第39話 回り始めた歯車
あれから数日が過ぎた。
朝の屋敷は、大きく変わっていた。
廊下を走る足音。
庭先から響く掛け声。
木箱を運ぶ音。
帳場で紙をめくる音と、乾いたペン先の音。
目を閉じていても、人と物が動いているのが分かる。
「……騒がしいな」
食堂の椅子に腰掛けたまま呟くと、すぐ横でロロが苦笑した。
「昨日も同じこと言ってたよ」
「昨日よりうるさい」
「人が増えたからね」
増えた。
その一言で済ませるには、もう少し大きな変化だった。
食堂の窓は開け放たれている。
そこから庭が見えた。
運び込まれた木箱の山。
それを仕分ける人影。
武器を持った者、荷を背負う者、紙束を抱える者、炊き出し用の鍋を運ぶ者。
貧乏領主の屋敷とは思えない光景だ。
「ロシュ様、まだ立っちゃ駄目だよ」
「立ってないだろ」
「今、立とうとした」
「気のせいだ」
「気のせいじゃないです」
ぴしゃりと言われて、俺は素直に椅子へ背を預けた。
胸の傷はまだ痛む。
回復薬で死なずに済んだとはいえ、全快にはまだ遠い。
少し深く息を吸うだけでも、奥が鈍く疼いた。
だが、その痛みの向こうで、屋敷はもう止まっていない。
庭ではゴリアテが怒鳴っていた。
「そっちは補給用だ! 水樽を先にまとめろ! 乾燥肉は日陰へ回せ、湿らせたら殺すぞ!」
「物騒だな……」
思わず呟くと、ロロが笑う。
「でも、すごく頼りになるよ。バルドさんも朝から張り切ってるし」
視線を向けると、たしかにバルドが大きな運搬袋を担いで走っていた。
「うおおっ、重ぇ! だが嫌いじゃねぇ!」
「あいつ、ほんと単純だな……」
そのすぐ横では、クラリスが帳簿を片手に何人も相手している。
「登録希望者はこちらに並んでください。武器を見せてください。名前、出身、直近の仕事歴も。あと規約を読んでいない方は後ろです。読めない方は申し出てください、こちらで読み上げます」
早口だ。
だが聞き取りやすい。
しかも一つも無駄がない。
レオはその少し後ろで、搬入された素材を見ながら若い衆に指示を飛ばしていた。
「皮はこっち、牙は分けろ、干し肉は売りと補給で別にせぇ。おい、それ混ぜたら後でクラリスに殺されるぞ」
「若旦那、すでにちょっと殺されかけました!」
「そら混ぜたお前が悪い!」
騒がしい。
だが、悪くない騒がしさだった。
俺はしばらくその光景を眺めてから、小さく息を吐く。
「……本当に、動き始めたんだな」
ロロが隣で頷く。
「うん。今まではロシュ様たちが頑張ってたけど、今は“みんなで回してる”って感じがする」
その言葉が、妙にしっくりきた。
◇
昼前には、登録希望者の列が庭の端まで伸びていた。
もっとも、だからといって全員入れるわけじゃない。
俺は食堂の長机を臨時の帳場代わりにして、クラリスとアンバーと並んで座っていた。
正確には、俺は座らされていた、が正しい。
「では次の方」
クラリスが淡々と呼ぶ。
前に出てきたのは、三十代くらいの男だった。
体格は悪くない。腰の剣もそれなりに使い込まれている。
だが、目が妙にぎらついていた。
「志望理由を」
クラリスの問いに、男はにやついた。
「そりゃあ、スキル武具ってやつ目当てですよ。噂は聞いてますぜ。あれさえありゃ、稼ぎ放題なんでしょう?」
そこで、アンバーが即座に言った。
「次」
「は?」
「今の時点で次だよ。帰りな」
男が顔をしかめる。
「おいおい、まだ何も――」
「規約を理解してるのかい?」
アンバーが腕を組む。
「この組織は、武具を先に渡す場所じゃない。規律も守れず、最初から自分の取り分しか見てない奴にやる席はないよ」
男が舌打ちする。
「けっ、気取ってんな」
クラリスが微笑んだ。
目だけ笑っていないやつだ。
「退去はあちらです。揉めるようでしたら護衛を呼びますが、どうなさいますか?」
男は露骨に顔を歪め、捨て台詞だけ残して出ていった。
俺は小さく息を吐く。
「容赦ないな」
「必要です」
