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祠の悪魔と、貧乏貴族 〜屋敷の地下ダンジョンと悪魔の商店で、領地再建はじめます〜  作者: ななほし


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第37話 歪んだ継承者たち

 光のない地下聖堂跡だった。


 かつては祈りの場だったのかもしれない。

 高い天井。列をなす石柱。崩れた祭壇。壁面に残る古い浮き彫り。

 だが、そこに神聖さはもうなかった。


 冷たい。

 湿っている。

 そして何より、空間そのものが時折、ぶれた。


 柱の輪郭が、ふっと二重になる。

 石壁に走る亀裂が、次の瞬間には少し位置を変える。

 遠くで灯っていたはずの淡い光が、ノイズみたいに滲み、消え、また別の場所に浮かぶ。


 人の気配はある。

 だが、人の居場所ではない。


 誰かがここを“使っている”のではなく、

 ここそのものが、何かの歪みの中に半ば沈んでいるような、そんな異様な空間だった。


 その地下聖堂の中央。

 床に描かれた巨大な幾何学模様の上で、空間がぐにゃりと歪んだ。


 水面に石を投げ込んだみたいに波打つ。

 何もない場所が捻れ、裂け、その裂け目からぬるりと人影が滲み出た。


「帰ったよー」


 軽い声。


 ティエラは何事もなかったみたいに、聖堂の中央へ足をついた。


 幾何学模様のローブの裾は、少しだけ裂けている。

 肩口には矢が掠めたような細い傷。

 右袖には乾いた血の筋。

 指先には、岩壁を強引に捌いた時についたのか、細かな石粉がまだ残っていた。


 だが、本人は気にもしていない。

 琥珀色の瞳を細め、むしろ楽しそうに口元を緩めていた。


 その時、暗闇の奥から声がした。


「……ずいぶんと遅かったな、ティエラ」


 低く、短い声だった。


 ティエラは肩をすくめる。


「しょうがないじゃないか。思ったより面白いことになってたんだよ」


 聖堂の奥。

 崩れた祭壇、石柱の間、壁際の闇から、三つの影がゆっくりと浮かび上がる。


 全員、幾何学模様のローブを纏っていた。

 顔は深く下ろしたフードに隠れ、輪郭さえ曖昧だ。

 男か女か、背格好で辛うじて分かる程度。


 だが、立っているだけで空気が違った。


 最初に前へ出たのは、背の高い男だった。

 細身だが、刃物のように硬い気配を纏っている。


「遊び癖が出たか」


 短い一言。

 感情より先に評価を下す声音。


 ティエラは笑う。


「ひどいなあ、ナイル。ちゃんと見てきたよ?」


 ナイルと呼ばれた男は、露骨に眉を寄せた。

 ティエラの軽さを、露骨に嫌っている男だった。


 その隣に膝を折る女が、静かに口を開く。


「見てきた、ではなく、果たしてきた、と言うべきでしょう」


 柔らかな声。

 けれど、その奥には恐ろしいほど硬い芯があった。


「師の意志を継ぐ者が、己の気分で動くべきではありません」


 崩れた祭壇の前で両の手を組む女。

 指先は白くなるほど強く絡められている。

 祈る姿のはずなのに、その祈りは救いではなく執着に見えた。


 最後に、壁際に立つもう一人の女が、静かに視線を上げる。

 無言。

 ただ、その気配だけが異様に薄い。


 まるで最初からここにいたのではなく、闇の方が人の形を真似て立っているみたいだった。


 彼女だけは、ティエラではなく、その向こう側を見ている。


 ティエラは三人を見渡し、くすくすと笑った。


「そんな怖い顔しなくてもいいじゃないか。ほら、ちゃんと報告するよ」


     ◇


 ティエラは崩れた祭壇の前まで歩くと、くるりと振り返った。


「地のダンジョンは、やっぱり綻んでた。封印も浅くなってる。二層守護者まで破られてたよ」


 その一言で、空気がさらに重くなる。


 ナイルが低く言う。


「ルシアは目覚めたのか?」


 ティエラは楽しそうに続ける。


「うん。ルシアは封印から目覚めていたよ。完全に若いヴァーミリオン側へ乗って、地のダンジョンを攻略する気だよ」


 祈りの女が、ローブの下で強く唇を噛んだ。


「やはり、あの堕ちた管理者……」


 その声音に滲んでいたのは、嫌悪と憎悪だった。


「師を歪ませておきながら、また人を歪ませる気ですか。救いようがありません」


 ティエラは軽く笑う。


「ほんと、君はルシアのこと嫌いだよねえ」


「嫌悪ではありません」


 女は言い切った。


「断罪すべき異物だと言っているだけです」


 壁際の女が、そこで初めて口を開いた。


「……若きヴァーミリオン」


 静かな声。

 ひどく小さい。

 だが、その一言だけで場の空気が凍る。


「厄介な芽になる前に殺すべき」


 ナイルが眉を寄せた。


「報告を続けろ」


「はいはい」


 ティエラは指先をひらひら振る。


「ヴァーミリオン側の抵抗は、想定より強かった。若いヴァーミリオンは、思ったより面白い力の使い方をしているよ。あの女神崩れも本気で使う気だし、周りもちゃんと揃ってきてる」


