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祠の悪魔と、貧乏貴族 〜屋敷の地下ダンジョンと悪魔の商店で、領地再建はじめます〜  作者: ななほし


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第44話 老騎士、帰還

 轟音が、戦場を真横から引き裂いた。


 槍衾。

 馬蹄。

 土煙。


 軍馬の列が、魔物の群れへ鋭く食い込んでいく。


 整然とした突撃だった。

 ばらけた寄せ集めじゃない。

 訓練された軍の、鋭利な横槍。


「押し返せぇぇぇっ!!」


 誰かの怒号と同時に、村の空気が変わった。


 今まで押されるばかりだった防衛線が、初めて息を吹き返す。

 裂けかけていた線に、ようやく芯が通る。


 ベニーが盾を掲げたまま吠えた。


「前へ! 今だ、押し返せ!」


 護衛班が応じる。

 補給班上がりの連中も、今は槍や棒を握って前へ出た。

 崩れかけていた導線が、少しずつだが繋がり始める。


 アンバーの戦斧が唸った。


「道が開いたよ! 畳みな!」


 横合いから割り込んだオークの頭蓋を砕き、そのまま返す一撃で森狼を叩き飛ばす。

 血と土にまみれた顔で笑うその姿に、恐怖より先に気迫があった。


 ガレスもまた、中央の線を繋ぎ直していた。


「潮目が変わった! 押し返せ!」


 槍が閃く。

 喉を穿ち、膝を払う。

 倒れた個体を踏み越え、次を突く。


 クレーネの矢は、戦場の穴だけを正確に埋めていた。


「そこ!」


 短い言葉。

 次の瞬間には、ハンターの死角を狙う森蜘蛛を何匹も射殺した。


 ロロは一度だけ、ロシュのいる方角を見た。


 行きたい。

 今すぐそばへ行きたい。


 その想いが、顔に痛いほど浮かんでいた。


 だが、今は離れられない。

 ロロが抜ければ、その分だけ周囲の負担が増える。


 そう思った瞬間、拳を握り直していた。


「ロロ! ロシュのところ、行って!!」


 クレーネの言葉に振り返る。


「今、大丈夫! 行って!!」


 泣きそうな声を押し殺しながら、ロロは踏み込んだ。


 村人へ飛びかかろうとしていた森狼の顎を殴り抜く。

 返しの蹴りで別個体を吹き飛ばす。


 その一瞬で、道が開いた。


 ロロはロシュへ向かって駆け出した。


 後方では、ゴリアテとバルドが負傷者を担ぎ続けている。

 レオ、クラリス、トマも必死に声を張り上げ、地下へ続く導線を切らさない。


「そっちを先に通せや!」

「入口はまだ空いてます!」

「地下には二名ずつで入って下さいっす!」


 避難は、ようやく繋がり始めていた。


     ◇


 ロシュは両膝をついたまま、その光景をぼやける視界で見ていた。


 左目は潰れ、右目も血で滲んでいる。

 胸の傷は脈打つたびに熱を持ち、呼吸一つで焼けるように痛んだ。


 それでも、分かる。


 人の側が、押し返し始めている。


「……っ」


 安堵か、悔しさか。

 うまく分からないものが喉の奥に詰まった。


 戦場の中心を、王都騎士団が裂いていく。

 その先頭近く、老いた騎士が槍を振るうたび、魔物の群れに風穴が開く。


 センバスだった。


 老執事の穏やかな空気など感じさせない。


 あるのは、戦場を知り尽くした騎士の姿だけだ。


 そして、目につくもう一人の女騎士。

 他の騎士とは違う豪奢な鎧を着た女は、特殊個体のオーガを流麗な剣捌きで翻弄していた。


 その後ろに続く騎馬騎士たちも強い。

 横列を保ち、崩さず、無駄な深追いをしない。

 ただ裂き、ただ押し、ただ人の側へ余白を作る。


 それだけで戦況が変わっていく。


「ロシュ様!」


 騎士たちの介入で、ロロはどうにかロシュのもとへ辿り着いた。


