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祠の悪魔と、貧乏貴族 〜屋敷の地下ダンジョンと悪魔の商店で、領地再建はじめます〜  作者: ななほし


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第36話 堕ちた管理者

 扉が閉まり、部屋に静けさが戻った。

 夕暮れの光が、薄い布越しにやわらかく差し込んでいた。

 屋敷の中にはまだ人の気配がある。

 廊下を歩く足音。遠くで食器の触れ合う音。誰かが小さく話す声。


「……一つ、昔話をしてやるのじゃ」


 ルシアは窓辺から離れ、寝台の傍らにある椅子へ腰を下ろした。

 足を組まず、胸も張らず、ただまっすぐ俺を見ている。


「長い話になるぞ」


「構わん」


「おぬし、怪我人のくせに変なところだけ頑固じゃな」


「今さらだろ」


「それもそうか」


 かすかに口元が緩む。

 だが、その笑みもすぐ消えた。


「まず確認しておく。わらわは昔、管理者の一人で“魔法《奇跡》”という概念を管理しておった」


「元管理者、って話だな。そもそも、その管理者ってなんなんだよ?」


「まぁ、人間目線で言えば、神様みたいなものじゃ」


「か、神様!? お前が?」


「威厳溢れる、わらわの姿を見れば一目瞭然じゃろ?」


 こいつのだらしない食事姿や寝姿を思い出す。

 こんなのが神だと思うと世も末だな。


「まぁ、管理者とはそんな存在だと思っておればよい。始まりの魔法使いに魔法概念を奪われ、暴走した核を他の管理者達がダンジョンで封じた。漏れたマナが魔物を生み、今の世界が出来上がった。――そこまでは、もうおぬしも知っておる話じゃろ」


「ああ」


 俺は短く頷いた。


「知りたいのは、その先だ。なんでそうなった」


 ルシアの赤い瞳が細くなる。


「どうしてお前は、人間なんかにそこまで近づいた」


 その問いに、ルシアは目を伏せた。


「……大昔の地上は、今よりもさらに酷かった」


 静かな声だった。


「どこかで必ず戦が起きておった。人種同士の争いは絶えず、虐殺、迫害、差別、略奪――怨嗟が地上の空気そのものになっていたと言ってもよい」


 その声音には嫌悪よりも、ひどく古い疲れが滲んでいた。


「強き者は弱き者を踏みにじり、奪い、壊し、それを正当化する。泣く者はさらに踏まれ、憎しみはまた別の憎しみを生む。何処を見ても、そんなものばかりじゃった」


 ルシアはゆっくりと指を重ねる。


「管理者は本来、深く干渉してはならぬ。理は見守るものであって、好き勝手に弄ぶものではない。じゃが、あの頃のわらわは……その地上の有様を見るのが耐え難かった」


 そこで一度、言葉が切れた。


「愚かじゃったのじゃ。わらわは、見守るだけではなく、変えられるのではないかと思ってしもうた」


 俺は黙って続きを待つ。


「じゃから、地上へ降りた」


 その一言は重かった。


「そこで出会ったのが、一人の青年じゃ」


 夢の中で見た、長いローブの青年が脳裏をよぎる。


「各地を旅しておった。争いの跡地へ赴いては、傷ついた者を癒し、飢えた者へ食を分け、行き場のない者に手を差し伸べる。力なき者の盾になろうと、本気で動いておった」


 ルシアの目が少しだけ遠くなる。


「人々はあやつの事を聖者と呼んでおった」


「……本当に、善人だったのか?」


 思わず口を挟むと、ルシアは静かに頷いた。


「少なくとも最初はな」


 その答えには、どこか引っかかるものがあった。


「偽善でも、演技でもなかった。あやつは本気で人を救おうとしておった。弱き者が踏みにじられるのを嫌い、少しでも多くの命を掬おうとしておった」


 ルシアは小さく息を吐く。


「希望に見えたのじゃよ」


 その言葉には、自嘲と後悔が混じっていた。


「くだらぬ争いばかりの地上にも、まだ捨てたものではない心があるのだと。あやつならば、人の世を少しは良い方へ動かせるのではないかとな」


「……だから、力を与えた」


「そうじゃ」


 ルシアは認めた。


「最初は本当に、ほんの僅かなものじゃった。人には過ぎるが、それでも手綱を取れる範囲だと高を括っておった。救うために使うならばよい。あやつならば道を違えぬ。……そう、信じた」


