第28話 動き出す仮ギルド
翌朝。
ヴァーミリオン家の屋敷は、いつもの朝とは比べものにならないほど騒がしかった。
廊下を誰かが走る音。
庭先で木箱を運ぶ掛け声。
食堂の長机では、紙をめくる音と、乾いたペン先の音が休みなく続いている。
貧乏領主の屋敷らしからぬ活気だ。
そして、その中心にいるのは――
「これは武具素材、こちらは加工前の皮、そちらは魔石。勝手に混ぜないでください。あと、汚れたまま床へ直置きしないでください。後で誰が泣くと思っているのですか」
眼鏡を掛けた有能美人秘書、クラリスだった。
朝一番で倉庫へ入ったこいつは、乱雑に積まれていた素材の山を見た瞬間、目を光らせた。
そして今、帳簿を開き、部下たちに指示を飛ばしながら、信じられない速さで整理を進めている。
「ロシュ様」
「なんだ」
「この倉庫、今まで本当に人が管理していたのですか?」
「ぐ……一応な」
「なるほど。“一応”の管理だったわけですね」
ぐうの音も出ない。
ロロが苦笑しながら、素材の入った木箱へ札を掛けていく。
「でも、すごいね。もう置き場が決まってる」
「すごいどころの話ではない。あいつが来てから、倉庫が倉庫に見えてきた」
「今までは?」
「ちょっと上品なゴミ溜め」
「ロシュ様」
「ごめんなさい」
クラリス、耳までいいな。
その少し離れたところでは、レオが木箱を片っ端から開け、品を選り分けていた。
「これは皮の質がええ。服飾に回せるな」
「こっちの鉱石は鍛冶向きや。数が揃えばええ値になる」
「牙は装飾細工や。磨けば映える。魔石は……これは粒が揃っとるな、宝飾扱いできるかもしれん」
商人の目だ。
俺たちからすれば“素材”でひと括りだったものが、あいつの目には最初から値札付きで見えているらしい。
そして、その選別の横に積まれているのが、妙にいい匂いを漂わせる袋の山だった。
「それ、そんなに売れるのか?」
俺が聞くと、レオが振り返って袋を叩く。
「売れるどころやない。目玉商品候補や」
袋の中身は、干し肉だ。
ただし普通の干し肉じゃない。
ロロ監修。
村のおば様方総出で仕込んだ、魔物肉の特製干し肉である。
味加減よし。
香草の香りよし。
日持ちよし。
ついでに酒にも滅法合うらしい。
「昨日の試食、うちの若い衆とエルフのねーちゃんが取り合いしとったで」
レオが言う。
「硬すぎず、臭みもない。保存食でこれはかなり強い。補給にもなるし商品にもなる。最高や」
ロロが少し照れたように笑う。
「えへへ……味つけ、村のおば様たちと一緒に頑張ったから」
「ロロちゃんはやっぱ天才やな」
「そ、そこまでじゃないよ」
「いや、そこまでや」
レオの声に一切の迷いがない。
商売になるものを嗅ぎ分ける鼻に関しては、こいつは信用できる。
庭ではゴリアテが運搬隊をまとめ、荷物を再編していた。
「それは二層送りだ! こっちは屋敷保管! 水樽を上に積むな、下だ下! 揺れたら洒落にならん!」
大男の声が朝の空気を震わせる。
バルドが大きな運搬袋を抱えながら唸った。
「お前、ほんと細けぇな!」
「運搬は細けぇのが命なんだよ!」
「でも酒樽の扱いだけ妙に丁寧だよな!」
「酒は神聖だからな!」
「そこは完全同意だ!」
こいつら、本当に気が合うんだな……。
さらにその先では、アンバーが三十人のハンターを前に腕を組んでいた。
「よく聞きな。今日からお前らは好き勝手に動くんじゃない。役割ごとに切る。隊として動く。勝手に前へ出る阿呆は切る。話を聞かない馬鹿も切る。質問はあるかい?」
誰も手を挙げない。
「よし。なら動ける連中だね」
きっぱりした声だった。
さすが元騎士団。まとめ方がうますぎる。
俺は食堂の入口に立ったまま、その光景を見回した。
