第31話 門の向こう側
門の光が、じわじわと強まっていく。
鍾乳洞の湿った空気の中で、土色の輝きだけが異様に浮いて見えた。
『入場許可人数は六名です――』
その無機質な声が響いた瞬間、場の空気が変わった。
さっきまで門を前にして張りつめていた緊張とは、また別の重さだ。
ここから先へ進めるのは六人だけ。
誰もが、その意味を理解している。
俺は門から目を離さず、短く息を吐いた。
「……俺、ロロ、クレーネ、ガレス、アンバー、ルシア」
言葉にした瞬間、全員の顔がわずかに引き締まる。
「この六人で行く」
異論は出なかった。
ロロはすぐに拳を握り直し、クレーネは無言で弓の位置を直す。
ガレスは槍を持ち替え、アンバーは戦斧を肩へ担ぎ直した。
ルシアだけが、門を見たまま小さく鼻を鳴らす。
「妥当じゃな」
その一方で、門前に残る側もすぐに理解したらしかった。
ベニーが一歩前へ出る。
「外は俺が預かる」
短い一言だった。
だが、それで十分だった。
「ああ、任せる」
俺は振り返ってベニーを見る。
「門が開いたあと、こっちに何が起きるか分からない。ここを守る役が要る。万が一、俺たちがすぐ戻れなくても、隊を崩すな」
「……任せておけ」
無駄のない返事。
その背後で、ベニー隊の連中も、アンバー隊の連中も静かに武器を構え直した。
外に残るから役目が軽いわけじゃない。むしろ、帰る場所を守る役目だ。重いに決まっている。
アンバーがベニーを見た。
「悪いが、外は頼んだよ」
「姉御こそ、生きて戻れ」
「まかせな」
そう言って、アンバーはにやりと笑う。
豪胆だ。だが、その声の底にはしっかり緊張があった。
トマもバルドもモランも、今回ここにはいない。
今いるのは、門前まで押し上げてきた攻略班だけだ。
だからこそ、ここで迷うわけにはいかなかった。
『門に接触した対象より、転送を開始します――』
門の光がさらに強まる。
ロロが俺を見上げた。
「ロシュ様」
「ああ」
俺は一人ずつ顔を見る。
ロロ。
クレーネ。
ガレス。
アンバー。
ルシア。
今の俺たちで、最も深くまで届く六人だ。
「行くぞ」
そう告げて、俺は門へ手を触れた。
ひやり、とした感触が掌を走る。
その直後だった。
視界が白く潰れた。
◇
足元が消えた感覚があった。
浮いた、と思った瞬間には、重力が逆から引っ張ってくる。
肺の中身を掴まれるような不快感。
耳鳴り。
体の芯がどこかへ引きずられていくみたいな、嫌な感覚。
「……っ!」
声を出したつもりだったが、自分の声すら遠かった。
光。
音のない白。
そして、次の瞬間。
ぐらり、と足場が戻る。
膝が折れかけたのを無理やり踏ん張り、俺は剣の柄に手をかけた。
「……はっ、は……」
喉が焼ける。
気持ち悪い。
だが、吐いてる暇なんてない。
視界が戻る。
「ロシュ様!」
ロロの声。
すぐ近くにいる。
「だい、じょうぶ……?」
「大丈夫だ……たぶん」
そう言ってから周囲を見る。
そこは、さっきまでいた鍾乳洞とはまるで違う空間だった。
広い。
だが、二層の大空洞みたいな自然の広がりじゃない。
床は平らに削られた石。
ところどころにひび割れはあるが、鍾乳洞のぬめった岩肌ではない。
壁は高く、円を描くようにそびえ、天井は暗くて見えない。
周囲をぐるりと囲むその壁に、出口らしいものはなかった。
そして中央。
そこだけが、不自然に黒い。
濡れた土とも泥ともつかないものが、広い円形に溜まっている。
光を吸うような、鈍い泥だまり。
その周囲だけ、空気まで重い気がした。
「……闘技場、みたいだね」
アンバーが低く言う。
「気に入らないね。いかにも『戦え』って感じだ」
「守護者領域じゃ。そういう場所なのじゃろう」
ルシアが珍しく軽口を挟まず、泥だまりを見つめていた。
クレーネが短く呟く。
「来る」
その一言の直後だった。
中央の泥が、ぐちゅり、と音を立てた。
泥だまりの表面が盛り上がる。
いや、盛り上がるなんて生易しいものじゃない。
底から押し上げられるように、黒い泥が塊となって膨れ上がる。
人型。
いや、人型と呼ぶにはあまりにも巨大で、あまりにも歪だ。
「おい……」
思わず声が漏れた。
泥が集まり、積み上がり、巨体を形作っていく。
頭らしき位置には顔がない。
あるのは空洞めいたくぼみだけ。
腕は異様に太く、胴は塔みたいに重たく、脚は沈み込む泥の中から無理やり引き抜かれた柱みたいだった。
歩くたび、泥が垂れる。
肩から、腕から、腹から、ずるりと黒い塊が落ちる。
だが落ちたそばから、また足元の泥が吸い上がり、巨体を覆い直していく。
「……とんでもないねぇ」
アンバーが、喉を鳴らし戦斧を構える。
その刃には、先日渡した新しいスキル武具の鈍い光が宿っている。
【砕甲Ⅰ 25/25】
重い一撃で、防御や外殻を砕きやすくする。
【崩脚Ⅰ 20/20】
斬撃を受けた相手の体勢を崩し、踏ん張りを弱める。
ガレスも槍を落とし、低く構える。
