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祠の悪魔と、貧乏貴族 〜屋敷の地下ダンジョンと悪魔の商店で、領地再建はじめます〜  作者: ななほし


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第38話 傷痕と帳簿

 朝だった。


 目を覚ました瞬間、最初に来たのは胸の痛みだった。


「……っ」


 包帯の巻かれた胸元がずきりと疼く。

 血と薬草の匂いがまだ薄く残っていた。


 起き上がろうとした瞬間、すぐ横からロロの声が飛ぶ。


「駄目です!」


 椅子でうとうとしていたロロが、慌てて身を乗り出してきた。


「まだ動いちゃ駄目! 傷、開いたらどうするの!」


「いや、でも――」


「でもじゃないです!」


 珍しく強い口調だった。

 目元が少し赤い。たぶん、まともに寝ていない。


 俺は小さく息を吐いた。


「……そんなにひどかったのか」


 ロロは唇をきゅっと結ぶ。


「ひどかったよ……ほんとに、死んじゃうかと思ったんだから」


 その顔を見て、下手な軽口は飲み込む。

 いつもなら「しぶといから大丈夫だ」くらいは返せたかもしれない。

 だが今は、そういう空気じゃなかった。


 代わりに、ゆっくりと枕へ頭を戻す。


 痛い。

 だるい。

 体の芯に、まだ死に損ねた後みたいな重さが残っている。


 しかも厄介なのは傷だけじゃない。

 昨夜、ルシアから聞かされた話が、頭の奥に鉛みたいに沈んでいた。


 ロロがそっと布団を整えながら、恐る恐るこちらを見る。


「……お水、飲む?」


「ああ」


 喉もやけに乾いていた。

 差し出された杯を受け取り、少しずつ喉へ流し込む。


 冷たい水が落ちていく感覚に、ようやく少しだけ生き返った気がした。


「ロロ」


「なに?」


「今、どんな状況だ」


 ロロは一瞬だけ唇を引き結んだ。

 たぶん、「まず休んで」と言いたいのだろう。


 けれど俺が黙って見返すと、やがて小さくため息をついた。


「……報告、呼ぶ?」


「頼む」


「無理しないって約束してくれるなら」


「善処する」


「絶対しないやつだそれ」


 即答された。


 だが、少しだけいつもの調子が戻ったのが分かる。

 ロロもそれに気づいたのか、ほんの少しだけ表情を緩めると、立ち上がって部屋の扉へ向かった。


「みんな待機してるから、呼んでくる」


「そんなに?」


「ロシュ様が目を覚ましたらすぐ知らせろって、みんなうるさいの」


「……落ち着きないな」


「誰のせいだと思ってるの?」


「俺か」


「俺です」


 ぴしゃりと返されて、思わず苦笑する。

 胸が少し痛んだので、すぐに顔をしかめる羽目になったが。


     ◇


 ほどなくして、クラリス、レオ、アンバーが部屋へ入ってきた。


「お、起きとる」


 レオがほっとしたように言う。


「調子はどないや?」


「なんだレオ、心配してくれてるのか?」


「そら、折角の金づるやさかいな。心配の一つもするってもんやで」


「お前、ほんと可愛げのない奴だな。素直に心配したって言えよ」


「金くれたら、いくらでも心配したるわ」


「はぁ!? この豚、友達なくすぞ!」


「誰が豚じゃ!? 死にぞこない!」


 俺たちの罵り合いに、ロロがくすりと笑みを零した。


 クラリスはすでに帳簿を開いていた。


「お二人の漫談はそこまでにして頂いて、二層攻略の成果報告です。まず守護者由来の戦利品は三点。メダル一枚、高純度魔石一個、長弓一本の件です」


「弓」


 扉のところからクレーネの声がした。

 いつの間にか扉の隙間から覗いていたらしい。


「欲しいのか?」


「すごく」


 即答だった。


 レオが笑う。


「さっきからずっと気にしとるで」


 クラリスが咳払いする。


「高純度魔石と長弓は外部売却から外します。ルシアさんが、炉での使用を優先すべきだと」


「ああ、それでいい」


 俺は頷くと、クレーネの耳がぴくぴく動く。

 分かりやすすぎる……。

 弓を炉に入れるのは保留するか。


 レオが次の紙をひらひらさせた。


「ほんで、こっちは二週間遠征の全体収支や。素材は前よりはるかに増えた。皮、牙、外殻片、鉱石、肉、魔石。ようやく回転の芽が見えてきたで」


「け、結構な値で売れてるな……」


 貧乏領地には似つかわしくない金額だ。

 震えるぜ……。


「魔物肉の干し肉が思った以上に強いな。皮と牙、外殻片も悪ない。数は少ないが魔石は今んとこ装飾で結構な値が付いたわ。ただ、鉱石が少し問題でな。まぁ、これは少し保留にするわ」