 その「信じた」が、ひどく弱く聞こえた。


「最初のうちは、実際その通りじゃった。青年は力を使い、人を救った。助かった者は感謝し、さらに人が集まり、さらに救いを求める声が増えていった」


 ルシアの指先が、膝の上でわずかに動く。


「だが、人の手で背負える苦しみには限りがある。救えば救うほど、次の悲鳴が届く。手を伸ばせば、その先にまた手を伸ばすべき者が現れる」


 俺は少しだけ眉を寄せた。

 何となく分かる気がしたからだ。


「青年は、もっと力が要ると思うようになった。より多くを救うために。争いを止めるために。奪う者を止め、守られるべき者を守るために。……それ自体は、ある意味で自然な流れじゃったのかもしれぬ」


「でも、そこで止まれなかった」


「ああ、その通りじゃ」


 ルシアは答える。


「救済はやがて執念に変わる。自分がやらねばならぬ。自分だけが正しい。自分だけがこの世界を変えられる――そう思い始めた時、あやつは容易く壊れた」


 夕暮れの光が少しずつ赤みを増していく。


「青年は、わらわが与えた力では足りぬと知ると、さらにその先を欲した」


「魔法概念か」


「うむ」


 ルシアの声が低くなる。


「本来、人が触れてはならぬ領域じゃ。じゃが、わらわが力を与えた時点で、あやつと“魔法”の間に細い接続が生まれてしもうた。希望を与えたつもりで、概念へ至る道まで与えてしもうたのじゃ」