 膝をつき――血に濡れたその顔を見て、息を呑む。


「そんな、ひどい……」


 左目が潰れている。


 だが――それ以上に。


 残された目に、光がなかった。


 ロロの手が震える。

 それでも、肩を支えた。


「立てる?」


「……あぁ」


 か細い返事。


「……俺は、大丈夫だ」


 その声は――空っぽだった。


 陽だまりみたいな主は、もうどこにもいない。

 その現実に、ぽたりとロロの頬を涙が伝った。


    ◇


 その時だった。


 クレーネが高所から短く叫ぶ。


「……まだ来る」


 ロロが顔を上げる。

 アンバーも戦斧を持つ手を止めた。


 押し返している。

 確かに押し返している。


 なのに、森の奥から湧き出る気配が細らない。


「……おかしいね」


 アンバーが低く言った。


「これだけ削ってるのに、まだ出てくるのかい」


 ベニーも盾を構えたまま眉を寄せる。


「供給が切れてない……?」


 そこでようやく、誰もが同じ違和感に行き当たる。


 この魔物の狂騒は、ただの群れじゃない。

 まだ、どこかで“流し込んでいる”奴がいる。


     ◇


 森の高み。

 焼けた木々の向こう、崩れた岩の上で、ティエラは頬杖をついて戦場を見ていた。


「あらら」


 楽しげな声。


「こんな良いところで横槍がくるなんて、ほんと分かってないなぁ」


 琥珀色の瞳が細まる。

 村を裂くはずだった狂騒の流れに、王都騎士団が割り込んだ。

 しかも思った以上に鋭い。


 それでも、ティエラの表情に焦りはなかった。


「これから、もっと残酷に壊すことが出来たのに」


 視線の先では、ロシュが地に膝をつきながら俯いている。

 ロロは泣きそうな顔で支え、他の者も、まだ戦意を失っていない。


 ティエラは指先を地面へ向ける。

 細い魔法陣が、足元の土に染み込むみたいに広がっていった。


「もうちょっとだけ、頑張ってくれない?」


 囁くと、森の奥の綻びがじわりと揺れる。

 細い。

 だが、まだ繋がっている。


 完全に盤面を手放すには早い。


「はぁ……無粋な真似をする奴が多くて困る」


 ティエラは肩をすくめ、それからふと顔を上げた。


 空気が変わったのを感じたからだ。


 重い。

 冷たい。

 ただそこに立たれるだけで、不快なほど空気が沈む。


「……ほんとに過保護だね」


 ティエラの笑みが、ほんの少しだけ薄くなる。


「それとも、あの子に昔の自分でも重ねちゃった?」


     ◇


 黒い霧が、森の闇の中を這った。


 煙のようで、霧のようで、どちらとも違う。

 濃く、重く、光を呑み込む闇。


 それが集束し、人の輪郭を取り、やがて重厚な漆黒の全身鎧を形作る。


 大剣を携えた、あの姿。


 ティエラの表情から、完全に遊びの色が消えた。


「……相変わらず嫌な気配だね」


 初代ヴァーミリオンは答えない。

 ただ、ティエラの前に立つ。


 その沈黙だけで十分だった。

 空気が張りつめ、周囲の木々すら息を潜めたように見える。


 ティエラの指先が淡く光る。

 高速で幾何学模様の魔法陣が一瞬で幾重にも組み上がった。


 次の瞬間、初代が動いた。


「断空 ――解放」


 大剣が轟音を上げ振るわれる。

 不可視の斬撃が、組み上がった魔法陣ごと空間を叩き割る。

 激しい衝撃音。

 地面が裂け、木々の根が弾け飛ぶ。


 ティエラは跳んで距離を取る。

 そこへさらに黒い刃圧が追う。


「っ――!」


 受けた魔法障壁が、紙みたいに潰れた。


 数合。

 それだけだった。


 だが、その数合の密度が異常だった。


 空気が鳴る。

 地形が軋む。

 目で追える戦いではない。


 ティエラが舌打ちした瞬間、初代の大剣が一閃した。


