第3話 地下迷宮と、創造の店主
森から戻った俺たちを迎えた屋敷は、妙に静まり返っていた。
屋敷はいつも通りだ。
古く、寒く、ほんの少し広いだけ。
だが――床の奥から、低い振動が伝わってくる。
耳ではなく、足裏にわずかに触れる、不快な揺れ。
立ち止まって意識を向けなければ気づかない程度の、かすかな震え。
けれど、一度気づいてしまえば、妙に神経に障る。
……悪魔の言葉が頭をよぎる。
まさか。本当に?
衝撃的な話を聞かされたせいで、そう感じるだけなのだろうか。
そう思いたかった。だが、屋敷全体が薄く息を潜めているような気配が、それを許さない。
「……若様」
センバスが小さく呟いた。
「センバス。お前も感じるのか?」
無言の頷き。
そのときだった。
「下じゃ」
当然のように、悪魔が言う。
「倉庫を見よ」
嫌な確信を抱きながら、俺たちは物置にしている古い倉庫へ向かった。
◇
倉庫の中は薄暗かった。
積み上げられた木箱。
農具。
壊れた椅子。
使わなくなった樽。
どれも長いあいだ放り込まれていたものばかりだ。
埃っぽい空気の中で、悪魔だけが妙に機嫌よさそうに宙へ浮かんでいた。
「この辺りじゃ」
「この辺りじゃ、じゃない。ちゃんと場所を言え」
「自分で探すのも一興じゃぞ」
「一興で済まない厄介事ばっかり持ってくるな、お前は」
悪態を吐きつつ、床を見る。
古い板張り。
ところどころ軋み、色もくすんでいる。
だが、一枚だけ――わずかに隙間の形が違う板があった。
「……これか」
しゃがみ込み、指を掛ける。
持ち上げると、その下には石床があった。
そしてその中央に、見覚えのない紋章が刻まれている。
円環を描く幾何学模様。
その中心には、翼を広げたような印。
「こんなものが……」
センバスが眉を寄せる。
「触れてみよ。おぬしの血に刻まれた契約が応じるはずじゃ」
悪魔は面白がるように微笑んだ。
罠の気配はない。
だが、放置する選択肢もない。
俺は紋章に手を置いた。
次の瞬間。
ごご、ごごごご……。
「っ!?」
低い音が倉庫の中へ響いた。
床が震える。
文様が赤黒く光り、線が一気に広がっていく。
「ロシュ様!」
「大丈夫だ!」
叫び返したものの、俺の心臓は大丈夫ではなかった。
石床が静かに左右へ割れ、地下へ続く階段が現れた。
「……まじか」
冷たく湿った空気が吹き上がる。
土と石と、古い水の匂い。
地中の奥底から、何かが長い眠りを破って息を吐いたようだった。
ロロが震えを誤魔化すように、俺の腕へしがみついた。
「ど、どうするの?」
「……行くしかないだろ」
見なかったことにはできない。
ここで蓋をしたところで、厄介事のほうから地上へ出てくるだけだ。
「先頭は俺だ」
「私も行く」
ロロがすぐに言う。
センバスも静かに頷いた。
悪魔だけが実に楽しそうだった。
「よいよい。では、わらわの店へ案内してやろう」
「お前の店なのかよ」
「当然じゃ」
「嫌な響きだな……」
◇
地下に広がっていたのは、巨大な石造りの広間だった。
中央には重厚な門。
奥へと続く暗い回廊。
壁面には古い紋様が刻まれ、天井の高みは闇に溶けて見えない。
明らかに、別世界への入口。
空気が違う。
屋敷の地下にあるはずなのに、屋敷の一部だとは思えなかった。
まるで領地の底に、誰にも知られぬ異界が口を開けていたみたいだ。
だが――俺の視線を奪ったのは別のものだった。
広場の片隅に建つ、石造りの簡素な建物。
掲げられた看板には、でかでかとこう書いてある。
――ルシア商店。
どれだけ自己主張が強いんだ……。
「……」
言葉を失う俺。
重厚な迷宮。
得体の知れない地下空間。
そのど真ん中近くに、場違いなほど生活感のある“商店”の看板。
「なぜ、こんな所に商店が?」
「何か不都合でも?」
悪魔が胸を張る。