昨日まで、俺たちは俺たちだけで潜っていた。
物を背負い、戦い、持ち帰り、記録し、また潜る。
全部を一つの塊みたいに抱えていた。
でも今は違う。
クラリスが後ろを整え、
レオが金の流れを見つけ、
ゴリアテが補給線を作り、
アンバーが戦える手をまとめている。
人が増えたんじゃない。
攻略を回す仕組みが、ここにでき始めていた。
◇
「よし、方針を確認するぞ」
俺が声を張ると、ざわついていた食堂の空気が少し締まった。
長机の上には一層と二層の地図。
今までトマが書いてきた記録を、クラリスが清書し直したものだ。
見違えるほど見やすい。
「まず、ハンター全員に言っておく」
俺は集まった面々を見渡した。
「レオから事前に聞いていると思うが、スキル武具、こいつの貸し出しは今回はしない」
わずかに空気が揺れる。
当然だ。
こんな力を目の前にぶら下げられれば、気にもなるだろう。
だが、ここで曖昧にはできない。
「貸し出しは後日。正式にギルドメンバーとして登録し、役割と規律を確認した上で渡す。今はまだその段階じゃない」
アンバーが腕を組んだまま頷く。
クラリスも反対はなさそうだ。
「今回は腕試しだ。試験運用を兼ねて、二層の休憩所――小広場まで物資を運ぶ」
レオがにやりと笑う。
「まずは回してみる、っちゅうことやな」
「そうだ」
俺は地図へ指を置く。
「現時点では、とりあえず二つに分ける。補給護衛班と主力探索班だ。第一層の間引きと補給線の護衛をしながら、二層拠点まで物資を運び込む。主力はその先の攻略を担当する」
アンバーが口を開く。
「三十人の内訳は私が切る。前に出せる者、後ろを守らせる者、荷に強い者。使いどころは分けておくよ」
「頼む」
「任せな」
ゴリアテが大きく腕を組んだ。
「拠点送りの荷は俺が見る。必要な物だけに絞るぞ。余計なもんまで持たせると、道中で死ぬのは荷運びだ」
「その判断も任せる」
「よしきた」
クラリスは帳簿をめくりながら冷静に付け加える。
「補給品の出入りも記録します。誰が何を持ち込み、何を戻したのか。曖昧な運用は長続きしませんから」
「おう……」
すごいな。
まだ一日も経っていないのに、もう全部“前から決まってた仕組み”みたいな顔して回り始めている。
◇
ダンジョンへ入ると、その違いはすぐ出た。
まず、第一層が速い。
「……速っ」
思わず口から漏れた。
今までなら、入口を入ってすぐ足を止めていた。
低級魔物の処理。索敵。回収。
ひとつひとつは大したことがなくても、積み重なると確実に時間と体力を削っていた。
だが今日は違う。
アンバーが割り振ったハンターたちが、先行して第一層の魔物を捌いている。
グラベルウルフを槍が止め、剣が仕留め、弓が残りを穿つ。
無駄がない。
派手ではないが、現場慣れした“食ってきた腕”だ。
補給用の荷馬車までは入れられない。
だから人力だ。
それでも、荷運びと護衛が一体で動いていると、今までとは進み方そのものが違った。
「おいおい……」
バルドが運搬袋を担いだまま、感心したように鼻を鳴らす。
「プロってのはやっぱ違うな」
「今さらかよ」
俺が言うと、バルドはにっと笑った。
「若様たちも十分おかしかったが、こっちはまた別方向だ」
分かる。
俺もまったく同じことを考えていた。
第一層を抜ける頃には、いつもより明らかに余裕が残っていた。
息も上がっていない。
武具の使用回数も減っていない。
何より、二層へ入る前に疲れていない。
これだけでもう、かなり違う。
◇
二層の小広場へ物資を運び込むと、そこは本当に“拠点”へ変わり始めた。
簡易の天幕。
保存食の袋。
水樽。
予備の松明。
毛布。
簡易薬品。
