第26話 商人の隊列
第二層の小広場――俺たちが勝手に“拠点”と呼び始めた場所へ戻った時には、全員の肩で息が揃っていた。
壁際には地盤杭が二本打たれ、地脈灯が淡い土色の光を揺らしている。
岩棚の上には水筒、包み布、予備の松明。
初めてここへ辿り着いた時より、ずっと“使う場所”になっていた。
「……やっぱ、あるのとないのじゃ全然違うな」
バルドが背負い袋をどさりと下ろし、しみじみと呟く。
「何がだ?」
「何がって、拠点だ拠点。前は潜るたびに入口から全部背負って、全部抱えて、気ィ張ってたんだぞ」
「今も背負ってるだろ」
「そういう話じゃねぇ!」
ロロがくすっと笑いながら、水場のそばへしゃがみ込んだ。
「でも、分かるよ。ここまで来れば一回落ち着けるもんね」
「ん」
クレーネが干し肉を齧りつつ頷く。
「水ある。座れる。いい場所」
「お前の基準、ほんと分かりやすいな」
「大事」
まったくその通りだった。
実際、この小広場があるだけで二層の見え方はかなり変わった。
入口からただ先へ潜るだけだった頃と違う。
一度ここで息を整え、荷を置き、地図を見直し、それから先へ手を伸ばせる。
拠点だなんて大層な言葉を使うのもどうかと思っていたが、こうして使ってみると、これはもう立派な前線基地だった。
俺は壁へ立てかけていた剣を手に取った。
柄を握る。
しっくりくる。
武具も育って強くなった実感もある。
隊の動きも、前よりずっと噛み合ってきた。
第二層へ入ったばかりの頃の、手探りで岩場を進んでいた感触は薄れていた。
「休んだら、もう一本だけ見て帰るぞ」
俺が言うと、トマが手帳を抱えたまま顔を上げた。
「まだ行くんすか?」
「行けるなら行く。あの辺りは地脈灯の反応が安定していたしな」
地脈灯は、地の流れが比較的穏やかな場所と、逆に嫌な揺らぎがある場所を拾ってくれる。万能じゃない。
だが、進む道を選ぶ材料があるだけで足取りはかなり変わる。
「さっきの右道は、行き止まりだったからな。次は左か」
「そうだな。トマ、さっきの分かれ道、印は残してるか」
「はいっ。鍾乳石が三本並んでて、その奥が狭くなってる道っす」
「よし。準備が整ったら行くぞ」
「はいっす!」
バルドが水を飲みながら笑う。
「おー、張り切っとるなトマ坊。最初よりよっぽど使えるようになったじゃねぇか」
「最初がひどすぎたんだよ」
「ひどかったっすか!?」
「迷宮の中で自分の足元見てる時間より、俺の顔見てる時間の方が長かったしな」
俺が言うと、全員が揃って頷いた。
「だ、だって怖かったんすよ……!」
ルシアが腕を組み、面白そうに鼻を鳴らす。
「今も大して変わっておらぬように見えるがの」
「余計なこと言うな。せっかく育ってきてるんだ」
◇
小広場を出てからは、わりと順調だった。
地脈灯の色を見て、モラン爺の勘を借りて、クレーネの気配読みを頼りに進む。
途中で出たのは小型のゴーレム二体と、岩陰に潜んでいた四足の石獣型ゴーレムが三匹。
以前なら、立ち位置を整えるだけでひと騒ぎだっただろう。
だが今は違う。
「前、二」
クレーネの短い声。
「ロロ右、ガレス左。俺が真ん中見る。クレーネ、石獣の牽制」
「ん」
ロロが脚甲を鳴らしながら半歩前へ出る。
「いけるよ」
ガレスは無言で槍を落とした。
低い構え。穂先がぶれない。
ゴーレムが重い足音を立てて踏み込んでくる。
ロロが真正面で受けるのではなく、わずかにずらして流した。
その踏ん張りも、以前より深い。足元がぶれない。
そこへガレスの槍が脚の継ぎ目を穿ち、体勢が崩れる。
「じゃま」
クレーネの土矢が、割り込もうとする石獣型三匹の追撃を牽制する。
以前なら射線を取るのに一拍あった。今は狙い直しが速い。
俺は体勢の崩れたゴーレムへ踏み込む。
(踏破、地踏、解放)
濡れた岩床でも勢いが逃げない。
踏み込みの力が、今までより深く前へ伸びる。
「――鎚踏、震打、解放!」
肩口に叩き込んだ一撃が外殻ごと核を砕く。
ゴーレムが崩れ、もう一体をガレスが捌く。
そこにロロの拳が差し込み、クレーネの矢が通る。
横から飛び込もうとした石獣型は、ガレスの柄で進路を逸らされ、壁へぶつかったところをロロが叩き潰した。
数呼吸。
戦いは終わった。
床へ残った魔石と外殻片を、バルドが慣れた手つきで袋へ詰め込む。
