第十九話 勝ったとは言ってない
俺は地面を蹴った。
剣を持った男が、おっさんの胸ぐらへ手を伸ばしている。
遠い。
この棒で男を殴ろうとしても、間に合わない。
いや。
殴るな。
倒そうとするな。
止めろ。
さっきおっさんに言われた言葉が、頭の中で響いた。
足元に、石があった。
手のひらより少し小さい。
平たくて、片側だけ尖っている。
考えるより先に、体が動いた。
腰を落とす。
棒の先端を下げる。
ラクロスのスティックとは全然違う。
先に網はない。
ボールでもない。
でも。
どこを叩けば、どちらへ動くのか。
それくらいは分かる。
棒の先で、石の横を叩いた。
硬い感触が、両手まで返ってくる。
石は飛ばなかった。
土の上を、低く滑った。
男が踏み出そうとしていた足の前へ。
「――ッ!」
男の靴が石へ乗った。
足首が傾く。
伸ばしていた腕が下がり、体が横へ流れた。
おっさんが半歩下がる。
男の指が、服の胸元をかすめた。
「危なっ!」
「止まるな、ニセ令和!」
「助けたんだから礼くらい言え!」
男が体勢を戻そうとする。
俺は棒を両手で握った。
振り上げない。
先端を男へ向ける。
間合い。
この棒が、どこまで届くのか。
そこだけは分かる。
男が剣を持ち上げた。
俺は棒を突き出した。
狙ったのは、体じゃない。
剣を握っている手首。
鈍い音がした。
男の腕が跳ねる。
剣は落ちない。
「硬っ!」
「感想はあとにしろ!」
おっさんが、男の服の袖を掴んだ。
力任せに引く。
男の重心が、また前へ崩れた。
「足だ!」
「注文多いな!」
俺は棒を低く払った。
脛を殴るんじゃない。
男が踏み出そうとした足の前へ、棒を差し込む。
足が引っかかった。
男が倒れる。
剣が地面へ落ちた。
おっさんがすぐに蹴り飛ばす。
剣は荷車の下へ滑っていった。
「一人!」
「倒す必要はないって言っただろ!」
「倒れたんだから仕方ないだろ!」
「結果としては上出来だ!」
「褒め方が雑!」
大声を出していた棍棒の男が動いた。
仲間が倒れたことに驚いたのは、一瞬だけだった。
棍棒を振り上げ、俺へ向かってくる。
速い。
俺は棒の先端を向けた。
男が近づく。
一歩。
もう一歩。
まだ遠い。
焦るな。
自分から距離を潰すな。
相手が間合いへ入るまで待つ。
ラクロスでも同じだった。
相手が来る。
こっちも下がる。
近づけさせない。
抜かせない。
違うのは。
向こうが持っているのが、スティックではなく棍棒だということ。
「来んな!」
棒を突き出した。
先端が、男の胸へ当たる。
深くは入らない。
それでも、男の勢いが止まった。
俺は一歩下がる。
男が棍棒を横へ振った。
棒で受けようとする。
間に合わない。
肩へ衝撃が来た。
「ぐっ!」
右肩が熱くなる。
腕が痺れた。
棒を落としかける。
「セラノ!」
おっさんの声。
俺の名前。
めずらしく、ちゃんと名前だった。
「呼べんじゃん!」
「喜んでる場合か!」
棍棒の男が、もう一度振り上げる。
右腕に力が入らない。
両手で持て。
左手で押し出す。
俺は棒の先を男の腹へ突きつけた。
男が棍棒を振り下ろすより先に、棒が腹へ入った。
「――ッ!」
男が息を詰まらせる。
倒れない。
でも、足が止まった。
それでいい。
倒そうとするな。
止めろ。
俺は棒を引き戻した。
男との距離を取る。
右肩が痛い。
手も震えている。
でも。
まだ棒は持てるし、周りも見える。
荷車の反対側で
短剣を持った追い剝ぎが、一人、荷車の後ろへ回り込もうとしていた。
村の男たちは、前の男たちを見ている。
気づいていない。
「後ろ!」
日本語では通じない。
リィナだけが、俺の視線を追った。
振り返る。
短剣の男を見る。
リィナが何かを叫んだ。
今度は通じた。
村の男たちが振り返る。
短剣の男が走る。
荷車へ飛びつこうとする。
リィナが前へ出た。
「リィナ!」
怪我をした足を引きずりながら。
それでも。
刃物を構え、男と荷車の間へ入った。