 俺はゆっくり息を吐く。


 つまり、奪われたというより。

 奪える位置まで近づけてしまったのか。


「それがお前の罪か」


「そうじゃ」


 迷いのない返答だった。


「人に過ぎた力を与えた。しかも、信じるという理由だけで。結果として、世界の理へ人の手が届く道を作ってしもうた」


 ルシアはそこで自分の手を見た。


「青年は魔法概念を引きずり込み、耐えきれず暴走させた。あれはもう、人が扱える力ではなかった。わらわが与えた希望は、世界を壊す刃になった」


 部屋の空気が、少し重くなる。


「他の管理者たちは、暴走した核を封じるためにダンジョンを創り出した。世界が完全に崩れることだけは防いだが、その代わりに魔物が現れ、地上は今の形へ歪んだ」


 そこはもう知っている。

 けれど今聞くと、重みが違った。


 それは単なる災厄の設定ではなく、ルシアが犯した過ちの結果だったからだ。


「管理者達は、わらわを裁いた」


 ルシアがぽつりと呟く。


「当然じゃな。見守るべき立場にありながら、自ら地上へ降り、人を信じ、力を与え、その果てに世界を壊しかけた。管理者としては十分すぎる大罪じゃ」


「だから地上に縛られた」


「うむ」


「失われた概念を取り戻し、歪んだ理を安定させろ――そう命じられてな」


 俺はしばらく黙った。


 ルシアはいつも偉そうで、軽くて、ふざけていて、どこか達観して見えた。

 だが、その下にあったのは、ひどく古い傷だったらしい。


「……それで、お前は人間を信じなくなったのか」


 問いかけると、ルシアは少しだけ笑った。

 寂しい笑いだった。


「信じなくなった、というより、信じ切れなくなったの」


 その言葉は妙にしっくりきた。


「一度は慈悲で与え、失敗した。なら二度目は同じようにはせぬ。そう決めた」


「だから制約か」


「そうじゃ」


 ルシアは俺を見る。


「人には過ぎた力を、そのまま渡してはならぬ。強い力には枷が要る。制限が要る。代償が要る。でなければ、また誰かが壊れる」


 俺の脳裏に、今までの武具が浮かぶ。


 回数制限。

 ランダム性。

 炉での修繕。

 無尽蔵には使えない仕組み。


「……だからお前、最初から武具にあんな制限をつけてたのか」


「そうじゃ。人の欲には際限がない。便利であればあるほど、使い潰す。もっと寄越せと手を伸ばす。なら最初から、枷ごと渡すしかない」


「容赦ねぇな」


「慈悲で世界を壊しかけた女じゃぞ。次は慎重にもなる」


 軽口のように言うが、その響きは重い。


「じゃあ初代は」


 そこまで言って、喉が少し詰まる。


「その二度目だったのか」


 ルシアはすぐには答えなかった。


 だが、静かに頷く。


「長い年月を経て、わらわは一人の青年騎士と出会った」


 夢の中の、黒い翼の女に膝をつく騎士。


「やつもまた、魔物に抗うための力を求めておった。守るために。失いたくないものを守るために。じゃが、今度のわらわは昔と同じことはせなんだ」


「慈悲では与えない」


「うむ」


 ルシアの目が細まる。


「今度は契約で縛った。制約と責任、呪いごと力をその血に背負わせた」


 その言葉に、胸の傷がうずく。


 今の俺が負っているものと、重なったからだ。


 部屋が静まり返る。


「おぬしの祖先は、救われたのではない」


 赤い瞳がまっすぐ俺を射抜く。


「力の対価として、わらわの罪の続きを背負わされたのじゃ」


 その一言が、重く沈んだ。


 俺はすぐには何も言えなかった。


 ヴァーミリオン家の始まり。

 それが栄光だとか、選ばれた血だとか、そういう綺麗なものではなく。

 もっと泥臭く、重く、どうしようもない何かだったのだと分かったからだ。


「なら、初代が今も存在し続けている理由も、お前との契約が関係しているのか?」


「人として逸脱した寿命を与えた契約なぞしておらぬ。――ただ」


『あの女に縛られ、管理者にも縛られた哀れな守護者』


「あのティエラという小僧はそう言った。恐らくじゃが、わらわ以外の管理者とも何らかの契約を交わした可能性があるのじゃ」


 俺は腕を組み、深く息を吐いた。


「初代に関して、それ以上大して分からないって事か……」


「そうじゃな……」


「ならティエラって奴の事は? 何か分からないのか?」


 ルシアは記憶を探るように考え込み、やがて何かを思い出したかのように顔を上げた。


「聖者の周りには沢山の戦災孤児がおった。その中でも特に目を掛けていた七人の子供を弟子にしておったの……。その中にティエラという者もおった気が……」


 俺は眉をひそめた。


「その話が本当なら、あいつ幾つなんだよ……。化け物じゃねぇか」


「わらわが直接力を与えたのは、聖者だけじゃ。じゃが、あやつが魔法概念を奪い、歪ませたことで、側におった才ある弟子どもまで、その流れに触れてしもうたのかもしれぬ」


 ルシアは低く続ける。


「ティエラらが使うのは、正しく継がれた魔法ではない。壊れた魔法の残滓に連なる力じゃ」


「……魔法ってのは、つくづくろくでもねぇな」


「奇跡とは、往々にしてそういうものじゃ」


「しかし、なんであいつは急に俺たちの前へ現れたんだ?」


 ルシアの目が鋭くなる。


「目的なら分かる。地の概念核の奪取じゃ。やつは『僕達が引き継ぐ』とまで言っとったからの」


 俺は眉をひそめた。


「……引き継ぐ、か」


 あの時のティエラの顔を思い出す。

 不気味な笑顔。狂気に濁った瞳。


「師のやり残したことを継ぐつもりなのか。それとも、もっと別の何かか……」


 ルシアは静かに首を振った。


「そこまでは、まだ分からぬ」


「分からない?」


「地の概念核を狙っておるのは間違いない。封印の綻びを察知し、守護者が破れたのを見て姿を現した。それ自体は分かる」


 ルシアの赤い瞳が細くなる。


「じゃが、奪ってどうするつもりなのか。師の救済の続きをする気なのか、歪んだ理想の完成を目指しておるのか、あるいはただ世界を壊すことそのものが目的なのか――そこはまだ読めぬ」


 俺は腕を組んだ。


「救済、ね」


「狂った者ほど、自らを正義だと思い込むものじゃ」


 ルシアの声は冷たかった。


「ティエラにとっては、地の概念核を奪うことすら“正しい継承”なのじゃろうよ」


 息を吐く。


 守護者を倒せば前へ進める。

 そういう単純な話ではなくなった。


 ダンジョンがあり、守護者がいて、その先に概念核がある。

 そこへ今度は、横から手を伸ばしてくる連中まで現れた。


 新しい敵だ。

 しかも、ただの魔物じゃない。

 意志があり、目的があり、俺たちより前からこの世界の歪みを知っている連中。


「……外からも来るわけか」


 そう呟くと、ルシアがわずかに頷いた。


「そういうことじゃ」


 部屋の空気が少しだけ重くなる。


「守護者。綻び。概念核。そして、始まりの魔法使いに連なる者ども。盤面がもう一つ増えたのじゃ」


 俺は包帯の巻かれた胸元へ手を当てた。


 ずきりと鈍い痛みが返ってくる。

 ティエラに穿たれた傷だ。


「……面倒ごとばっかり増えやがる」


「呪われておるの」


「呪った本人が言うなよ……」


 ルシアはそう言って、小さく鼻を鳴らした。


 けれどその目は笑っていなかった。


 地の概念核を巡る戦いは、もう守護者だけを相手にする話ではない。

 迷宮の奥へ進むたび、今度は外からも敵が来る。


 そう思った瞬間、胸の傷が鈍く疼いた。

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