「鉱石に問題あり?」


「見たこともない金属が採れる可能性がある。下手に表へ出したら、鍛冶ギルドとの火種になる」


「……保留だな」


「せや。今はまだ寝かせとく」


 その横からアンバーが口を挟んだ。


「あたしからも報告だ。前線の方も一応まとまってきたよ。補給線も前より安定した。二層拠点があるのはやっぱり大きい」


 クラリスが別の帳面を開く。


「素材管理と人員整理も進んでいます。補給班、探索班、運搬補助。まだ粗いですが、もう“その場しのぎ”で回す段階ではありません」


 帳簿を見下ろして、俺は思わず呟いた。


「……もう“仮”でも、ギルドの形になり始めてるな」


 アンバーが腕を組んだ。


「骨組みだけはね。けど骨ができりゃ、肉は後から乗るさ」


     ◇


 報告が一段落して、みんなが出ていったあと。

 部屋に静けさが戻る。


 窓の外はもう昼を過ぎていた。

 屋敷の外では相変わらず人の動く気配がする。

 止まっていない。もう、何もかも。


 それなのに――


「くそ……」


 俺は枕元に置かれていた剣へ手を伸ばした。


 握る。

 持ち上げようとする。


 だが、そこで胸の奥がきしんだ。


「ぐっ……!」


 剣が持ち上がりきらず、寝台へ戻る。


 情けない。


 二層は抜けた。

 だが三層がある。

 ティエラもいる。

 一年の猶予だって消えていない。


「寝てる暇なんて、ねぇだろ……」


 その時、扉の方で気配が動いた。


「焦っても傷は塞がらぬぞ」


 顔を向けると、ルシアが扉にもたれかかるように立っていた。


「戻って何をするつもりじゃ」


「三層の攻略。ティエラの対策。やることはいくらでもある」


「今のおぬしが前へ出て、何ができる」


 言葉が詰まる。


「傷の開いた体で剣を振り、足手まといになる未来しか見えぬがの」


「……っ」


「怒るでない。事実じゃ」


 事実だった。

 だからこそ腹が立つ。


「じゃあどうしろってんだよ」


 思わず吐き捨てるように言う。


「俺が寝てる間にも、三層は待ってくれない。ティエラだって次を狙ってくる。そんなの分かってるだろ?」


 ルシアは少しだけ目を細めた。


「誰もそんなことは言っておらぬ」


「だったら!」


「今おぬしがやるべきは、剣を振るうこと以外にもあるじゃろ?」


 その一言で、言葉が止まった。


 ルシアは続ける。


「おぬしはただの前衛ではない。領主で、隊長で、今やあの仮ギルドの中心じゃ。剣を振れぬから何もできぬ、などという立場ではなかろう」


 部屋が静まり返る。


「足元を固める者がいなければ、どのみち先へは進めぬ。人も、金も、武具も、規則も、後方も、全部まとめて前へ押し出す者が必要じゃ」


 それは、さっき帳簿を見た時に感じたものと繋がっていた。


 俺がいなくても、みんなは動く。

 だが、みんなが動いているからこそ、俺が決めなきゃいけないこともある。


「焦ったところで治るものではない。なら今は、おぬしでなければできぬことをやれ」


 長く息を吐く。


 胸の疼きは消えない。

 焦りも消えない。


 それでも――


「……分かった」


 掠れた声で言う。


「今は足元を固めよう」


 ルシアは、それにだけ短く頷いた。


「うむ。それでよい」


 そこでようやく、少しだけいつもの顔に戻る。


「何じゃ、ずいぶん素直ではないか。気味が悪いの」


「傷病人相手にそれ言うか普通」


