第33話 泥の王を穿て
最初に動いたのはアンバーだった。
「行くよ!」
短い声と同時に、戦斧が唸る。
正面から叩き込まれた一撃が、泥守護者の右腕を大きく抉った。
ほぼ同時に、ロロが右へ回る。
「はあっ!」
重脚で床を噛み、膝の外側へ拳を打ち込む。
巨体がわずかに傾ぐ。
左ではガレスの槍が走った。
「地縫、解放」
穂先が脚元を穿ち、泥の支えを裂く。
止めるためではない。崩すための一撃だ。
その三方向の圧に合わせ、クレーネの矢が泥人形の視線を散らす。
「よし!」
俺は二本目の地盤杭を掴み、泥守護者の側面へ駆ける。
「踏震、踏破、解放!」
足元で泥が弾ける。
開いた一瞬の隙間を縫って、そのまま石床へ杭を叩き込んだ。
ごっ、と鈍い音。
紋が灯り、一本目の地盤杭と土色の線で繋がる。
それだけで十分だった。
守護者の足元を巡っていた黒い泥が、明らかに勢いを失う。
盛り上がりが浅い。戻りも遅い。
いける。
だが、まだ足りない。
泥守護者が、のろく両腕を持ち上げた。
次の瞬間、黒い塊が左右に膨らみ、巨大な槌の形を取る。
「来る!」
アンバーが正面へ出る。
ロロが半歩横へずれる。
振り下ろされた泥槌を、アンバーが戦斧で受け流した。
床が鳴り、泥が散る。
もう片方はロロが真正面ではなく、角度を殺して逸らす。
「っ……!」
腕に重さが乗る。
だが、踏み止まれる。
そこへガレスが割って入った。
「崩します」
槍が左脚の付け根を穿つ。
泥守護者の体勢がぐらつく。
その瞬間、ルシアが杭を投げよこす。
「ロシュ!」
受け取る。
三本目。
「アンバー! 背後を割れ! ロロ、右脚を! ガレスは左を潰せ! クレーネ、視界を散らし続けろ!」
「了解!」
「あいよ」
「はい」
「ん」
アンバーが飛び掛かり、戦斧が唸る。
「砕甲、解放!」
背中の泥が大きく裂けた。
ロロが右膝へ打撃を連ねる。
「鉄拳、解放!」
ガレスの槍が左脚を深く抉る。
「地縫、解放」
巨体が前へ崩れかける。
「踏震、踏破、解放!」
俺はその中央を一直線に抜けた。
泥を散らし、守護者の真正面へ出る。
その勢いのまま、三本目の地盤杭を石床へ打ち込んだ。
「――これで、三本目!!」
床が震えた。
一本目。
二本目。
三本目。
三つの杭を結ぶように、土色の紋が守護者の足元を囲っていく。
次の瞬間、泥の流れが目に見えて変わった。
「止まった!」
ロロが叫ぶ。
完全ではない。
だが、もう違う。
胸を塞ごうとする泥が遅い。
脚元へ集まる泥も足りない。
アンバーがにやりと笑う。
「勝負所だよ!」
戦斧が正面から叩き込まれる。
ロロが右脚へ拳を打ち上げる。
ガレスの槍が左脚の芯を貫く。
支えを同時に失った巨体が、大きく前のめりになった。
「クレーネ!」
「ん!」
クレーネがルシアから渡された一本を取る。
矢に括られた、地盤杭。
「そこ、縫う」
クレーネの一矢が、狙い澄ました一点を穿つ。
矢は胸元へまっすぐ突き立ち、杭を打ち込んだ。
土色の紋が走る。
核を覆う泥が、その箇所だけ完全に鈍る。
「固定した」
「十分だ!」
全部が繋がった。
アンバー、ロロ、ガレスが足元を崩し、体勢を崩させた。
そしてクレーネが核を縫い止める。
俺は息を吸う。
「――踏震、踏破、地踏、解放!」
一歩。
足場は死なない。
泥に呑まれない。
そのまま一気に間合いを食う。
「鎚踏、震打、解放ぉぉぉっ!!」
踏み込み。
加速。
支え。
重み。
ここまで積んだ全部を一本へ束ね、地盤杭が刺さった胸元目掛けて叩き込む。
手応えは一瞬だけだった。
胸元に覆われた泥は、塞がれることもなく、すんなりと刃が突き刺さる。
すさまじい勢いの剣突で、泥は爆散し、露出した核を突き砕く。
次の瞬間、赤黒い光が弾けた。
泥守護者の全身が、びくりと跳ねる。
そして崩れた。
頭から、肩から、腕から、支えを失った泥が一気に落ちる。
巨体は塔みたいに潰れ、そのまま二度と起き上がることはなかった。
静寂。
しばらくして、黒い泥が光の粒に変わり始める。
巨大な影は、ほどけるように消えていった。
「……勝った」
ロロがようやく息を吐く。
アンバーが肩を回す。
「ほんと、手間かけさせる相手だったねぇ」
ガレスは槍を下ろした。
「難しい相手でした」
クレーネが短く言う。
「終わり」
ルシアは中央を見つめたまま、小さく息を吐いた。
「これでようやく次へ進めるの」
「ああ、今回はルシアに救われたな」
「ふふん。わらわの観察眼にかかれば容易いことよ」
