3話
「ちょうど今日、試してみようと思っていたところです」
俺が卓の下から取り出したのは、数字を刻んだ円形の木盤だった。中央に軸を通し、縁には一から十二までの数字を並べてある。
「何だ、それ?」
「数字を当てる遊びです。数字一つなら六倍、奇数か偶数なら二倍」
「六倍?」
アルベルトが露骨に食いついた。
「十二個あるのに六倍?」
ノエルがすぐ気づく。
「店側が有利じゃない」
「その通りです」
「堂々と言うのね」
「利益が残らない店は続きませんから」
アルベルトは笑って銀貨を一枚置いた。
「九」
俺は盤を回し、小さな木球を落とした。
球が跳ね、止まる。
「九です」
一瞬の沈黙のあと、酒場が沸いた。
「一発で当てた!」
「勇者様すげえ!」
銀貨一枚が六枚になる。
アルベルトは満足そうにそれを引き寄せた。
「やっぱり俺、こういうの向いてるな」
「また始まった……」
エリシアが額を押さえる。
その後、他の客も参加し始めた。
アルベルトは最初の大当たりで気をよくし、偶数、奇数、数字と賭け方を変えながら続ける。勝つこともあれば負けることもあったが、賭け金だけは少しずつ大きくなった。
「次、銀貨三枚。偶数」
「増やしすぎでは?」
「まだ勝ってる」
「勝っているうちに帰るのも手ですよ」
「あと一回」
盤を回す。
七。
「外れです」
アルベルトの笑みが消えた。
「もう一回」
「今日はここまでにしては?」
「負けた分を戻すだけだ」
エリシアがすぐ腕を掴む。
「それをやめなさいと言っているんです!」
アルベルトは不満そうだったが、俺が盤を持ち上げると諦めた。
「……明日もやるよな?」
「店が開いていれば」
「明日は魔王討伐へ出る日でしょう!」
「出発前に一回くらいできる」
嫌な予感しかしなかった。
◇
翌日の昼、予感は当たった。
旅装姿のアルベルトが酒場へ来た。
「一回だけ」
「今日は出発日でしょう」
「昨日の負けを戻したら行く」
エリシアたちも一緒だったが、全員すでに疲れた顔をしている。
アルベルトは銀貨五枚を卓へ置いた。
「十二」
「その金、旅の路銀では?」
「全部じゃない」
エリシアが何か言いかけたが、アルベルトは先に盤を指した。
「一回だけだ」
俺は念を押した。
「負けても追加しないでください」
「ああ」
盤を回す。
球が止まった。
十二。
「よし!」
銀貨五枚が三十枚になった。
アルベルトの顔が一気に明るくなる。
「これだけあれば旅も楽になる!」
「なら帰りましょう」
エリシアが言う。
「いや、勝った分だけならいいだろ」
「よくありません!」
俺も首を振った。
「今日はもうやめた方がいい」
「増えた金だぞ?」
「元は路銀です」
それでもアルベルトは引かなかった。
勝った金だけだから。
一回だけだから。
戻せるから。
言い訳を変えながら続け、三十枚あった銀貨は二十枚、十枚と減っていく。
「次で戻る」
「終わりです」
「まだ金はある」
アルベルトが革袋を開く。
エリシアの顔色が変わった。
「それ、残りの路銀でしょう!」
店内が静まった。
俺は盤から手を離した。
「路銀なら受けません」
「少しくらいなら――」
「駄目です」
「勝てば増える」
「負ければ旅に出られなくなる」
アルベルトは黙った。
それでも、すでに使った分だけで路銀はかなり減っていた。
エリシアが袋の中を確認し、深く息を吐く。
「……足りません」
「え?」
「宿代と食料、馬車代を考えたら、魔王領まで行けません」
アルベルトの顔から血の気が引いた。
◇
「勇者アルベルト様!」
夕方、王宮の使者が酒場へ飛び込んできた。
「なぜまだ出発しておられないのです!」
アルベルトは答えない。
代わりにエリシアが言った。
「路銀が足りなくなりました」
「盗賊ですか?」
「本人が使いました」
「何に?」
店内の視線が俺の卓へ集まった。
使者は円盤を見て、次に俺を見る。
「……これは?」
「賭け事です」
「勇者様は、これで路銀を?」
「途中で止めましたけどね」
役人は額を押さえた。
結局、魔王討伐の出発は延期になった。
新しい路銀を用意するには、王宮での手続きが必要らしい。
使者に連れていかれる直前、アルベルトがこちらを振り返った。
「レン」
「何でしょう」
「次は勝つからな」
「まず魔王を倒してきてください」
エリシアに襟首を引かれ、そのまま連れていかれた。
静かになった店で、バルガンが卓を眺める。
「お前、とんでもない遊びを持ち込んだな」
「止めましたよ」
「勇者の出発は止まったけどな」
言い返せなかった。
ところが騒ぎを聞きつけたのか、店の外にはいつの間にか人が集まっていた。
「勇者様が六倍にした店ってここか?」
「新しい賭け事があるって聞いたぞ」
「俺もやってみたい!」
バルガンが入口を見て、今度は俺を見る。
「なあ、レン。この卓一つじゃ足りなくねえか?」
「そうですね」
「前の世界じゃ、こういう店を何て呼んでた?」
俺は円盤に手を置いた。
「カジノです」
「かじの?」
「賭け事をするための店ですよ」
バルガンが笑う。
「だったら作るか?」
外の列は、まだ伸びていた。
前の世界では、俺は誰かが作ったカジノでカードを配るだけだった。
この世界には、まだ一軒もない。
「……作ってみますか」
「何を?」
「俺のカジノを」
翌朝、勇者が魔王討伐を延期した噂は王都中へ広がり、酒場の前には開店前から客が並んだ。
完
お試しの短編でした。最後までお読みいただきありがとうございます。反応よければ連載にするかも。




