第23話 第二層の拠点
巨大ゴーレムが崩れ落ちたあとも、空洞にはしばらく重い静けさが残っていた。
鍾乳石の先から落ちる水滴の音。
岩の裂け目を抜ける、細い風の気配。
戦いの余韻が消えたあとで、それらがやけに耳につく。
俺は大きく息を吐いてから、奥の壁へ視線を向けた。
トマが見つけた、不自然なくぼみ。
自然の割れ目にしては、線がまっすぐすぎる。
「……やっぱり、気になるよね」
ロロが俺の横で小さく言う。
「ああ」
剣を握り直し、俺は頷いた。
「今日のところは引くつもりだったが、あんなもん見せられて背を向けるのも気持ち悪い」
モランが顎を撫でる。
「少し覗くくらいならいいだろう。入口からも、そう遠くは離れていないしな」
「おい、少しだけだぞ、少しだけ。これ以上変なのが出てきたら俺は逃げるからな」
バルドが予防線を張り、ルシアは口元を歪めて言う。
「その時はお主が殿じゃな」
「なんでだよ!」
そんな二人に俺はため息をつきつつ、くぼみの方へ歩き出した。
◇
近づいてみると、その違和感はますますはっきりした。
岩肌の大半は自然な凹凸を残している。
だが、くぼみの周囲だけは妙にまっすぐだ。
「これ、やっぱり自然じゃないっす」
トマが小声で言う。
「うむ。鍾乳洞の割れ方ではないな」
モランも真顔で頷いた。
入口は人ひとりがかがめば通れるくらい。
奥へ続く短い通路が見える。
クレーネが一歩前へ出て、暗がりを見た。
「気配、ない」
「罠は?」
俺が聞くと、ルシアが鼻を鳴らす。
「少なくとも、悪意ある仕掛けの類は感じぬな」
「それ、信用していいのか?」
「わらわは有能じゃからの」
「自分で言うな」
だが、ここで引き返す理由も薄い。
俺は短く言った。
「見るだけ見る。深追いはしない」
「おう」
「はいっ」
「ん」
俺たちは慎重に、その細い通路へ入った。
◇
通路は思っていたより短かった。
湿った岩壁に挟まれた細道を十数歩ほど進むと、急に視界が開ける。
「……おお」
思わず、そんな声が漏れた。
その先にあったのは、小さな広場だった。
大空洞ほど広くはない。
だが、人が休むには十分な広さがある。
床は比較的平らで、濡れ方も少ない。
天井は低すぎず高すぎず、鍾乳石も短い。
いかにも崩れやすそうな長いものは見当たらない。
空気の流れも穏やかで、さっきの空洞よりずっと落ち着いていた。
そして広場の端には、小さな水場があった。
岩の裂け目から細く水が流れ込み、溜まりになっている。
澄んでいて、濁りもない。
「うわ……」
トマが目を丸くする。
「水、あるっす」
バルドが一気に顔を明るくした。
「おいおいおい、ここめちゃくちゃ休めそうじゃねぇか」
ロロも広場を見回しながら、ほっとしたように息を吐いた。
「……ここ、落ち着くね」
クレーネは水場を見て、それから平らな床を見て、ひとこと。
「寝られる」
「お前の判断基準、ほんと分かりやすいな」
「大事」
その通りではある。
実際、ここはかなりいい。
入口からそう離れていない。
大空洞を抜けた先ではあるが、戻れない距離じゃない。
それでいて、あの危ない戦場とは切り離されている。
モランが顎へ手を当てた。
「守りやすそうだな。入口も細いし、何か来ても対応しやすい」
「荷物置くにも悪くなさそうだな」
バルドが頷く。
俺は広場の中央へ歩き、天井、水場、入口、床の状態を順に見た。
……使える。
その時だった。
ルシアが、広場の奥を見てにやりと笑う。
「ほう」
「なんだ?」
俺が視線を向けると、広場の壁際――少し乾いた岩棚の前に、箱が置かれていた。
古びてはいるが、朽ちてはいない。
石とも木ともつかない素材で作られた、小ぶりな宝箱。
「おおっ!」
トマが声を上げる。
「宝箱っす!」
「そんな物まで出るのかよ……誰かが置いているのか?」
バルドが半ば呆れたように言う。
「魔物と同じ理屈じゃよ。溢れ出た核のマナは、魔物以外にもこういった物を生み出す」
ロロが少しだけ身を乗り出した。
「罠、ないかな?」
「ルシア」
名前を呼ぶ俺に、ルシアがジト目で返す。
「また、わらわを生贄にするつもりじゃな」
「……お前はそういう枠なんだ。諦めてくれ」
「そういう枠ってなんじゃ!」
「生贄枠だな」
ぐちぐち文句を言いながらも、ルシアはしゃがみこみ、宝箱に手をかけた。
「呪われろ!」
「……もう、お前に呪われてるんだって」
「減らず口ばかり申すな! 馬鹿者め」
ぱかり、と蓋が開く。
一瞬、広場の空気がぴんと張った。
だが、罠が起動するようなことはなかった。
代わりに、箱の中で淡い土色の光が揺れた。
「……む。これは」
ルシアが珍しく、少しだけ真面目な声を出す。
「当たりじゃの」
俺たちも近寄って中を見る。
箱の中に入っていたのは二つ。
一つは、短い杭が十本。
黒茶色の金属でできており、表面には細かな紋が刻まれている。
もう一つは、手のひらに乗るくらいの小さな灯具だった。
丸い石を金属枠で包んだような形で、内部に土色の灯が静かに宿っている。
「杭……と、ランタン?」
ロロが首を傾げる。
「ちと、待っておれ。調べてみるのじゃ」
ルシアが天井に視線を向けると、目玉をぎょろぎょろと高速で動かした。
