第42話 狂騒の火蓋
森の外縁から押し寄せる第二波、第三波を見た瞬間、ルシアの顔からわずかな軽さすら消えた。
「……殲滅は捨てよ! この数は村外で止めきれぬ!」
甲高い声が戦場を切り裂く。
ロシュの少し後ろには、ロロ、ガレス、アンバーがついていた。
クレーネは少し離れた高所へ移り、すでに弓を引いている。
全員、もう前線に出ている。
だからこそ、ルシアの視線はロシュたちではなく、そのさらに後ろ――まだ形を保っている村の導線へ向いた。
「ロシュ隊はそのまま前を抑えよ! 押し返そうとするな、流れを鈍らせるだけでよい! ベニー! 後方をまとめよ! 住民を屋敷地下へ落とせ!」
「了解した!」
村の中程で応戦していたベニーが即座に返す。
その周囲のハンターたちも、すぐに顔つきを変えた。
「クラリスは人を振り分けよ! ゴリアテ、バルドは負傷者と子どもを優先! トマは地下への導線を切らすな!」
「はい!」
「任せろ!」
「了解っす!」
ルシアはさらに叫ぶ。
「補給班は即座に避難誘導へ移れ! 護衛班は屋敷正面と地下への道を死守せよ! 戦闘班は村の中心へ魔物を通すな!」
悲鳴。
怒号。
泣き声。
それでも、今まで積み上げてきた役割分担は、こんな時ほど意味を持つ。
誰が戦い、誰が守り、誰が運び、誰が通すか。
役目は、もうある。
「急げ! 抱え込めば全員死ぬぞ!」
ルシアの声が、村じゅうへ響いた。
◇
戦場は、あっという間に村全体へ広がった。
森狼が柵の切れ目から流れ込み、オークが正面から家屋を押し潰し、森蜘蛛が屋根や木の上を走る。
さらに小型の群体魔物が、畑の畝や木箱の隙間を這うように広がっていた。
一方向から来る群れじゃない。
屋根、裏手、畑側、森側――全部から牙が出る。
「右の屋根! 屋根伝いだ!」
「子どもを先に通せ!」
「荷車どけろ! 道が詰まる!」
怒鳴り声が飛び交う。
どこかで木材が折れ、どこかで誰かが泣き叫ぶ。
広場近くの酒場脇では、森蜘蛛が軒先へ糸を張っていた。
畑側からはオークどもがまとめて柵をへし折る。
屋根の上を走る森狼を、クレーネの矢が一体ずつ落としていく。
「上、二体」
「落とす」
弦音。
次の瞬間には屋根の上の影が崩れ落ち、下で待ち構えていた護衛班が仕留める。
東の外れでは、ガレスが槍を振るっていた。
「下がりすぎるな! 線を保て!」
槍がオークの喉を穿つ。
引き抜くより先に次の一体の膝へ打ち込み、進路を曲げる。
その隙に後ろの護衛班が村人を通し、ゴリアテとバルドが負傷者を担いで走る。
「こっちは任せろ! 走れ!」
「うおっ、重ぇな! でも置いてけるかよ!」
バルドが肩に男を担ぎ、ゴリアテが血まみれの子どもを抱えている。
トマは声を枯らしながら導線を叫んでいた。
「こっちっす! 地下への入口はこっち! 押すな、順番に! まだ通れるっす!」
クラリスとレオは、今は避難者の整理に回っていた。
「歩ける方は歩いて! 歩けない方を先に通します! 泣いているだけでは誰も助かりません、動いてください!」
「押すんやない!! じじいとばばあと子どもが先や! 負傷者はヤバい奴だけ通すんや!」
村じゅうで火と土煙が上がり、悲鳴と怒号が交錯する。
それでも、まだ崩れてはいない。
崩れかけてはいる。
だが、今まで積み上げてきた全部が、この防衛へ変わっていた。
◇
その中で、俺だけが別の戦場にいた。