クラリスは即答した。
「人手が欲しいことと、誰でも入れていいことは別です」
その通りだった。
次に来たのは、黒髪で細身の若い女だった。
短剣を二本差している。立ち方も悪くない。
「戦歴は」
アンバーが聞く。
「商隊の護衛を三年かな」
「単独行動の癖は?」
「ないない」
さらりと言った。
「わたし、そんな腕良くないし。一人でモンスター相手するなんて危険じゃん」
そこで俺は少しだけ顔を上げる。
「隊の命令で退けるか?」
「当然。死にたくないしね」
「採用」
今度は俺が即答した。
女が片眉を上げる。
「は、早いね」
「早くない。分かりやすいだけだ」
俺は机に肘をつかないよう気をつけながら続ける。
「強いだけの奴はいらない。欲しいのは、一人で勝つ人間じゃない。隊でやっていける人間だ」
女は数秒こちらを見て、それから肩をすくめた。
「まぁ、取ってくれるならありがたいかな」
「名は?」
「私はローラン。よろしくね」
ローランは俺にウインクをして部屋を退出した。
自分で腕はないと言っていたが、あのローランはかなりの腕利きだと肌で感じた。
態度も悪くなかったし、いい拾いものかもな。
それからさらに、森道に詳しい若者、村外れの見張り経験が長い男、字は下手だが帳面補助ができる娘など、何人かを拾っていく。
逆に、規約をまともに読まない者、妙に武具へ執着する者、命令系統を軽んじる者は容赦なく落とした。
全員を相手にする必要はない。
欲しいのは数じゃない。
回せる形だ。
やがて一息ついたところで、ロロが水の入った杯を俺の傍に置いた。
「いい感じだね。前みたいな、なんちゃって面接じゃない」
「あれは、見切り発車もいいとこだったからな」
俺が言うと、ロロが苦笑した。
「あの時は、ほとんど顔見知りばっかりだったものね」
「今は違う」
俺は庭の列を見る。
「使える人間を、使える場所へ置く段階だ」
◇
午後には、さっそく仮運用が始まった。
大々的な攻略ではない。
まずは回すことが目的だ。
第一層から二層拠点までの補給搬入に、未踏破域の攻略。
低級魔物の間引き。
回収素材の整理。
そして帰還。
それだけでも、前とは比較にならない差が出た。
「……速いな」
食堂で報告を受けながら、思わずそう漏らした。
トマが地図板を広げている。
その横ではクラリスが別紙へ清書を進めていた。
「はいっ。第一層の通過がすごく早いっす」
トマが指で示す。
「前は入口付近で結構足止め食ってたのに、今日は護衛と間引き役が先に入ってるから、補給隊が詰まらないっす」
横でモランが鼻を鳴らした。
「道も覚えた連中が増えてきたからな。無駄に迷わん」
さらに少し遅れて、二層拠点まで行って戻った補給班の報告が来る。
「小広場まで、水樽二、干し肉袋四、予備松明、包み布、空袋を搬入。戻りに外殻片と魔石を回収」
「損耗は?」
俺が聞く。
「なし。途中の小型は護衛隊が処理」
いい。
かなりいい。
戦果自体は派手ではない。
だが、重要なのはそこじゃない。
物が届く。
物が戻る。
人が無駄なく動いている。
それが回っている。
庭へ出ると、その手応えはさらに分かりやすかった。
ゴリアテとバルドが、戻ってきた運搬袋を前に何やら真剣な顔で話している。
「だから言っただろ、重いもんは下だって!」
「分かってる! でもこの袋、口が狭くて入れにくいんだよ!」
「なら最初に詰める順番を考えろ! 考えずに突っ込むから後で死ぬんだ!」
「……おお」
俺は少し感心した。
「喧嘩してるのか、噛み合ってるのか分からんな」
ロロが笑う。
「たぶん両方だよ」
一方でトマは、新しく入った補助係の若者に説明していた。
「ここ、曲がった先が湿ってて滑るんす。だから袋持ちの人は壁寄りで。あと、この印のある場所は魔物が出やすいっす」
「へえ……」
「道順は無理に覚えなくても、最初はこの印だけ見れば何とかなるっす」
