第24話 ダフィー商会の流儀
ダフィー商会の拠点へ戻るのは、そう久しぶりでもない。
それでも、門をくぐった瞬間に鼻をつく匂いは、ヴァーミリオン領とはまるで違っとる。
乾いた木箱。
香辛料。
油。
革袋。
人の汗。
紙とインク。
荷と金と人が動く場所の匂いや。
「戻ったで」
帳場の前を通りながらそう言うと、若い衆が一斉に顔を上げた。
「若旦那!」
「お帰りなさい!」
「戻られたんですか!」
「おう。親父おるか?」
「奥です」
返事を聞くなり、俺はさっさと奥へ向かった。
荷車が行き交い、番頭衆が帳面を抱えて走り回り、奥では荷の検品で怒鳴り声が飛んでいる。
騒がしい。
だが、この騒がしさは嫌いやない。
「若旦那」
途中で番頭の一人が声をかけてきた。
「旦那様は機嫌、ようないですよ」
「いつものことやろ」
「今回は特に、です」
「もっといつものことやな」
肩をすくめて、俺は執務室の扉を叩いた。
「親父、邪魔するで」
「邪魔するなら、帰ってや」
アホみたいな返しが返ってくる。
……いつもの親父や。
◇
執務室の中は相変わらず余計なものが少なかった。
壁際の棚。
帳簿。
地図。
商会印の箱。
そして部屋の真ん中に鎮座する大きな机。
その向こうで、ダフィー商会の頭――俺の親父が、眼鏡越しにこっちを見ていた。
「戻ったんか」
「戻ったで」
「で?」
「話があるんや」
「金か」
「金も要る。でも今日はそれだけやない」
親父の眉が、ほんの少しだけ動く。
「珍しいな。お前がそんな顔で戻ってくるんは」
「こっちも暇やないからな」
「わしもや」
親父は手元の帳簿を閉じた。
「座れ。で、何や」
俺は机の前の椅子へ腰を下ろした。
軽口で始めてもよかった。
でも今回は、たぶんそういう話やない。
「辺境で、とんでもないもんを掴んだ」
親父は黙って聞いている。
「ヴァーミリオン領。ロシュんとこや」
「……ほう、没落寸前の田舎男爵家か」
「言い方に棘あるで」
「事実やしな」
腹立つけど否定はできへん。
「で、その若様の所がどないしてん?」
俺は一度息を吐いて、全部話した。
ヴァーミリオン領の地下に眠っていたダンジョンのこと。
そこで得られる未知の素材と魔石。
ルシア商店の炉。
素材から生まれるスキル武具。
ロシュが背負わされた五年の制限。
七つの迷宮。
ギルドの設立。
そして、それを広げるために人と金が要ることまで。
途中で一度も、親父は口を挟まなかった。
俺が全部話し終えたあと、執務室にはしばらく沈黙が落ちた。
「……荒唐無稽やな」
ようやく親父が言う。
「せやな」
「与太話なら笑い飛ばして終わりや」
「俺もそうしたかったわ」
俺は下げたカバンから、一本のナイフと琥珀色に輝く魔石を取り出した。
親父は眼鏡を外し、布でゆっくり拭い、掛けなおす。
まず魔石を手に取り、見定めるように観察し、感嘆の息を吐く。
次いで、ナイフ。
親父はそれを手に取った瞬間、目玉が零れんばかりに見開いた。
そんな驚く初めての親父の顔を見て、俺は口元を歪ませる。
「いまロシュの足元には、これに似た宝が山のように埋もれとる」
俺は目に力を籠め、親父を見据える。
「これは、千載一遇の商機や。これを逃すんは商人やない」
お互い、目線は外さない。
「親父、俺とロシュにダフィー商会の全部を賭けて投資せぇ」
長い沈黙。
外の喧騒がやけに耳に残る。
親父は、小さなため息を一つつき、言葉をこぼした。
「……ヴァーミリオンの若様は、本気なんか?」
その問いに、俺は即答した。
「本気や」
貧乏で。
泥だらけで。
腹立つくらい真っ直ぐで。
けど、あいつは本気や。
「組織を作って、迷宮を攻略する気でおる。あいつ、自分の命も領地も、全部まとめて背負うつもりや」
「止めんかったんか」
「止まるような顔しとらんかった」
親父は鼻で笑った。
「難儀な馬鹿を友にしたもんや」
「ほんまにな」
けど、その馬鹿が前へ進むつもりなら、俺も知らん顔はできん。
親父は眼鏡をかけ直し、椅子に深く座り直した。
親父の指が机をとんとん叩いた。
「情でこの話をしとるんやないな?」
「情はある」
俺ははっきり言った。
「けど、おれは商人や。必ずこの話で儲けてみせる」
親父はちらりと魔石とナイフを見て、目を細める。
「えらい方々と揉める事になりそうやな……」
「やから今のうちに噛んどく必要があるんや」
執務室の空気が少しだけ重くなる。
親父は自分の禿げあがった頭をぺちりと叩いた。
何かを決断する時の親父の癖や。
「ヴァーミリオン家にでかい借りがある。お前の爺さんの遺言もあるしな」