トマはもう何も言わず、壁の傷と分かれ道の角度、それから魔物の出現位置を書き留めていた。
「……悪くない」
思わずそう漏らすと、ロロがこちらを見た。
「今日、さっきからそればっかり言ってるね」
「本当に悪くないんだから仕方ないだろ」
実際、悪くないどころじゃなかった。
拠点がある。
道具がある。
武具が育ち、強くなった実感もある。
連携も形になってきた。
第二層へ潜るたびに、前より少し先へ手が届く。
前より少しだけ深く、確実に。
それは間違いなく前進だった。
――なのに。
◇
拠点へ戻り、トマの手帳と俺の簡易地図を並べた時、その感覚ははっきり形を持った。
「……今日の分、ここっす」
トマが指で示した場所は、地図の左下寄りだった。
小広場を起点に、少しずつ枝道を潰してきた。
危険地帯には印が増え、通れそうな道には線が引かれている。
分かれ道の先にまた分かれ道、そのまた先に広場や細道。
線は確かに増えている。
だが、紙全体を見渡すと、それは本当に一部でしかなかった。
地図の大半は、まだ白い。
「……進んではいるんだよな」
誰にともなく言うと、ルシアが頷く。
「確かに進んでおる。目印も増えたし、戻る道筋も見えてきた」
「でも、なんか……」
ロロが地図を見つめたまま言葉を探す。
「手を入れてるのに、全然片付いた気がしないね」
それだ。
目の前の一本は潰せる。
分かれ道も一つずつは片づけられる。
でも、その先にまた別の道がある。
広場があって、細道があって、曲がり角の向こうにまた未知がある。
やっている。
積み上げてもいる。
なのに、相手の輪郭が少しも縮んだ気がしない。
クレーネが地図を覗き込み、短く言った。
「食べてるのに、減らない」
「お前の例え、たまに妙に分かりやすいんだよ」
「ん」
バルドが嫌そうに顔をしかめる。
「それ、すげぇ嫌な感じするな……」
嫌な例えだった。
だが、まさにそんな感じだった。
今日も前へ進んだ。
それは事実だ。
でも迷宮全体は、平然とした顔でその先を広げている。
俺たちが必死に一日かけて削ったぶんなど、全体から見れば爪の先ほどなのだと。
そう言われている気がした。
剣を強く握る。
少し痛い。
強くなっている。
隊としても前よりずっとましだ。
それでもなお、盤面の広さそのものはびくともしていない。
今の俺たちは、前より遠くへ手を伸ばせる。
だが、伸ばせる腕が一本増えたわけじゃない。
届く範囲が少し広がっただけで、掴める量そのものは変わっていない。
「……帰るぞ」
短く言うと、誰も余計なことは言わなかった。
◇
数日ぶりに屋敷へ戻ると、外が騒がしいことに気付いた。
帰り道の途中から、なんとなく嫌な胸騒ぎがあった。
理由は分からない。
だが、一年の猶予なんて言葉を聞かされてからというもの、少しのざわめきですら吉報には思えない。
急ぎ外に出ると、門の近くに領民が何人も集まっている。
誰かが手を振り、誰かが大声で何かを伝えようとしていた。
「ロシュ様……」
ロロが少し不安そうに俺を見る。
「ああ、分かってる」
嫌な汗が背中を伝う。
森か。
畑か。
それとも、もう何か溢れ始めたのか。
俺は足を速めた。
「若様ぁ!」
門の前にいた領民の男が、こちらへ駆け寄ってくる。
「どうした!」
「街道の向こうから、すごい行列が――!」
その言葉に、俺は反射的に街道へ目を向けた。
夕焼けの向こう、街道の先。
土埃が長くたなびいている。
馬車だ。
一台二台じゃない。
長い。
やたら長い。
幌付きの荷馬車。
樽を積んだ荷車。
箱を積んだ台車。
護衛らしき影。
荷印のついた木箱。
列の先頭には、見覚えのある商会旗。
「……あれは」
思わず呟いた時には、もう分かっていた。
先頭の馬車の御者台で、太った男が大きく手を振っている。
「おーい! ロシュぅぅぅ!!」
聞き慣れた、腹の立つくらい景気のいい声。
レオだった。
俺はしばらく、その長い隊列を呆然と見つめた。
「あいつ……」
手ぶらで戻らないとは思っていたが、これはもうそういう話じゃない。
景色ごと持ってきやがった。
思わず、笑いそうになる。
呆れと、安心と、胸の奥を熱くする何かがごちゃ混ぜになって、変な顔になっていたと思う。
馬車が門前で止まる。
レオが軽やかに飛び降り、いつもの胡散臭い笑みを浮かべた。
「待たせたな、我が友よ!」
その背後で、長い隊列が夕日の中に連なっていた。




