2話
「もう一回」
アルベルトが銀貨を卓へ置く。
神官服の女が何か言おうとしたが、その前に俺は木札を集めた。
「続けるなら、今度は対戦相手を変えましょう」
「なんでだ?」
「ずっと同じ相手だと、その人の金が先になくなります」
向かいに座っていた髭面の男を見ると、借りた銅貨を数えながら露骨にほっとした顔をしていた。
「助かった……」
「おい」
「いや、勇者様と勝負できただけで十分ですよ。十分」
さっきまで威勢がよかったくせに、二十一を目の前で出されて少し弱気になったらしい。
代わりの相手を募ると、すぐに三人ほど手が上がった。勇者と同じ卓につけるだけで話の種になるのだろう。
「俺がやる!」
「いや、次は俺だ!」
「銀貨一枚なんて持ってねえぞ」
「賭け金は同額でなくても構いません。ただし、勝った分だけ受け取る形にしましょう」
銀貨一枚を出すアルベルトに対し、相手は銅貨二十枚。
今の俺には、この世界の貨幣価値を正確に把握できているわけではない。それでも周囲の反応を見る限り、アルベルトが軽い気持ちで置いている銀貨一枚は、普通の酒場客にとって小さくない金額らしかった。
二戦目。
アルベルトは十九。
相手は十七。
三戦目。
アルベルトは十五で止め、相手が欲を出して二十三。
「また勝った!」
周囲が沸く。
アルベルト自身も隠すつもりがないらしく、銀貨を受け取るたびに笑みが深くなっていた。
「なあ、やっぱり俺、こういうの向いてないか?」
「三回でしょう」
神官服の女が呆れたように返す。
「三回とも勝ってる」
「だから何ですか」
「普通は一回くらい負けるだろ」
「その普通はどこから出てきたんです?」
言い合う二人の横で、青い外套の女が俺の作った木札を一枚つまみ上げた。
「ねえ。この札、全部で何枚あるの?」
「今は四十枚くらいですね」
「数字ごとの枚数は?」
「だいたい同じです」
「だいたい?」
「急ごしらえなので」
彼女は木札を何枚か並べ、眉間に皺を寄せた。
「それじゃ確率が一定じゃないじゃない」
「その通りです」
「駄目じゃない」
「なので試作品です」
そう答えると、女は少し意外そうな顔をした。
「試作品?」
「ちゃんとやるなら札の枚数も揃えます。今夜は思いつきで作っただけなので」
「ふうん」
彼女は札を卓へ戻したが、その視線は離れなかった。
「ノエル」
神官服の女が呼ぶ。
「あなたまで興味を持たないで」
「私は遊びたいわけじゃないわ。仕組みが気になるだけ」
「その台詞、信用できません」
「何でよ」
「アルベルトの仲間だからです」
「ひどくない?」
大剣を背負った男だけは輪の外にいた。
酒を飲みながらこちらを見ているものの、参加する気はないらしい。
「ドランはやらないのか?」
アルベルトが声をかける。
「やらん」
「面白いぞ」
「金が減るか増えるかで騒ぐのが面白いとは思わん」
「勝てば増えるぞ」
「負ければ減るだろうが」
「だから勝てばいい」
ドランはしばらく勇者を見つめたあと、木杯を傾けた。
「魔王を倒すより簡単そうに言うな」
周囲から笑いが起こった。
アルベルトまで笑っている。
「じゃあ次」
俺が札を集めると、神官服の女が今度こそアルベルトの肩を掴んだ。
「もう十分でしょう」
「まだ四回だぞ」
「三回でやめるような言い方をしていたじゃないですか」
「一回とは言ったけど、三回とは言ってない」
「そういう問題ではありません!」
俺は手を止めた。
「今日はここまでにしてもいいと思いますよ」
アルベルトがこちらを見る。
「なんで?」
「勝ってますから」
「勝ってるなら続けた方がいいだろ」
「そう考える人もいます」
「レンさん」
神官服の女がほっとしたようにこちらを見る。
俺は続けた。
「ただ、勝っているうちに席を立てる人は、思っているほど多くありません」
「ほら」
女が勝ち誇った顔をした。
アルベルトは卓の上に増えた銀貨と銅貨を見下ろし、少し考えた。
その間にも周りの客が、
「もう一回見たかったな」
「勇者様ならまだ勝てるだろ」
などと好き勝手に言っている。
結局、アルベルトは銀貨を手に取った。
「今日は帰る」
「そうしてください」
「でも明日もやってる?」
「店が開いている間なら」
「レンさん!」
「聞かれたので」
アルベルトが笑った。
「じゃあ、また来る」
「来ません!」
神官服の女に背中を押されながら、勇者一行は店を出ていった。
扉が閉まったあとも、しばらく店内はざわついていた。