守られて待つ気なんてさらさらない。
あれのどこが、待っているヒロインだ。
「言うこと聞けよ!」
当然、通じない。
リィナは短剣の男を睨んだまま、片手で足元の石を拾った。
投げる。
石が男の顔へ飛ぶ。
男が腕で顔を隠した。
その隙に、村の男が木の棒を振った。
追い剝ぎの肩へ当たる。
短剣が地面へ落ちた。
もう一人の村人が、男へ体当たりする。
二人でもつれ、地面へ倒れた。
「ヒロイン強え!」
「だから怪我人だって言ってるだろ!」
おっさんの声が返ってくる。
見る。
おっさんは、さっき倒した剣持ちの男から離れていた。
顔の左側が赤い。
「おっさん、殴られた?」
「少しな」
「少しの顔じゃないぞ!」
「顔の話はあとだ!」
棒を持った別の男が、おっさんへ向かう。
おっさんは逃げない。
男を見る。
その後ろを見る。
一番後ろで黙っていた男。
頭だとおっさんが言った男。
そいつが片手を動かした。
棒を持った男が、動きを変える。
俺ではなく、村の男へ向かう。
「やっぱり、あいつだ」
おっさんが言った。
「どうする?」
「頭を倒す」
「言ってること変わってない?」
「倒さなくていい」
「どっちだよ!」
「逃げたくさせろ!」
「どうやって!?」
「こっちが面倒だと思わせる!」
簡単に言う。
でも。
剣を持った男は倒れている。
短剣の男も、村人二人に押さえられている。
棍棒の男は、腹を押さえて俺を睨んでいる。
追い剝ぎたちも。
俺たちが抵抗するとは思っていなかった。
こっちは荷運びの村人。
怪我人。
武器もろくにない。
荷物を置いて逃げると思っていた。
だから。
抵抗するだけで、予定が狂う。
「村の人を動かせ!」
「どうやって!」
「お前が前へ出たら、後ろもついてくる!」
「主人公扱いを便利に使うな!」
「格好つけたのはお前だ!」
棍棒の男が、また俺へ向かってきた。
右肩は動かない。
左手を前に。
棒を斜めに構える。
相手の棍棒を止めるんじゃない。
腕が伸びる前に、体を止める。
男が踏み込む。
俺は棒を突き出した。
男が横へ避ける。
来る。
間合いの中へ。
棍棒が振られる。
俺は身を引いた。
先端が胸元をかすめる。
怖い。
近い。
一歩下がる。
また来る。
足元に、別の石があった。
今度は丸い。
小さい。
俺は棒を短く持ち替えた。
石の横を叩く。
低く滑る。
棍棒の男は、さっきの剣持ちが転んだところを見ていた。
石へ気づく。
踏まない。
足を止める。
避ける。
それで十分だった。
「村の人!」
俺は男を指した。
次に、村の男が持っている棒を指す。
押せ。
たぶん、そういう顔をした。
「今!」
俺が叫ぶ。
意味は伝わらない。
でも、動きは伝わった。
村の男が、棍棒の男へ棒を突き出した。
もう一人も続く。
棍棒の男が下がる。
一人ではない。
二人。
三人。
村の男たちが、荷車の周りへ並んだ。
棒を持つ。
石を拾う。
荷物を守るために。
自分たちを守るために。
前へ出る。
「ほらなー!」
おっさんが叫んだ。
「何が!」
「お前が動けば、後ろも動く!」
「最初に言えよ!」
「言ったら動けたか?」
「無理だったかも?」
「なら今で正解だ!」
追い剝ぎたちの動きが止まった。
こちらは、さっきまで怯えているだけだった。
今は違う。
荷車を背にして。
棒を持って。
並んでいる。
数なら、こちらの方が多い。
一番後ろの男が、何かを叫んだ。
追い剝ぎたちが、そいつを見る。
おっさんの読みどおり。
頭だ。
「あいつ、何て言った?」
「知らん」
「営業だろ!」
「言葉は分からん!」
「役に立たねえな!」
「でも、焦ってるのは分かる」
頭の男は、倒れた剣持ちを見る。
押さえられている短剣の男を見る。
俺たちを見る。
表情が変わった。
荷物は欲しい。
でも。
仲間を怪我させてまで奪うほどではない。
命を懸けるほどでもない。
おっさんが、頭の男へ向かって歩き出した。
「おっさん?」
「仕上げだ」
「何する気?」
「営業」
「嫌な予感しかしない!」