「わらわの名を冠したあの店こそ、貴様らの契約の対価として与えた力よ」
高位悪魔の威厳と、どこか誇らしげな店主の顔が同居している。
てか、ルシアって名前だったのか。
その名に、記憶が少し引っかかった。
「昔話か何かで聞いたことがあるような……」
「気のせいじゃろ」
悪魔――ルシアはそう言って、あっさり背を向けた。
軽く流したように見えた。
だが、ほんの一瞬だけ、声の底が冷えた気がした。
俺もそれ以上は追わなかった。
今は、それより気になるものがありすぎる。
◇
俺たちは店内へ入った。
炉のような装置。
素材を収める窪み。
台座に刻まれた意味不明な文字列。
空の棚。使われた形跡はないのに、不思議と“店”として完成している空気。
誰もいない。
なのに、今にも営業を始めそうな静かな気配だけがあった。
「ここは創造と再生を形にする場じゃ」
ルシアが言う。
「迷宮で得た素材と魔石を炉へ納める。魔力が混ざり、新たな武具が生まれる」
「鍛冶とは違うのか?」
「概念を織り込む。ゆえに偶然も混ざる」
「分かったような、分からんような説明だな……」
「分からぬでも使えればよかろう」
さらっと言いやがった。
「つまり、どんな性質が宿るかは一定ではないということですな。博打のようで実に興味をそそる」
センバスがご自慢の髭を撫でる。
その仕草は、思索に耽っている証拠だ。
「ただし制限がある。宿る力は永遠ではない。使えば摩耗し、限界を超えればただの武具に成り下がる」
「代償付きか」
「安易な力には、相応の対価が要る。それが道理じゃ」
ロロは台座の文字を指でなぞり、目を輝かせている。
「理屈はよく分かんないけど……すごいね。ここだけ別の世界みたい」
「別の世界みたい、じゃなくて、たぶん半分ぐらい別の世界なんだろうな……」
俺は炉を見つめた。
迷宮だけでも頭が痛いのに、その傍らにこんな施設まであるとは。
「まずは試してみよ」
ルシアがどこからともなく素材を差し出した。
「グラウンドボアの牙と魔石じゃ。ダンジョンの魔物は倒せば素材を落とす」
外の魔物は霧散するだけだ。
やはり、ここは“別物”らしい。
「待て。そんな大事そうなもんを、いきなり俺に試させるのか?」
「客が使わねば店の価値は伝わらぬじゃろ」
「言い方だけ聞くとまともな店主っぽいのが腹立つな」
俺は牙と魔石を炉へ納めた。
台座の文字が赤く輝く。
低い唸りのような音が店内に響きだした。
炉の中心で光が渦を巻き、牙も魔石も溶けるように輪郭を失っていく。
「……わぁ」
ロロが思わず身を乗り出す。
光が一度強く脈打った。
次の瞬間、炉の奥から熱風が吹き抜け、赤い粒子が尾を引きながら台座へ集まり、光が収まる。
そこにあったのは、ショートソードだった。
銀灰色の刃。
余計な装飾はない。
だが、握る前から分かる。普通の武器じゃない。
「名は?」
「ない。だが力は宿っておる。柄に触れてみよ」
触れた瞬間、情報が流れ込む。
【猛進Ⅰ 30/30】
地を強く踏み込む瞬間、直進の速度を強化する
「すご……説明が直接頭に……って、ずいぶん限定的だな」
「口に出しても、頭の中で唱えてもよい。スキル名の後に“解放”と唱えよ」
俺は構え、念じる。
(猛進、解放)
一歩踏み出した瞬間、視界が揺れた。
「っ!?」
空気が裂ける。
床石が砕けるような踏み込みの反動。
目の前の景色が一息で引き寄せられる。
止まった時、俺は店の端近くまで一気に出ていた。
「速っ……!」
自分でも制御が追いつかず、思わずたたらを踏む。
初動のみ爆発的に速い。
二歩目以降は通常通り。
癖は強いが、使い方次第で十分戦力になる。
再び意識を向ける。
【猛進Ⅰ 29/30】
――この数字が使用限界か。
「な、何それすごい……」
ロロが目を輝かせる。
センバスも静かに細めた目で剣を見ていた。
「実戦で使えれば、戦いの前提そのものが変わりますな」