「うおおおおおっ!!」
踏み込む。
踏震。
前方の地面が揺れ、森狼がまとめて跳ね上がる。
「踏震、解放!!」
衝撃が広がる。
今までなら一角を崩すだけだった技が、今は群れごと吹き飛ばす。
そこへ踏破で突っ込み、着地と同時に鎚踏を叩き込む。
狼の首が飛ぶ。
オークの胸骨が割れる。
吹き飛んだ森蜘蛛が壁へ叩きつけられる。
俺が前へ出るたび、その周囲だけは確かに押し返せていた。
だが、それは戦場全体を救っているわけじゃない。
右を押せば左が膨らむ。
前を断てば、裏手から別の悲鳴が上がる。
俺が切り開いているのは道じゃない。ただ、自分の怒りが届く範囲だけだった。
止まることなんて出来なかった。
この感情だけが、今の俺が縋れる唯一の熱だからだ。
この歩みを止めてしまえば、きっと俺は――
「死ねえぇぇぇ!」
次の魔物へ飛び込む。
ただがむしゃらに斬り結び。
ただひたすらに叩き潰す。
スキルを駆使し、目に映る全ての魔物たちを殺し尽くしてやる。
視界の端で、ロロが俺の背後を守る。
クレーネの矢が頭上を抜け、屋根へ回った個体を落とす。
アンバーが横から割り込み、俺の死角へ入ったオークを戦斧で弾き飛ばした。
「ロシュ様! これ以上は深入りし過ぎです!」
少し離れた位置から、ガレスの声が飛ぶ。
たぶん東の線を支えながら叫んでいるのだろう。
「いい加減にしな! あんた死ぬつもりかい!!」
アンバーの怒声。
「ロシュ様っ!」
ロロの悲痛な声も重なる。
聞こえているさ。
だが、足が止まらないんだ。
もう隊の動きなんて見えていなかった。
目の前の敵を殺す。次を殺す。さらにその先を殺す。
俺の中にあるのは、それだけだった。
◇
畑の外れで、一組の親子がいた。
父親が倒れ、泣きながら縋りつく少年の姿が見えた。
近くには壊れた荷車。
逃げ遅れたのだと、一目で分かった。
その正面に、オークが一体。
「退けぇぇぇっ!!」
俺は踏破を解放し、一直線に飛び込む。
間に合う。
そう思った。
オークの眉間へ剣を突き刺し、そのまま押し切る。
巨体が崩れる。
少年の前から脅威が消える。
助けた。
そう思った次の瞬間だった。
荷車の影に、もう一つ黒い影。
森狼が飛び出した。
反射的に剣を突き出す刹那――
「……あっ」
「っ!?」
森狼の牙が子どもの喉へ食い込む。
首筋から血が湯水のごとく流れ出し、少年の瞳に光が消えていく。
少年の顔を見た瞬間、広場で干し肉をおいしそうに齧る男の子だと気付いてしまった。
「うわあぁぁぁぁっ!! ふざけんじゃねぇぇっ!!」
俺は腕を伸ばした。
たぶん、本当にあと半歩だった。
だが、届かなかった。
少年の体が崩れ、血まみれの地面へ膝をつく。
森狼が首筋の肉を引きちぎり、口元を血に染めながら俺を睨みつけた。
「――っ」
頭の中で、何かが切れた。
怒りとか悲しみとか、そういう言葉に収まるものじゃない。
もっと単純で、もっと黒くて、もっと止まらない何か。
「……あ」
自分でも聞いたことがないくらい低い声が、喉の奥で鳴った。
森狼へ踏み込み斬り殺す。
返り血が顔へかかり、あっけなく死んだ森狼に向けて剣を突き刺した。
何度も。
何度も。
何度も。
俺は森狼が光の粒子に還るまで、ただひたすらに刃を突き刺した。
ロロが何か叫んでいる。
クレーネの矢音も、アンバーの怒鳴り声も、何もかもがどこか遠い。
もう何も届かない。
