第十三話 一晩分の信用
野営地に入れた。
正確には、入れられた。
俺たちは焚き火から少し離れた場所に座らされ、その前には槍を持った男が立っている。
監視つきだった。
「客の扱いじゃない」
「不審者寄りの客だからな」
「不審者寄りって、ほぼ不審者だろ」
「まだ追い出されてない。前向きに考えろ」
「槍持った人に見下ろされながら前向きになれるかよ」
野営地は、村ではなかった。
木を組んだ低い柵。
布を張った簡単な天幕。
積まれた荷物。
干された草や肉らしきもの。
焚き火の周りでは、何人かが手を動かしている。
食事を作る人。
道具を直す人。
荷物を整理する人。
外を警戒する人。
みんな働いていた。
異世界の人間も、立っているだけでは生活できないらしい。
夢がない。
「異世界にも労働あるんだな」
「当たり前だろ」
「もっとこう、魔法で全部どうにかするとか」
「その魔法を使うやつが働いてるんじゃないか?」
「夢を現実で殴るな」
焚き火の近くから、いい匂いがしてきた。
何かを煮ている。
魚ではない。
肉かもしれない。
野菜かもしれない。
どちらでもいい。
食えるなら何でもいい。
俺の腹が鳴った。
見張りが、ちらりと俺を見る。
「違う。これは武器じゃない」
「昨日から腹で警戒を解こうとするな」
「勝手に鳴ったんだよ!」
水の入った器が近くに置いてある。
木をくり抜いたような器だ。
手を伸ばせば届きそうだった。
俺が視線を向けた瞬間、見張りの槍が少し動いた。
「見るだけでも駄目なの?」
「許可を取れってことだろうな」
「どうやって?」
「営業スマイル」
「水飲むために魂売りたくない」
「笑顔は無料だぞ」
「おっさんの笑顔は信用を減らすんだよ」
リィナは少し離れた天幕の前にいた。
さっきの女の人と、腰に小袋をいくつも下げた老人らしき人物が、彼女の足を見ている。
布を外す。
傷を洗う。
何かを塗る。
別の布を巻く。
ちゃんとした治療に見えた。
少なくとも、シャツの切れ端と枝で作った俺たちの「たぶん医療」よりは信用できる。
「大丈夫そうだな」
「だな」
「俺たちの巻き方、怒られてない?」
「助けるためにやったことは伝わるだろ」
「悪化させてたら?」
「謝る」
「営業は顔と腰と謝罪でできてるんだっけ」
「よく覚えてるな」
「嫌な言葉ほど残るんだよ」
治療を受けながら、リィナがこちらを見た。
目が合う。
俺は何となく手を上げた。
見張りの槍も上がった。
「何もしない! 挨拶!」
「急に動くな、ニセ令和」
「手振っただけだろ!」
「向こうからすれば、謎の合図かもしれん」
「どんな合図だよ」
「後ろから襲え、とか」
「仲間いねえよ!」
「向こうは知らない」
また正論だった。
この世界に来てから、おっさんの正論率が高すぎる。
腹が立つ。
しばらくして、治療を終えたリィナが運ばれてきた。
運ばれてきたと言っても、担架ではない。
女の人ともう一人の男に肩を貸され、ゆっくり歩いている。
俺たちがやったのと同じだった。
違うのは、リィナの顔が少し安心していることくらいだ。
知っている人間に囲まれたからだろう。
そりゃそうだ。
言葉の通じない男二人より、知っている相手の方がいい。
分かっている。
分かっているけど。
少しだけ、置いていかれた感じがした。
「寂しいか?」
「うるせえ」
「まだ何も言ってないぞ」
「顔が言ってる」
「顔で通じるようになったな。営業向きだ」
「嬉しくねえよ」
リィナは焚き火の近くに座らされた。
その前に、体格のいい男が立つ。
外で俺たちの所持品を調べた男だ。
たぶん、この野営地で一番偉い。
少なくとも、一番偉そうではある。
男がリィナに何かを尋ねた。
リィナは答えた。
森を指す。
自分の足を指す。
地面へ手をつき、倒れるような仕草をする。
それから、俺たちを指した。
水を飲む仕草。
魚を食べる仕草。
火を起こす仕草。
俺たちを指し、自分の足に巻かれた新しい布を指した。
「説明してるな」
「何て?」
「森で怪我をした。俺たちと会った。水と飯を分けた。足を手当てした」
「分かるの?」
「全部たぶんだ」
「便利だなあ、たぶん」
リィナはさらに、両腕を広げるような仕草をした。
火の前に立ち、何かを追い払う動き。
昨夜の黒い犬みたいなやつだろうか。
リィナが俺を指す。
アイドを指す。
そして、三人をまとめるように手を動かした。
「夜の話もしてる?」
「一緒に獣を追い払った、ってところか」
「俺、火のついた枝持って叫んでただけだけど」
「十分働いた」
「おっさんも叫んでただけだろ」
「俺は指揮」
「声がでかかっただけだ!」
責任者らしき男は黙って話を聞いていた。
途中で一度、俺たちを見る。
目が合った。
笑顔はない。
俺はとりあえず、敵意がない顔を作ろうとした。
「お前、顔が硬いぞ」
「槍向けられながら自然に笑える方がおかしいんだよ」
「口角を上げろ」
「こう?」
「腹が痛そう」
「営業難しいな!」
リィナの説明が終わった。
男が何かを尋ねる。
リィナは強くうなずいた。
それから俺たちを見た。
迷いはなかった。
俺たちが彼女を助けた。
たぶん、そう言ってくれた。
男はしばらく俺たちを見ていた。
次に、見張りへ何かを命じた。
見張りが槍を少し下げる。
「おっさん」
「おう」
「槍、下がった」