センバスの言葉に、俺は武器を見下ろした。
確かにこの武具は、今までの戦闘の常識を覆す代物だ。
たった一つスキルが宿るだけで、武器はここまで化ける。
これが実戦で通用するなら、魔物との戦い方そのものが変わる。
そして同時に、頭の奥で別の火花が散った。
――売れる。
魔物と戦う者なら、こんな力を欲しがらないはずがない。
強くなれる武具を前にして平静でいられるものか。
武具を量産し、売り込めば金になる。
金になれば、領地が回る。
食糧を買える。人を雇える。備えを厚くできる。
戦える。守れる。しかも儲かる。
この施設を使いこなせれば、領地再建も、ルシアとの契約も、世界崩壊の阻止も――全部まとめて前へ進めるかもしれない。
これは俺の人生をひっくり返す札になり得る。
なら、掴めるところまで掴んでやる。
「す、すごい! ロシュ様、私にも使わせて!」
「若様、この老いぼれにもぜひ」
二人が目を輝かせる。
俺は苦笑した。
「一回、銅貨一枚な」
「「ふざけるな!」」
割と本気で怒られた。
解せぬ。
「いや、でもこれってさ、回数制限があるんだぞ? 勿体ないだろ」
貧乏領主の悲しい性だ。
便利なほど、逆に気軽には使えない。
「回数制限なら問題ない。武具と魔石を炉に入れれば、摩耗した力は回復するからの」
「回復できるのか」
「それだけではないぞ」
ルシアは指を一本立てる。
「迷宮で使い込み、持ち主に馴染めば、宿った力が深まることもある」
「深まる?」
「残数が増えることもあれば、効果そのものが一段強まることもある、ということじゃ」
ロロがぱちぱちと瞬きをした。
「え、武器が育つの?」
「左様」
ルシアは得意げに胸を張る。
「武具は持ち主の癖を覚える。繰り返し迷宮で振るわれれば、宿した概念が馴染み、磨かれてゆくのじゃ」
それはつまり――
「最初は【猛進Ⅰ】でも、【猛進Ⅱ】みたいに変わったりするってことか?」
「そういうことじゃ」
面白い。
面白いが、それはそれで気になる。
「じゃあ、適当に振り回してればいくらでも強くなるのか?」
「そんな都合の良い話ではない」
ルシアはあっさり切り捨てた。
「育ちには限界がある。どこまで深まるかは、素材の格と武具の器次第。加えて、実戦で振るわねば育ちは鈍い」
「素振り百回で最強、って話じゃないわけか」
「そういう甘い奇跡はないの」
そこでルシアは炉へ視線を向けた。
「さらに、馴染みかけた力をきちんと定着させるには、この炉へ戻して整える必要がある。鍛え、持ち帰り、炉で繋ぎ直す。そこまでやってようやく次の段階へ進む」
……なるほど。
回復もできる。
成長も定着できる。
つまりこの店は、ただ武器を作るだけの場所じゃない。
「……お前、思ったより商売が上手いな」
「当然じゃ。良き店とは、客にまた戻って来させる仕組みを持つものよ」
こいつ、変なところだけ妙に誇らしげだな。
だが正直、この仕組みはかなり強い。
ただ売って終わりの武具じゃない。
使えば減るが、使いこなせば育つ。
一本ごとに、戦歴そのものが刻まれていく。
金になる。
しかも、ただの一時しのぎじゃない。
積み上がる力だ。
「さて」
ルシアが満足げに笑い、迷宮の門を指した。
「次に行くかの」
「次?」
「当然、迷宮に入り素材を取りに行くのじゃ。実地研修じゃな」
俺は門を見る。
重厚な石の門。
その奥の闇が、今はさっきよりも近く見えた。
ギィ……と石を削るような音が響く。
門が、ひとりでにわずかに開いた。
冷たい闇の奥。
そこに、いくつもの赤い光が灯った。
目だ。
ひとつやふたつじゃない。
闇の中で、じっとこちらを見ている。
喉がひりつく。
それでも、俺はショートソードを握り直した。
屋敷の地下に現れたのは、希望か――それとも、俺たちを試すための地獄か。
答えは、あの闇の向こうにある。