「殺す」
口から、ただそれだけが漏れた。
「殺す……!」
そして俺は、村の外れ――森側へ向かって踏み込んでいた。
「ロシュ様ぁっ!!」
ロロの泣き声が背中に刺さる。
だが、振り返れない。
振り返ったら、俺はもう前には進めない。
だから前だけを見る。
前にいる敵を、全部殺し尽くしてやる。
◇
後方では、まだ戦いが続いていた。
「避難を止めるな! 入口を塞ぐな!」
ベニーが盾を構えたまま、屋敷地下への導線を守っていた。
その前で、護衛班が必死に線を作っている。
「右を閉じる! 三人残せ!」
「了解!」
短い指示。
すぐ動く。
訓練してきた形が、土壇場で機能していた。
アンバーが前線に出ているぶん、村内防衛の継ぎ目はベニーが支えていた。
そこへガレスが必要な時だけ戻って線を繋ぐ。
「そこ、開けるな! 押し返せ!」
「は、はい!」
新人が一歩退くたび、ガレスの槍が前へ出る。
喉を穿ち、膝を払う。
倒した敵を踏み越えず、必ず線を保つ。
それが、今の防衛では何より大事だった。
クレーネは高所を渡りながら、後方へ抜けそうな個体を確実に落としていく。
「上、一体」
「落とす」
土矢が飛ぶ。
屋根を回ってきた森蜘蛛が落ちる。
その下を、クラリスが子どもたちを地下へ通していた。
「急いで! まだ間に合います!」
ゴリアテとバルドは物資と負傷者をまとめて担ぐ。
「そっちの婆さんは先だ!」
「水樽どけろ! 通路が詰まる!」
「分かってる、今やってる!」
トマは息を切らしながら何往復もしていた。
「こっちっす! まだ空いてる!」
「地下広間まであと少し! 止まらないで!」
避難は進んでいる。
防衛線も、まだ生きている。
仮ギルドはもう仮ではない。ちゃんと組織として機能していた。
――それでも。
「っ、駄目だ……!」
ベニーが低く吐く。
数が多すぎる。
一箇所を押し返しても、別の場所から湧く。
地下への導線は辛うじて繋いでいるが、余裕はない。
防衛は成立しているのではなく、崩壊を先延ばしにしているだけだ。
ルシアもそれを理解していた。
「まだ来るぞ……! 森の奥が静かすぎる!」
その叫びとほぼ同時に、森の外縁が揺れた。
◇
木々の向こうの闇が、ぐにゃりと膨れた。
それは、さっきまでの第二波とも第三波とも違った。
もっと重い。
もっと濃い。
存在そのものが、森の空気を押し潰してくる。
「……なんだ、あれ」
誰かが呟く。
遠く、ティエラが岩の上で笑っていた。
その背後で、森の線が割れる。
まず現れたのは、大きな影。
オークよりさらに大きい。
肩幅が異様に広く、腕が丸太みたいに太い。
まだ全容は見えない。だが、明らかに今までの魔物とは格が違った。
絶望の天井が、もう一段上がった。
「……まずいな」
ベニーが低く吐く。
誰も否定できない。
森の外縁が完全に割れた。
黒い巨影が、一歩、前へ出る。
その後ろで、無数の眼がいっせいに灯った。
狼。
蜘蛛。
甲殻の群体。
暗がりの奥で、なお尽きぬ気配が波のようにうねっている。
ベニーは言葉を失い、ガレスが槍を握り直す。
クレーネの指が、弦の上で止まった。
ルシアでさえ、一瞬だけ黙り込む。
誰の目にも、それが今までとは格の違う脅威だと分かったからだ。
それでも、前にいるただ一人だけは止まらなかった。
守るための戦いは、その瞬間、音もなく別のものへ変わった。