「勇者様が三連勝だってよ」
「四連勝じゃなかったか?」
「最初のやつも入れたら四だ」
「俺も明日やるぞ」
「席取っとけよ」
話が勝手に広がっていく。
俺は木札を片づけながら、卓の周囲を見る。
勇者が帰ったのだから客も散るかと思ったが、逆だった。
「次、俺な」
「俺も入れてくれ」
「さっきの二十一ってやつ、もう一回説明してくれ」
まだやるらしい。
バルガンを見ると、厨房からこちらを眺めながら満足そうに顎を撫でていた。
「レン」
「何です?」
「皿洗い、今日はもういい」
「珍しいですね」
「その代わり、その卓を閉めるな」
「どっちが本業か分からなくなってきましたね」
「酒が売れる方が本業だ」
店主としては正しい。
その夜、店を閉めたのはいつもよりずっと遅かった。
最後の客を追い出し、卓を拭いていると、バルガンが小さな革袋を投げてよこした。
受け取った途端、じゃらりと音がする。
「今日の分だ」
中を見る。
銅貨が思っていたより入っている。
「こんなに?」
「酒と料理の売上が普段の倍以上だ。お前の取り分は約束通り四分」
俺は革袋の中身をもう一度数えた。
三日間働いて受け取る予定だった日当より多い。
「……皿洗いより儲かりますね」
「皿洗いを馬鹿にするなよ」
「してませんよ。ただ、向き不向きの話です」
「お前、皿洗い向いてねえもんな」
「そこは否定しません」
バルガンは笑いながら酒樽の栓を締めた。
俺は革袋を腰にしまう。
客同士が勝とうが負けようが、酒場には金が落ちる。
勝った人間は気前がよくなり、負けた人間は帰る前にもう一杯頼む。見物人まで長居するなら、卓そのものから金を取らなくても商売になる。
前の世界では当たり前だった仕組みを、この世界ではまだ誰もまともに使っていない。
それなら、やりようはいくらでもありそうだった。
「木札、もう少しちゃんと作れませんかね」
「まだやる気か?」
「やる気というより、このままだと数字の枚数が揃ってないので」
「細けえな」
「こういうところは細かくないと揉めます」
「だったら明日、裏の倉庫を探してみろ。古い木箱があったはずだ」
「使っていいんですか?」
「客が来るならな」
そこで話は終わった。
寝床代わりの倉庫へ戻り、藁を詰めただけの簡素な寝台に横になる。
三日前には、自分が明日どうやって食事を手に入れるのかすら分からなかった。
今は腰の革袋に、自分で作った遊びから生まれた金が入っている。
店を持ちたいだとか、大金持ちになりたいだとか、そこまで考えているわけではない。
ただ、明日も同じことをすれば、今日より少しくらいはまともに生きられそうだった。
それで十分だった。
◇
翌日。
昼過ぎには木札を作り直した。
今度は大きさを揃え、数字ごとの枚数も合わせる。バルガンが出してきた古い木箱は思った以上に状態がよく、薄く削れば十分使えた。
夕方になると、客がいつもより早く集まり始める。
「勇者様、今日も来るらしいぞ」
「誰が言ってた?」
「知らん。聞いた」
噂というものは雑だ。
俺は別に、アルベルトが来ると宣伝した覚えはない。
それでも店は昨日以上に混み始め、バルガンは早々に追加の酒樽を開けていた。
「レン、今日も頼むぞ」
「今日は給仕しなくていいんですか?」
「お前が給仕するより卓に座ってた方が儲かる」
評価がはっきりしている。
日が落ちた頃には、卓の周りはほとんど空きがなくなった。
何人かと勝負を回していると、入口の扉が開く。
「お、来たぞ!」
誰かが声を上げた。
昨日と同じ白銀の鎧。
アルベルトだった。
その後ろには、当然のように三人もいる。
「ほら! やっぱり来たじゃないですか!」
神官服の女が入るなり怒っている。
「いいだろ。今日は昨日勝った分だけ使うから」
「そういう話ではありません!」
「なら負けなきゃいい」
「昨日からそればっかり!」
アルベルトは聞き流しながら、人混みを抜けて俺の卓まで来た。
「レン」
「いらっしゃいませ」
「昨日のやつ、まだやってる?」
「もちろん」
彼は席へ座りかけたが、途中で何かを思い出したように止まった。
「なあ」
「何でしょう」
「昨日より面白い遊び、ないのか?」
後ろで神官服の女が額を押さえた。
俺は新しく作り直した木札へ目を落とす。
昨日一晩で、もう次を求めるのか。
「ありますよ」
アルベルトの顔が明るくなる。
俺は卓の下へ手を伸ばした。
「ちょうど今日、試してみようと思っていたところです」