その一言だけで十分やった。
「ほな――」
「だが」
親父が遮る。
「借りがあるからといって、家ごと沈む投資はせん」
その言い方に、思わず口元が緩む。
ああ、やっぱりこの人はそうや。
「借りは返す」
親父ははっきりと言った。
「だが、商人の返し方で返す」
強い言葉やった。
ただの情やない。
ただの義理倒れでもない。
この家は、この家のやり方で返す。そういうことや。
「最初に出す金は限定する」
「渋いなあ」
「最初から全額張る商人がどこにおるねん」
「ここにおるけど」
「だから、お前はまだ半人前なんや」
ぐうの音も出えへん。
「人も選ぶ。腕だけで決めるな。口の軽い阿呆は論外や。継続して回すなら、事務方、運搬慣れした者も要る」
「分かっとる」
「商会の名も、今は全面には出さん」
「それはそうやろうな」
「だが、試し金は出す。人を動かすだけの下地も作ったる」
そこまで聞ければ十分や。
いや、十分以上や。
「結果を持って帰れ」
親父が言う。
「人でもいい。素材でもいい。形にして持ち帰れ。次はそれを見て決める」
「……分かった」
親父は少しだけ身を乗り出した。
「それと、お前も現地へ戻れ」
「言うと思ったわ」
「机の上から金勘定するだけで回る話なら、お前はここまで熱くならんやろ」
「見抜いとるなぁ」
「親子やからな」
そらそうや。
生まれてこの方、こっちは散々見られとる。
「戻るで」
俺は立ち上がり、親父も帳簿を開き直した。
「番頭には話を通す。必要な金は段取りしたる。だが、使い方を誤れば次はないと思え」
「ありがたく使わせてもらうわ」
扉へ向かいかけたところで、親父が低く言った。
「レオ」
「なんや」
「儲けるつもりでやれ。助けるだけでは続かん」
俺は振り返らずに笑った。
「分かっとる。助けるためにも、儲けなあかんのやろ」
それが、この家の流儀や。
◇
執務室を出ると、廊下の空気が少し軽く感じた。
番頭衆の声。
荷の動く音。
帳場のざわめき。
いつもの商会の音やのに、今は少しだけ違って聞こえる。
動かせる。
そう思えたからかもしれん。
「若旦那」
廊下の先で、さっきの番頭が待っていた。
「旦那様から話は聞きました。金の手配に入ります」
「早いな」
「こういう時だけは」
「普段もそれくらい早う動いてくれ」
「無理を仰いますな」
肩をすくめ合う。
「それで、人の方は?」
「候補は何人か当たる。うちの護衛、運搬慣れした連中、あとは腕はあるが日銭に困っとるやつらやな。口軽いのは切れ」
「もちろんです」
番頭は少しだけ声を落とした。
「……若旦那。本気なんですね」
「せやな」
「旦那様もあそこまで乗るのは珍しい」
「義理もあるんやろうけど、それだけで親父はデカい金は動かさん。それだけこの話が魅力的なんや」
「それだけではありませんよ」
番頭が苦笑する。
「若旦那が、珍しく真っ当な顔で戻ってきたからです」
「なんやその言い方」
「いつもはもう少し、胡散臭いです」
「失礼やなぁ」
けど、少しだけ笑えた。
金になる。
それは間違いない。
未知の素材。
武具。
人の流れ。
全部、後から大きい金に変わる可能性がある。
せやけど、それだけならここまで急いで戻ってきてへん。
幼いころ交わした二人の約束が蘇る。
『レオに夢はあるか?』
『夢? そうやな……俺は世界一の商人になって、金を唸るほど儲けることやな』
『へぇ。カッコいいじゃん』
『……なんや気持ち悪い。バカにせんのかいな』
『しないよ。俺にも夢があるし』
『ロシュの夢?』
『このヴァーミリオンの地を世界一豊かにする事。誰も飢えず、誰にも脅かされない、この地に住む人達が幸せだと感じる領地にしたい』
『ふん。土いじりばっかりしとる貧乏貴族の息子が何言うとんねん。現実みい』
『でもさ、人生なんて何が起きるか分からないだろ?』
立ち止まりそうな時でも、あいつはいつも前だけを見とった。
どれだけ貧しい思いをしても、笑顔を絶やさん奴やった。
『例えばさ、俺に幸運の女神様が舞い降りて、人生一発大逆転! みたいな事が起こったとする』
『はぁ? なんやそのアホ話は……』
『夢なんだから、どんな想像しようが自由だろ?』
馬鹿な夢を見ながら前へ進もうとしてる阿呆がおった。
『もしそんな時が訪れたらさ。俺がお前を世界一の商人にしてやる。だからお前は――』
――俺の悪友。
『――俺達、友達だろ』
「待っとれよ、ロシュ」
小さく呟いて、俺は廊下を歩き出した。
次に戻る時は、手ぶらやない。
お前を、世界一豊かな土地の領主にしたるからな。