「完全には下がってないけどな」
「今は喜ばせろよ」
「腹を刺される高さから、足を刺される高さになった」
「喜びづらい!」
別の男が、木の器を二つ運んできた。
俺たちの前へ置く。
中には水が入っていた。
「水!」
「待て」
「何だよ!」
「相手を見る」
アイドは責任者を見る。
器を指す。
自分を指す。
口元へ手を運ぶ仕草をする。
飲んでいいか。
そう聞いているらしい。
責任者は小さくうなずいた。
「許可が出た」
「いただきます!」
「日本語で礼を言うな」
「言わないよりいいだろ!」
水は冷たかった。
昨日、沢で飲んだ湯とは違う。
少し土の匂いがした。
けれど、うまかった。
喉を通るだけで、生きている感じがする。
「うまい」
「水だぞ」
「水がうまいんだよ」
「文明人の基準が下がってるな」
「異世界が下げたんだよ」
次に、小さな皿が二つ置かれた。
平たいパンのようなもの。
煮た豆らしきもの。
肉の欠片。
量は少ない。
だが、食べ物だ。
ちゃんと人間が作った食べ物。
「これ、二人分?」
「一人一皿だから二人分だろ」
「少なくない?」
「お前は礼に宴会でも期待してたのか?」
「リィナ助けたんだぞ」
「リィナ一人を助けた礼で、正体不明の男二人を何日養えば満足だ?」
「……それは」
「一食と水。十分親切だ」
「冷静だな」
「善意は無料でも、飯は無料じゃない」
冷たい言葉に聞こえた。
けれど、野営地を見れば分かる。
食べ物は誰かが集めた。
水も誰かが運んだ。
薪も誰かが拾った。
俺たちが一食食べれば、その分、誰かの食べる量が減る。
リィナを助けたからといって、何でももらえるわけではない。
「……そうだな」
「納得したか」
「腹立つけど」
「成長したな、ニセ令和」
「上から言うな、クソ昭和」
パンらしきものをかじる。
硬い。
味も薄い。
でも、うまい。
豆も少し青臭い。
肉も筋っぽい。
でも、うまい。
空腹は調味料という言葉を考えた人は、たぶん一度遭難している。
俺たちが食べていると、リィナがこちらへ来た。
今度は杖を使っている。
女の人が隣で支えているが、自分でも歩こうとしていた。
リィナの手には、小さなパンがあった。
自分の食事らしい。
彼女は俺たちの前まで来ると、そのパンを半分に割った。
片方を俺へ差し出す。
「……俺に?」
リィナはもう一度、パンを差し出した。
「いや、いらない」
通じない。
俺は首を横に振る。
リィナの足を指す。
パンを指す。
リィナを指す。
「怪我人が食え」
「通じないぞ」
「顔で押す」
「俺の理論を使いこなしてきたな」
「うるせえ」
リィナは眉を寄せた。
それでもパンを差し出してくる。
俺も受け取らない。
しばらく、パンの押しつけ合いになった。
「何してるんだ、お前ら」
「遠慮の国際交流」
「平和だな」
「槍がなければな」
最後にリィナは、パンをさらに小さくちぎった。
ほんの一口分。
それを俺の皿に置く。
残りは自分で持った。
「妥協された」
「交渉成立だな」
「何も話してないけど」
「言葉が通じなくても、遠慮は通じる」
「腹減ってるのもな」
第三話で、互いの腹が鳴ったことを思い出した。
あのときは、刃物を向けられていた。
今も槍を向けられている。
あまり進歩していない気もする。
でも、リィナが分けたパンを食べた。
少し硬かった。
うまかった。
食事が終わると、責任者の男が俺たちの前へ来た。
男は地面に、石を二つ置いた。
俺とアイドだろうか。
次に、平たいパンを一つ置く。
布を丸めたものも置く。
食事と寝床。
そして、空を指さした。
太陽の動きを表すように、東から西へ手を動かす。
「今日一日?」
「たぶん、一晩だ」
男は次に、荷物を持ち上げる仕草をした。
木を運ぶ。
袋を背負う。
何かを積む。
それから、俺たちを指す。
「働け?」
「明日からな」
「拒否したら?」
男は野営地の外を指さした。
「分かりやすいな!」
「働くか、出ていくか」
「二択が重い!」
「選択肢があるだけ森よりましだ」
「またそれかよ」
俺は野営地の外を見た。
森がある。
グリーンハゲ。
黒い犬みたいな何か。
水場。
夜。
空腹。
そして、野営地の中を見る。
槍。
監視。
労働。
「……働くしかないな」
「だな」
「異世界に来ても働くのか」
「食うならな」
「夢がねえ」
「生きるってのは、だいたい夢より先に飯だ」
アイドは責任者へ向かって、何度もうなずいた。
次に自分の腕を叩く。
俺を指す。
俺の腕も叩こうとする。
避けた。
「勝手に俺を労働力として売るな!」
「売ってない。働けますって伝えてる」
「俺の許可を取れ!」
「さっき自分で働くって言っただろ」
「言ったけど、おっさんに商品紹介されたくない!」
「セット商品として提案してるだけだ」
「もっと悪いわ!」
責任者は俺たちの言い合いを黙って見ていた。
やがて、近くにいた女の人と何かを話す。
女の人が少し笑った。
初めて、現地人に笑われた。
たぶん、好意的に。
たぶん。
俺たちは、一晩だけ野営地に置いてもらえることになった。
水がある。
食事がある。
寝る場所がある。
その代わり、明日から働く。
森では、生きるために走った。
野営地では、生きるために働くらしい。
異世界へ来ても。
労働からは、逃げられない。