 宙に、何かが舞う。


 一拍遅れて、血が噴いた。


 ティエラの片腕だった。


「……っ、はは」


 ティエラは片腕を失ったまま、それでも笑った。

 だが、その笑みはもう余裕のそれじゃない。


「ほんと、容赦ないなぁ」


 初代は何も返さない。

 ただ一歩、前へ出る。


 その一歩だけで、ティエラの瞳に本物の警戒が走った。


「……今回はこれで幕引きだね。残念」


 軽い口調。

 だが、退く判断は速い。


 次の瞬間には、その身体が地の歪みへ溶けていく。


「じゃあね。次会うときは、必ずあの子を壊してあげる」


 その言葉を最後に、ティエラの気配は消えた。


 あとに残ったのは、村を眺める初代と、地面に落ちた片腕だけだった。


 その直後。


 森の奥から湧いていた魔物の気配が、目に見えて減っていく。


     ◇


「……止まった?」


 アンバーが息を吐く。


 完全ではない。

 だが、明らかに違う。


 さっきまで尽きる様子のなかった流れが、急に細くなった。

 押しても押しても出てきていた魔物の供給が、そこで初めて途切れ始める。


 ルシアは険しい顔で森を睨んでいた。


「完全に止まったわけではないが……何者かが綻びを撫でて流し込んでおったのじゃろうな」


「なら、今なら押し切れる!」


 アンバーの声に、周囲の顔つきが変わった。


「残党を叩け! ここで終わらせるよ!」


 そこからは、長い掃討戦だった。


 騎馬騎士団が大きな流れを断ち、ベニー隊と護衛班が線を詰め、アンバーとガレスが残った中型個体を潰していく。

 クレーネの矢は逃げ場を潰し、ロロは最後までロシュへ近づく個体を殴り倒した。


 火の回った小屋へは水がかけられ、崩れた柵の隙間は急場の板で塞がれる。

 ゴリアテとバルドは、今度は負傷者だけでなく、動かなくなった者まで黙って運んでいた。


 トマの声はもう枯れていた。

 それでも導線を整理し続けている。


 レオとクラリスも血と泥にまみれたまま、現場の整理を続けていた。

 顔色は悪い。

 それでも手だけは止まらない。


 誰も勝った顔なんてしていない。


 ただ、終わらせるために動いていた。


     ◇


 どれくらい時間が経ったのか分からない。


 気がつけば、悲鳴は減っていた。

 代わりに残ったのは、呻き声と、火を消す音と、焼けた匂いだった。


「ロシュ様……」


 その声は、もう泣きそうですらなかった。

 泣く余力も残っていないみたいに掠れている。


 ロロは、硝子細工でも触れるかのようにロシュの体を抱きとめる。


 少し遅れてセンバスが歩み寄ってくる。

 服も馬も血にまみれている。


「……若様」


「……センバスさん。ロシュ様が」


 ロロ、そしてロシュの変わり果てた姿を見たセンバスは強く瞼を閉じた。


「私は……間に合わなかったのですね」


 ロシュはただ村を眺めていた。

 センバスもその視線を追った。


 そこには、守れなかったものが並んでいる。


 荒れた畑。

 踏み潰された芽。

 引き裂かれた柵。

 壊れた家畜小屋。

 血で汚れた宿営地。


 干し肉作業場は半ば崩れ、吊るしていた棚は倒れたままだった。

 炊き出し場の竈も壊れている。

 灯のいくつかは、もうそこにない。


 人もいた。


 泣き崩れる者。

 呆然と立ち尽くす者。

 血に濡れた布を抱えたまま座り込む者。

 そして、もう動かない者。


 昨日まで、そこにあった営み。

 やっと少しずつ増え始めていた、小さな灯。


 それが、こんなにもあっけなく壊れていた。


 昨日までそこにあった灯は、もうそこにはない。


 ロシュの残された瞳は完全に死んでいた。

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