おっさんは両手を広げた。
血のついた口元で。
笑った。
営業スマイル。
男たちへ見せていたものより、少し怖い。
頭の男を指す。
次に、倒れた剣持ちを指す。
押さえられている短剣の男。
腹を押さえている棍棒の男。
一人ずつ指す。
最後に。
自分と俺。
リィナ。
棒を持って並んでいる村人たち。
全員を示した。
「続けます?」
日本語。
通じるわけがない。
でも。
意味は伝わった。
頭の男の顔が歪む。
おっさんが一歩近づく。
「商品を奪うために、何人まで払えます?」
頭の男が何かを叫んだ。
追い剥ぎたちが動く。
一瞬。
また襲ってくるのかと思った。
俺は棒を構え直した。
右肩が痛む。
手が震える。
それでも。
下ろさない。
棍棒の男が、一歩下がった。
さらに、もう一歩。
棒を持った男も下がる。
頭の男が、短く何かを言った。
短剣の男を押さえていた村人たちが、おっさんを見る。
「離してやれ」
「通じないぞ!」
おっさんが、手を離す仕草をした。
村人たちは迷った。
リィナが何かを言う。
男たちは、短剣の男から離れた。
短剣の男が立ち上がる。
「──。」
リィナが剣を突き出しながら、もう一度何かを言った。
短剣の男がびくりとリィナを見る。
武器は拾わない。
仲間の方へ下がっていく。
倒れていた剣持ちも、腹を押さえながら起き上がった。
荷車の下にある剣を見る。
おっさんを見る。
諦めた。
剣を置いたまま下がる。
「剣、取らなくていいの?」
「取らせるな」
「おっさんが蹴ったんだろ」
「こっちの戦利品だ」
「急に盗賊みたいになったな」
「戦利品だ」
頭の男が、こちらへ何かを吐き捨てた。
言葉は分からない。
でも、悪口だと思う。
「何て?」
「勝ったと思うな、とかだろ?」
「覚えてろ! じゃないの?」
「あーそんなところだろうな」
「ラノベ知識?」
「営業知識」
「クレーム客と追い剝ぎを一緒にすんな!」
追い剝ぎたちは、少しずつ森へ下がっていく。
走らない。
こちらへ背中も向けない。
まだ、やる気が残っているように見せながら。
逃げていく。
一人。
二人。
頭の男も、最後に森へ入った。
「逃げるぞ!」
俺は一歩踏み出した。
「追うな!」
おっさんの声が飛ぶ。
「でも!」
「逃げさせろ!」
「勝ったんじゃないのかよ!」
「勝ったんじゃない!」
おっさんは森の奥を見たまま言った。
「奪うのを諦めさせただけだ!」
追い剝ぎたちの足音が遠ざかる。
枝の揺れる音。
草を踏む音。
それも、少しずつ小さくなった。
誰も追わなかった。
追う必要はなかった。
森が静かになる。
さっきまで聞こえなかった鳥の声が、一つ戻った。
もう一つ。
俺は棒を構えたまま、男たちが消えた場所を見ていた。
「ニセ令和」
「……何」
「終わったぞ」
「分かってる」
「棒を下ろせ」
「分かってるって!」
棒を下ろそうとする。
腕が動かない。
いや。
腕は動く。
指が動かない。
両手が、棒へくっついていた。
「おっさん」
「なんだ」
「手が離れない」
「何から?」
「棒から」
「逆だ。棒から手を離せ」
「それができないって言ってんだよ!」
声が震えた。
足も震えている。
右肩が痛い。
口の中が乾いている。
主人公だと言えば。
怖くなくなると思っていたわけじゃない。
でも。
もう少しくらい、格好よく勝てるものだと思っていた。
現実は。
棒から手すら離せない。
おっさんが、俺の前へ来た。
頬が腫れている。
鼻の下には血。
笑っていない。
「一本ずつ外せ」
「分かってる」
「ゆっくりでいい」
おっさんが、俺の指へ手をかけた。
一本。
もう一本。
棒から外していく。
最後の指が外れた。
棒が地面へ落ちた。
乾いた音がした。
その音を聞いた瞬間。
膝から力が抜けた。
俺は地面へ座り込んだ。
勝ったとは、思えなかった。
ただ。
誰も死ななかった。
荷物も奪われなかった。
追い剝ぎは、いなくなった。
ヒロインも無事。
今はそれで十分だった。