「普通の悪魔ではないからの」


「知ってるよ」


 小さく返すと、ルシアはくすりと笑った。


     ◇


 夕方、食堂に全員を集めた。


 机の上には帳簿、地図、紙束。

 俺は椅子に座ったまま言う。


「始めるぞ」


 そこからは実務の話だった。


 登録制度。

 面接。

 簡易試験。

 人格に問題のある者は外す。

 日当と成果報酬の切り分け。

 素材買取の仮価格。

 武具貸与の条件。

 探索班と補給班の分離。

 昇格基準。

 持ち出し禁止。

 違反時の処置。


 クラリスが文言を整え、レオが金の流れを見て、アンバーが現場感覚で口を挟む。

 ロロは保存食と炊き出し。

 クレーネは静かに聞いていて、ときどき本質だけ言う。


「細かい運用はどうする?」


 俺がそう聞くと、クラリスが帳面へ目を落とした。


「ただし、素材買取の仮価格は固定しません。売れ筋次第で見直します」


「報酬割合も一度回してからやな。最初から完璧には決められへん」


 アンバーが腕を組む。


「戦える者には訓練を入れる。数だけ増やしても意味はない。補給護衛は別として、探索班は最低限の統率が取れないと死ぬよ」


「そこは任せる」


「了解だ」


 クレーネはずっと静かに聞いていたが、不意に口を開いた。


「ご飯、大事」


「うん」


 ロロが即答する。


「そこは最優先で考えてる」


「偉い」


「何だその評価」


 食堂に少しだけ笑いが広がる。


 だが、それでいい。

 こういう場の空気も、組織を作るうえでは大事だ。


 俺は最後に、目の前の紙を引き寄せた。


 白い紙の上には、まだ何もない。

 けれど、もう何も始まっていないわけではなかった。


 俺は筆を取り、ゆっくり書く。


『ヴァーミリオン領ギルド運用規定』


 その文字を見た瞬間、不思議と実感が湧いた。


 ああ。

 俺たちはもう、個人で迷宮へ潜っているだけじゃない。


 組織として前へ進み始めている。


     ◇


 夜は静かだった。


 会議を終え、自室へ戻ったあと。

 胸の痛みを押さえながら窓の外を見る。


 村の灯りがぽつぽつと揺れている。

 風は弱い。

 空気は冷たい。


 静かすぎる、と思った。


 普段なら、夜の森には虫の音がある。

 鳥の気配だって少しはある。

 だが今夜は、それが薄い。


「……何だ?」


 窓辺に寄り、目を凝らす。


 村の外縁。

 柵の向こう。

 森との境目の暗がり。


 そこに、いくつもの光があった。


 低い位置。

 揺れない。

 じっとこちらを見ている。


「……狼か」


 吠えない。


 走りもしない。


 ただ、村の灯りを覚えるように、じっとこちらを見ている。


 それが妙に気味が悪かった。


 ただの獣じゃない。

 ただ腹を空かせて寄ってきた群れとも違う。


 しばらくすると、その目はふっと数を減らした。

 森の影へ溶けるように消えていく。


 最後の一匹が消えるまで、俺は窓辺から動けなかった。


 襲ってはこない。

 だが、見ていた。


 様子を窺っていた。


「……嫌な感じだな」


 小さく呟く。


 森は再び静かになった。

 静かすぎる夜ほど、ろくなことが起きない。


 その嫌な予感だけが、胸の傷よりもじわりと重く残っていた。

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