ロロが脚を開いて前へ出る。
クレーネはすでに土矢を作り始めていた。
俺も剣を抜く。
「ロロ、右。ガレス、左。クレーネは後ろ。アンバーは正面寄りで受けろ。ルシアは下がって見ろ」
「了解」
「はい」
「ん」
「あいよ」
守護者が一歩を踏み出す。
どろり、と音を立てて、その周囲の地面が揺れた。
違和感。
床は石だ。
なのに、俺たちの立っている足元が、じわりと浅く沈んだ。
「……は?」
足を見下ろす。
石床の隙間から、黒い泥が滲み出してきていた。
ロロが顔をしかめる。
「足場が!」
「泥沼じゃ!」
ルシアが叫ぶ。
「こやつ、周囲を泥沼に変えておる! 気をつけよ!」
巨大な泥守護者は、焦ることもなく腕を持ち上げる。
遅い。
だが、その遅さが逆に嫌らしい。
その腕の先で、泥がごぼりと盛り上がり、塊になる。
次の瞬間、それがこちらへ飛んだ。
「散れ!」
アンバーが前へ出る。
戦斧を振り上げ、一撃で泥塊を叩き割る。
だが、弾けた泥はそこで終わらなかった。
飛び散った泥片が地面へ落ちると、すぐにぐにゃりと伸び、足元へまとわりついてくる。
「うわっ、気持ち悪い!」
ロロが一歩引く。
その一歩で、足が沈んだ。
「……っ、重い!」
泥沼はただぬかるむだけじゃない。
引きずり込むように、脚へ重みをまとわりつかせてくる。
守護者の腕が、今度は大きく膨れた。
泥が集まる。
圧縮される。
瞬く間に、巨大な槌みたいな形へ変わる。
「来るぞ!」
俺が叫ぶのと同時、泥槌が振り下ろされた。
轟音。
床が揺れ、泥が跳ね上がる。
アンバーが正面で戦斧を合わせ、受け流すように衝撃を逃がした。
だが、それでも地面が沈む。
「ぐっ、重いね……!」
「アンバー!」
「まだいける!」
声と同時に、アンバーが一歩踏み込み返した。
「砕甲、解放!」
戦斧が泥守護者の腕へ叩き込まれる。
鈍い音。
泥の外殻が裂け、塊が飛ぶ。
確かに効いている。だが――
「再生してる……!」
ロロの声。
割れたそばから、足元の泥がずるりと持ち上がり、裂けた部分を覆い直していく。
「土矢生成、解放」
絞られた弦音とともに、クレーネの矢が突き抜けた。
連続生成した三本の土矢が、守護者の胸へほぼ同時に突き刺さる。
泥を穿ち、一瞬だけ奥に何かが見えた。
赤黒い、鈍い光。
「核、ある!」
クレーネが叫ぶ。
「でも――」
その言葉より早く、泥が盛り上がる。
胸元の裂け目を、黒い泥が一瞬で覆い尽くした。
「足元だ! とにかく足元を崩すぞ!」
核の位置は把握できた。
なら、このデカブツを崩さないと攻略の糸口すら掴めない。
俺の声に皆が頷く。
ガレスが左から回り込み、槍を突き出す。
「地縫、解放!」
穂先が泥守護者の脚へ突き刺さる。
その瞬間、脚元の泥が固まり、地面へ縫い止めるように広がった。
「止め――」
きれなかった。
守護者が脚を持ち上げる。
ずぶりと泥を引きちぎるような音。
地縫で固めた泥ごと、脚が前へ出る。
「なっ……!」
「脚そのものじゃない。泥ごと動いてる!」
俺は歯を食いしばる。
普通のゴーレムじゃない。
足元の泥まで含めて、こいつそのものだ。
ロロが右から飛び込んだ。
「鉄拳、重脚、解放!」
踏み込み。
だが泥に食われる。
それでもロロは無理やり何度も拳を叩き込んだ。
泥の巨体が揺れる。
「効いてる!」
「ああ、だが浅い!」
俺も踏み込む。
「踏震、踏破、解放!」
地面に衝撃が走り、まとわりつく泥を散らす。
開いた一瞬の隙を踏破で駆け抜け、俺は守護者の足元まで一気に間合いを潰した。
「崩れやがれ! 踏――」
剣を振り抜こうとした瞬間、俺の足元に泥がごぼりと盛り上がる。
「っ!」
脚が取られる。
そこへ泥守護者の巨大な腕が薙ぎ払われた。
「ロシュ様!」
アンバーが割り込む。
戦斧で受け、押し返し、俺をかばうように立つ。
「派手に行くのはいいが、足元を忘れるんじゃないよ!」
「悪い……!」
泥が重い。
足場が最悪だ。
しかも剥がしても、すぐ覆いやがる。
クレーネが短く言った。
「核、見えない」
ルシアも、今度ばかりは茶化さなかった。
赤い瞳が、守護者そのものではなく足元の泥の流れを追っている。
「やっかいな泥人形じゃ……」
守護者が、また一歩踏み出す。
ずぶり、と。
泥沼がさらに広がる。
俺たちの足元まで、じわじわと黒い泥が侵食してきていた。
まずい。
このままじゃジリ貧だ。
戦うほどこっちの足が死ぬ。
核の場所が分かったところで、厄介な泥のせいで届きもしない。
仮に崩せたとしても、核はすぐ泥に覆われ、見えても一瞬だ。
どうする。
どうすればいい。
崩すだけじゃ足りない。
どうすれば、奴の核を打ち砕ける。
こいつは――
「……倒す為の糸口が、見えねぇぞ」
思わず漏れた俺の声に、誰もすぐ答えなかった。
巨大な泥守護者は、こちらを潰すことしか考えていないみたいに、のろく、重く、確実に腕を持ち上げていた。