少し前まで、誰かの後ろを必死に追いかけていたやつが、もう人に教える側へ回り始めている。
悪くない変化だった。
アンバーもまた、庭の端で何人かを見ていた。
「前に出たい気持ちは分かる。けど、今のお前は護衛向きだ。そこを見誤ると死ぬよ」
「……はい」
「逆にお前は前へ出してもいい。だが一人で行くな。連携を覚えろ」
強い言葉だ。
だが納得させるだけの説得力がある。
俺はゆっくり息を吐いた。
こうして見ると、本当に違う。
俺がいなくても、俺の決めた方針でちゃんと動いている。
ハンターギルドとして、歯車が回り始めている。
その事実に、胸に熱い感情が込み上げた。
◇
初日の仮運用を終え、翌日の昼頃には屋敷の庭へ素材が山のように集まっていた。
皮。
牙。
外殻片。
肉。
魔石。
大物ではない。
だが量が違う。
「おお……」
思わず声が漏れる。
「一日でこれだけ戻るのか」
レオが横でにやりと笑った。
「せやろ。数を回せば、こうなるんや」
クラリスは帳簿を片手に頷く。
「本日分の支払いも終わりました。日当、回収上乗せ、補給補助、それぞれ仮規定通りです」
「不満は?」
「小さな文句はありますね」
クラリスが淡々と言う。
「ですが、支払われるべきものが支払われる組織は、それだけで信用されます」
ロロが少し嬉しそうに言った。
「村の酒場、最近すごいらしいよ。終わったあとにみんな流れてきて、お酒も食事もすごく出たって」
「酒の入荷が追いついてないらしいねぇ」
アンバーが笑う。
「外で寝る連中も増えてるし、簡易の宿営場所はもっといるよ」
ゴリアテも腕を組んで頷いた。
「荷置き場もだな。今のままだと人も物も混線する」
俺は庭の素材の山を見る。
それから、働く人の流れを見る。
攻略のための組織。
だが、もうそれだけじゃない。
人が来る。
金が落ちる。
村に仕事が増える。
保存食が作られ、酒が売れ、宿が要る。
つまりこれは――
「領地そのものが動き始めてるのか」
ぽつりと漏れた声に、レオが笑う。
「そうや」
「分かってたけど、数字になると違うな」
クラリスが帳簿を俺の前へ置く。
「本日分の収支です。まだそれなりですが、明らかに以前とは流れが違います」
数字を見る。
まだ大金ではない。
だが、確かに増えている。
支払って、回して、それでも残る。
そしてその残りが次へ回る。
俺はしばらく帳簿を見つめたあと、ゆっくり息を吐いた。
「……これ、ちゃんと育てれば」
ロロが隣で首を傾げる。
「育てれば?」
「領地そのものが変わる」
夢物語ではない。
まだ小さいけれども、確かにそこへ繋がる道筋が見えている。
ヴァーミリオンの地を豊かにする。
昔から口にしていた夢が、初めて現実になる予感がした。
◇
夜。
村の灯りはいつもより遅くまで消えなかった。
酒場にも、屋敷の外にも、人の気配がある。
活気がある。
前へ進んでいる感覚がある。
それなのに。
「……静かすぎる」
見張り台の上で、ぽつりとそう言ったのはクレーネだった。
俺は胸を押さえながら、柵の内側から森を見る。
たしかに静かだ。
虫の音が薄い。
鳥も鳴かない。
風の音ばかりが耳につく。
少しして、見張りの一人が低く呼んだ。
「ロシュ様」
「どうした」
「柵の外です」
視線を向ける。
暗がりの中、いくつもの光があった。
低い位置。
揺れない目。
じっとこちらを見ている。
狼だった。
だが、前より数が多い。
しかも、今日は一匹や二匹じゃない。
点々と、森の縁に沿っている。
「……またか」
小さく呟く。
襲ってはこない。
けれど逃げもしない。
ただ見ている。
村の灯りを。
人の数を。
柵の高さを。
まるで覚えているみたいに。
クレーネが短く言った。
「森、変」
「ああ」
俺は頷く。
順調だ。
組織も回り始めた。
領地も少しずつ動いている。
だからこそ分かる。
こんな時に静かすぎる森は、ろくなものを隠していない。
狼の目が、暗がりの中でじっとこちらを見返していた。