「気持ちわるっ!」
思わず声に出してしまった俺に、ぴたりと目玉が向けられて止まった。
「この杭は地盤杭じゃな。地へ打ち込めば、その周囲の地盤を安定させる」
「安定? って、ちょっと待て。どうしてその杭の効果が分かったんだ?」
「調べたといったじゃろ。あまり使いたい手ではなかったが、浅い部分じゃから管理者にもバレんじゃろ」
この悪魔、本当に何でもありだな。
よくよく考えれば、俺はルシアの深い部分を何も知らない。
いや……知ろうともしなかった。
一度、腹を割って話さなければいけない気がする。
真実を話してくれるかは別だが……。
「そんな事より、こいつは小さな崩れ、振動、足場の揺らぎ。そういうものに強くなる。広い範囲ではないが、足場の確保には向いとるな」
モランが目を細めた。
「ほう……それは良いな」
バルドがすぐに食いつく。
「つまり、さっきみたいな崩落の危険がある場所を安全にできるってことか?」
「そういう事じゃ」
次にルシアは灯具を持ち上げる。
「こっちは地脈灯。地の流れが強い場所、偏っている場所に反応して光り方が変わる」
「……分かりやすく言え」
俺が言うと、ルシアは少し考えてから言い直した。
「安全そうな場所や、逆に地が荒れておる場所を見分ける助けになる。地下では便利じゃ」
「それ、かなり当たりじゃない?」
ロロが素直に言う。
「ああ」
俺も頷いた。
戦闘で直接使う武具じゃない。
だが、こういう“探索を広げるための道具”は、むしろ今の俺たちにちょうどいい。
クレーネが杭をじっと見て、短く言った。
「寝る場所、強くなる」
「お前ほんとにそこだな」
「大事」
間違ってはいない。
◇
俺たちは試しに、地盤杭を一本、広場の端へ打ってみた。
バルドが石で頭を叩くと、杭は思ったよりもすんなり岩床へ入った。
次の瞬間、杭に刻まれた紋が淡く光り、その周囲の地面へゆっくりと土色の線が広がっていく。
「おお……」
トマが目を輝かせた。
足元の感触が少し変わる。
濡れていた岩が乾くわけではない。
だが、踏んだ時の嫌な不安定さが薄くなった気がする。
「確かに、落ち着くな」
俺が言うと、ルシアが得意げに鼻を鳴らす。
「よかろう」
「お前が作ったわけじゃないだろ」
「わらわが見つけさせたようなものじゃ」
「便利な理屈だな」
ロロは水場の近くへしゃがみ込み、手で水をすくってみる。
「冷たい。でも、きれい」
「飲めそうだな」
モランも頷く。
「入口からの距離も悪くない。大空洞を越えればすぐ戻れる」
トマが手帳を開いて、興奮気味に書き込み始める。
「二層、小広場、水場あり、床がほぼ平坦、入口狭い、休憩向き……」
「ちょっと落ち着け」
「でもこれ、すごいっすよ!」
「分かってる」
俺は広場を見渡した。
入口は細い。
守りやすい。
床は平ら。
水場がある。
しかも二層入口から比較的近い。
ただの休憩所じゃない。
「……ここ、使えるな」
ぽつりと漏れた俺の言葉に、ロロが顔を上げる。
「使える?」
「ああ」
俺は頷いた。
「二層へ入るたびに、入口から全部やり直す必要がなくなる。ここまで補給を運んで、休んで、体勢を整えて、そこから先へ伸ばせる」
バルドが目を丸くした。
「つまり、ここを前線基地にするってことか?」
「そんな大層なもんじゃない。だが、起点にはなる」
「確かに。拠点があるだけで、見える景色はずいぶん変わるな」
トマが勢いよく頷く。
「地図にも書けます! ここを基準にすれば、次はもっと奥まで見られる!」
クレーネが水場を見ながら言う。
「肉、持ってきて食べられる」
「そうだな」
「うん。大事」
ルシアが腕を組み、満足そうに笑った。
「うむ。ここをキャンプ地とするのじゃ!」
「お、おう」
一層では、とにかく前へ進むことだけで精一杯だった。
だが二層からは違う。
ただ潜るんじゃない。
補給線を伸ばし、拠点を作り、そこから少しずつ攻略範囲を広げていく。
その最初の足場が、たぶんここだ。
◇
帰る前、俺はもう一度、小広場の中央へ立った。
静かな水音。
穏やかな空気。
戦いの匂いが薄いこの場所は、同じ第二層とは思えないほど落ち着いている。
それでも迷宮の中だ。
油断はできない。
だが、だからこそ価値がある。
「今日はここまでだ」
俺が言うと、ロロが頷く。
「うん。次はここを目指して来られるね」
「ああ」
ガレスが短く言う。
「前線を固定できるなら、先の探索も安定します」
「そうだな」
バルドは荷物を背負い直しながら笑った。
「休める場所があるって分かっただけで、だいぶ気が楽だ」
トマは手帳を閉じて、大事そうに胸へ抱えた。
「次はもっとちゃんと書きます」
「今でも十分役に立ってる」
そう言うと、トマはちょっと照れたように笑った。
ルシアが宝箱の空いた中を覗き込みながら言う。
「さて。これで二層攻略も少しは現実味を帯びてきたの」
「少しじゃない。かなり大きい」
俺は広場の入口へ向かいながら言った。
「ここを起点にする。二層は、ここから広げる」
誰も異を唱えなかった。
鍾乳洞の暗がりの中で、小さな広場だけが、確かな足場みたいに静かにそこにあった。