 そこで、少しだけ声色が変わった。


「でも、一番の誤算は――」


 ティエラの琥珀色の瞳が、すっと細くなる。


「あの黒い守護者が、まだ動いてたことだね」


 聖堂の空気が、また一段冷えた。


 ナイルが低く呟く。


「あれがまだ動くのなら、地の盤面は想定より厄介だ」


 ティエラは肩をすくめる。


「あれの魂は、もう擦り切れかけてるよ。昔ほど脅威じゃない」


「……それでも、お前は踏み込まなかった」


 壁際の女の声だった。


 ティエラが視線を向ける。


「別に。今日は気分じゃなかっただけ」


 ナイルが即座に返す。


「違う。割に合わなかっただけだ」


 沈黙。


 ティエラは一拍置いて、それから小さく笑った。


「……まあ、そうとも言うかな」


 その肯定だけで十分だった。

 あの初代が、敵側から見ても無視できない存在だと分かるには。


     ◇


 しばらくの沈黙のあと、壁際の女が静かに言った。


「それで」


 その声には、もう会議を遊びで済ませる気配はなかった。


「若いヴァーミリオンは始末したのか?」


 ティエラは軽く首を傾げた。


「したよ」


「本当なのか?」


 ナイルが被せるように問う。


「胸は確かに貫いた。あれで生きてる方がおかしい」


「確認は?」


「する暇がなかったね」


「確認不足だ」


 ティエラの笑みが少しだけ薄くなる。


「うるさいなあ。あの初代が割って入ったんだよ? その場でぐずぐずしてたら、そっちの方が面倒だった」


 祈りの女が、言葉を強めた。


「勝手な行動をしないでください」


 その声は静かだったが、怒りが底に沈んでいた。


「地の概念核へ至る鍵になり得る血筋を、独断で潰すなんて。師の意志を継ぐなら、奪うのではなく、正すべきです」


 ティエラが酷薄な笑みを浮かべる。


「正す?」


「そうです」


「へえ。まだそんな綺麗事を信じてるんだ」


 女の声は揺れなかった。


「綺麗事ではありません。師が望んだのは救済です」


「その師がどんな結末を迎えたのか……忘れたの?」


 一瞬、空気が刺々しくなる。


 ナイルが割って入った。


「感情でやるな」


 その一言で、二人の言葉が止まる。


「ルシアが絡んでいる以上、若いヴァーミリオンが生きていた場合、地の盤面はさらに面倒になる」


 ティエラは少しだけ目を細めた。


「……僕は、あの子を危険視したんだよ」


 祈りの女が黙る。


 ティエラは続ける。


「あの類の目をする子は駄目だ。どんな困難な道でも、足掻いて前へ進もうとする。ああいうのは育つと厄介だよ」


 その声音は、先ほどまでの軽さが少しだけ消えていた。

 面白がっているだけではない。

 本当に危険だと見ている者の冷たさが、そこにはあった。


「ルシアが本気で使うなら、なおさらだ。放っておく理由がない」


 壁際の女が、そこで初めてはっきりとティエラを見る。


「私も、同意だ」


「君と意見が合うのは珍しいね」


「危険なのは、むしろルシアの方です」


 ティエラの笑みが止まる。


 祈りの女は静かに続けた。


「あの売女が人をたぶらかし続ける以上、人種の救済など在り得ません。あれを先に始末するべきなのです」


 その言葉に、ナイルは小さく息を吐いた。


「違うな。問題なのは黒き守護者だ。あれをどうにかしない限り、俺達の目的は果たせることはない」


 ティエラは肩をすくめた。


「ほんと、意見の合わない同志だね。あぁ……でも、面白かったなぁ」


「何がです」


「ロロって子」


 その瞬間、聖堂の空気がわずかに変わる。


「獣の血が混じってるのに、必死で人間ぶるんだ。怒った顔も綺麗だった」


 祈りの女が眉を寄せる。


「……相変わらず趣味が悪い」


