
仮に馬も止まる。
リィナが仮に馬を指した。
次に、町を指す。
「連れていく?」
俺が聞く。
リィナはうなずいた。
「町で持ち主を探す」
おっさんが言った。
「見つからなかったら?」
「そのとき考える」
「飼う?」
「金がかかる」
「荷物運んでくれる」
「食料も食う」
「役に立つ」
「世話も必要だ」
「おっさんよりは働きそう」
「俺は金の管理と交渉をしている」
「いま金持ってるのリィナだけど」
「管理方針を考えている」
「頭の中だけで役職作んなよ」
「オッサン!」
仮に馬が鳴いた。
おっさんが振り返る。
「お前は俺の味方か」
「たぶん呼び捨てだよ」
「名前を覚えさせる必要があるな」
「仮に馬へ自己紹介すんの?」
「アイドマコト。四十六歳。元営業。バツイチ。娘一人」
「最初と同じ履歴書読むな!」
リィナが笑った。
仮に馬は、俺の背負い袋へ鼻を近づける。
中の食料の匂いを嗅いでいるらしい。
「おい。これは三人分だからな」
仮に馬が袋を口で引っ張った。
「こら!」
俺は背負い袋を抱えた。
仮に馬が離す。
おっさんが言った。
「四人分になったな」
「まだ飼うって決めてないだろ」
「飯は食う気だぞ」
「無料じゃなかった」
「だから言っただろ。見えていない条件がついている」
俺たちは、旅の準備を整えるために町へ向かっていた。
町へ着く前に。
準備するものが、一頭増えた。