回収用の空袋。
ロロがぐるりと見回して、少し感動したように言う。
「……なんか、すごいね」
「ん。前より、ちゃんと生き延びられそう」
クレーネの評価基準は相変わらずだが、間違ってはいない。
アンバーは小広場の入口、水場、壁際の荷を順に見てから頷いた。
「いい場所だね。狭い入口は守りやすい。水場がある。天井もまだ安定してる。前線基地としては悪くない」
「だろ?」
俺が少し得意げに言うと、アンバーは肩をすくめた。
「ただし、油断できるって意味じゃない。前線基地は、守れるから使うんだ。守らなくていい場所じゃない」
「……だな」
その通りだった。
トマは革手帳へ、今日の搬入内容を書き込んでいる。
クラリスに整えられた帳面の様式を真似したせいか、前よりずっと見やすい。
俺は地図を広げ、小広場の中央へ置いた。
「ここを起点にする」
全員の視線が集まる。
「攻略班はここから先へ出る。今の俺たちは、一隊で全部抱えるには限界がある。だから、大まかに二つに切る」
アンバーが片眉を上げる。
「二つ?」
「ああ。攻略班と補給護衛班だ」
俺は指で地図をなぞる。
「そのうえで攻略班は三つの隊で分け、危険度の高い未踏域を一気に削る。補給護衛班は二隊で編成。小広場から一層の入口までの補給と運搬の護衛を任せる」
地図の上に線を引く。
小広場から先へ伸びる線。
その周囲をなぞる補助線。
そして戻る線。
「攻略班は補給が切れたらここへ戻る。物資を補充して、集めた素材を置く。そこからまた先へ出る。補給護衛班は一層からここまで物資を運び、置かれた素材を回収して屋敷へ戻る。この流れを、人を入れ替えながら回していく」
静かだった。
だが、全員ちゃんと聞いている。
「つまり、前線を止めないってことだね」
アンバーが言った。
「そうだ」
「いい。すごくいいよ」
その口調に迷いはない。
筋肉だけじゃなく、本当に現場のことが分かる人なんだな。
ロロは少し緊張した顔で、でも嬉しそうに頷いていた。
「本当にギルドみたい」
「仮、だけどな」
「でも、動いてるよ」
その言葉に、俺は少しだけ息を吐いた。
ああ。
動いてる。
本当に動き始めてる。
◇
その日は無理に奥まで進まなかった。
新体制を、まず一度回してみる。
運び、守り、置き、戻る。
ただそれだけでも、前とは全然違った。
第一層を抜ける速さ。
補給拠点で荷が整っている安心感。
主力が“戦うこと”に集中できる感覚。
今までの俺たちは、ずっと自分の足元ばかり見ていたのかもしれない。
日が傾き、小広場へ戻ったところで、俺は地図の上に手を置いた。
「……まずは二週間だ」
その言葉に、何人かが顔を上げる。
「この新しいサイクルで、二週間、二層を削る」
ロロが小さく息を呑む。
ガレスは静かに槍を握り直した。
クレーネは干し肉をかじりながら頷く。
「補給が止まらず、前線が回るなら、今までとは比べものにならない速度で進めるはずだ」
アンバーが腕を組んだ。
「二週間かい……まあ、妥当な期間かもね」
「もう少し慣らした方がいいか?」
俺の問いにアンバーが口元を吊り上げる。
「あたいらは戦闘のプロだよ。ロシュ様は大船に乗ったつもりで構えてくれりゃいいのさ」
その言葉に、どこか胸が熱くなった。
やれる。
まだ勝ったわけじゃない。
安心できる段階でもない。
それでも、“やれる形”には入った。
俺は二層の先を示す空白へ視線を向けた。
まだ濃い未知が広がっている。
でももう、前みたいな手探りじゃない。
削る手は増えた。
回す仕組みもある。
「……よし」
小さく息を吐き、俺は顔を上げた。
「ここから二週間で、二層の地図を塗り替える」
地脈灯の土色の光が、静かに揺れていた。