「そうかな?」


 ティエラはくすくす笑った。


「壊したら、もっといい顔をすると思うんだよね」


 ナイルが低く吐き捨てた。


「遊ぶな」


「遊びじゃないよ。観察だよ」


 そう言いながらも、ティエラの瞳の奥には、悪趣味な愉悦があった。


 あの場にいたロシュたちが、敵から“観察されている”こと。

 それがはっきりと分かる笑みだった。


     ◇


 しばらく沈黙が落ちたあと、ナイルが口を開いた。


「方針を決める」


 その声で場が切り替わる。


「地の概念核は確保する。だが、正面から踏み込むのは非効率だ」


 ティエラが首を傾げる。


「じゃあどうするの?」


「別ルートを探る」


 ナイルは即答した。


「ヴァーミリオン側が道を開くなら利用すればいい。開かぬなら、綻びそのものに干渉する」


 祈りの女が続ける。


「若いヴァーミリオンたちは、核へ至る前に疲弊させるべきです。地上でも迷宮でも、選択を鈍らせる圧をかける」


 ティエラの口元が、楽しそうに歪んだ。


「へえ。地上も揺らすんだ」


「綻びは、もう始まっている」


 壁際の女が言う。


「あの領の外縁なら、小規模な溢れ出しを誘発できる」


 ティエラがぱっと顔を上げた。


「いいね! それ、僕がやるよ」


 ナイルの声が冷たく落ちる。


「何をするつもりだ?」


 ティエラは両手を広げた。


「時間稼ぎさ」


 酷く残酷な笑み。


「綻びを少し撫でてやればいい。あの領の外縁に、小さな狂騒を起こすくらいなら難しくない」


 祈りの女が侮蔑の視線を向ける。


「ほんと悪趣味ですね」


「お褒めに預かり光栄だよ」


 ティエラの琥珀色の瞳が細くなる。


「守るべきものが燃え始めたら、あの子たちは前だけ見ていられない」


 沈黙。


 それは、ただの嫌がらせではなかった。

 盤面をずらす一手だった。


 迷宮へ潜れば、領地が揺らぐ。

 領地を守れば、迷宮攻略が遅れる。

 その二択を押しつけるつもりなのだ。


 ナイルは少し考え、それから短く言った。


「派手にやるな」


「分かってるよ」


「痕跡を残すな」


「善処する」


「その返答が一番信用できない」


 ティエラは笑うだけだった。


 祈りの女が最後に釘を刺す。


「忘れないでください。目的は地の概念核です。救済とは壊すことではありません。破壊に酔わないように」


 ティエラは軽く首を傾げた。


「分かってるって。師の遺志を継ぐんだろ?」


 その言い方は、信じている者のそれではなかった。

 どこかからかうようで、どこか本気でもあった。


 だからこそ気味が悪い。

 ティエラは、これから起こるであろう顛末を想像し笑った。


「じゃあ、とりあえず今回も僕が嫌がらせしてくるよ」


 ナイルは何も言わない。

 祈りの女は、再び崩れた祭壇に祈りを捧げる。

 壁際の女だけが、遠く地の方角でも見るように、じっと虚空を見つめていた。


 ティエラは踵を返す。


「次に会う時、あの子たちはどんな顔してるかな」


 その声は明るい。

 だが、その明るさがこの場では異様だった。


 聖堂の中央。

 歪んだ幾何学模様の上で、また空間がぐにゃりと揺れる。


 ティエラの輪郭が滲み、薄れ、闇へ溶けていく。


「楽しみだなぁ」


 最後に残ったのは、その呟きだけだった。


 そして聖堂には、また光のない静寂が戻る。


 崩れた祭壇。

 歪む柱。

 人の居場所ではない、人の気配だけが残る空間。


 その暗がりの奥で、壁際の女がほんのわずかに顔を上げた。


 フードの奥。

 見えないはずの視線だけが、静かに“地”の方角を向いていた。

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