誇らしげに胸を張るルシアの表情は、どこか嬉しそうに見えた。
周りを見渡すと、そんなルシアの姿を見て、みんなも苦笑いを零した。
『第二層守護者、破壊を確認しました――』
突然、無機質な声が守護者領域全体へ響く。
反射的にみんなが身構える。
石床の外周に、見覚えのない紋様が浮かび上がっていく。
円を描くように土色の線が走り、領域全体を囲う。
「……おい」
嫌な予感がした。
ルシアが目を細める。
「転送陣じゃろうな。身構えんでもよい」
『守護者領域の封印を解除します。転送を開始します――』
「うっ!?」
間抜けな声が出た瞬間、床の光が一段強くなった。
光が足元から一気に立ち上がった。
視界が白く焼ける。
「またこれかよ……っ!」
肺を掴まれるような不快感。
足場が消え、体が浮き、全身がどこかへ引きずられる。
耳鳴り。
眩暈。
喉の奥が焼ける。
ロロの声が聞こえた気がした。
アンバーの悪態も、クレーネの短い声も、全部白に呑まれる。
次の瞬間。
どさり、と足が床へ戻った。
「ぐっ……!」
膝をつきかけ、剣でどうにか支える。
湿った石の匂い。
鍾乳洞の冷たい空気。
見上げれば、見慣れた二層の空間が目の前にあった。
「……戻された、のか?」
ロロが隣でふらつきながら立ち上がる。
「強制的に……」
アンバーが大きく息を吐いた。
「ずいぶん雑な送り返し方だねぇ……!」
「おーーーい! 姉御、皆さん大丈夫か!?」
声の方に振り向くと、残してきたベニー隊の面々が駆け寄ってきた。
「……あんたらどうやってここに?」
「どうもこうも……なぁ」
そう言ってベニーの視線を追うと、門の扉が開いていた。
「あんたらが飛ばされた後、暫くして門扉が強烈な光を放って開いたんだ」
「なら、ここは門の先の部屋……ってことか」
「ロシュ様! 宝箱があるよ!!」
ロロの言葉に、改めて周りを確認する。
部屋の中央には大きな宝箱。
そして、その奥に次の下層に繋がるであろう階段が見えた。
その現実を目の当たりにした俺は、二層の攻略が終わったことを実感する。
「……二層を、抜けれたんだな」
俺の呟きに、誰もすぐには答えなかった。
ただ全員が、奥に見える階段を見つめていた。
その時だった。
ルシアの表情が、すっと消えた。
「……待て」
低い声だった。
「どうした、ルシア」
ルシアは答えない。
ただ、床へ手をかざし、周囲の空気を探るように目を細める。
「地のマナに、妙な濁りがある……」
背筋がひやりとした。
「濁り?」
「この場のものではない。異物じゃ」
その言葉が落ちた直後だった。
――パチ、パチ、パチ、パチ。
乾いた拍手が、何の前触れもなく響いた。
「いやぁ。地のダンジョンの封印が綻びているから、様子見に来てみたんだけど――」
声と同時に、そいつは現れた。
まるで地面から滲み出るみたいに、何もない場所からすっと姿を現す。
幾何学模様のローブ。
琥珀色の瞳。
胡散臭い笑みを浮かべた少年。
「まさか、こんな事になっているなんてね」
空気が凍る。
ルシアの目が見開かれた。
初めて見るくらい露骨な警戒だった。
「おぬし……!」
少年は楽しそうに口元を歪めた。
「初めまして、皆さん。僕は始まりの魔法使い、第七ノ高弟ティエラ」
その名乗りと同時に、場の空気が変わった。
ガレスが槍を落とす。
アンバーが戦斧を構える。
ロロが一歩前に出て、クレーネの弓が持ち上がる。
だが、ティエラは気にした様子もなく、こちらへ人差し指を向けた。
「ヴァーミリオンの血縁者さん。あとは、僕たちが引き継ぐよ」
指先が淡く灯る。
幾何学模様が高速で描かれていく。
速い。
「まず――っ!」
止めようとした。
そう思った時には、もう遅かった。
「お疲れ様。『グラウンドエッジ』」
囁くような声。
その瞬間、背中に熱を感じた。
何が起きたのか分からない。
ただ、息が止まった。
「……あ」
遅れて痛みが来た。
焼けるような熱が胸を貫き、喉の奥から何かが込み上げる。
耐え切れず吐き出したそれは、赤かった。
首筋から力が抜けていく。
自然と視線が落ちる。
胸元から、岩の刃が突き出していた。
そこでようやく理解した。
下からだ。
足元の石床ごと、俺を貫いたのだと。
視界の端で、ロロと目が合う。
その顔は、涙と絶望と恐怖が一度に押し寄せたみたいにぐしゃぐしゃだった。
「いやああぁぁぁぁぁっ!! ロシュ様っ!!?」
ロロの悲鳴が響く。
その声を最後に、俺の意識は暗闇へ沈んだ。




