第15話 一年の猶予
無機質な声が消えたあとも、広場には重い沈黙が残っていた。
巣の主の死骸はもうない。
光の粒子はすっかり霧散し、そこに残っていたのは、第二層へと続く新たな階段だけだ。
けれど、俺たちの視線はそこには向かなかった。
「……嘘だろ」
ようやく絞り出した声は、自分でも驚くほど掠れていた。
地上に魔物たちの大狂騒――モンスターパレード。
一年の期限をもって、このダンジョンの攻略を推奨。
守護者を倒し、勝って、報酬まで手に入れたはずなのに。
開いたのは希望の扉じゃない。
新しい地獄の入口だった。
「一年」
ロロがぽつりと呟いた。
「来年の今ごろまで、ってこと……?」
誰もすぐには答えられなかった。
クレーネだけが、宝箱の横に残る階段をじっと見ている。
「つまり」
淡々とした声だった。
「一年で、あれ全部」
その短い一言が、妙に胸に刺さった。
全部。
この広すぎる迷宮。
まだ見ぬ第二層。
その下に続く階層。
そして最奥にあるであろう“地の概念核”。
ルシアが珍しく、軽口もなく腕を組んだ。
「……笑えぬの」
「お前がそんな真面目な顔するなよ。余計に怖いだろ」
「事実、怖いからの」
即答だった。
俺は思わず頭を抱えた。
今までだって無茶苦茶だった。
五年で七つのダンジョンを攻略しなければならない。
その時点で十分に頭のおかしい話だったのに、ここへ来てさらに「一年」が増えた。
笑えない。
本当に笑えない。
「……とにかく、一回戻るぞ」
俺は宝箱の中身を見た。
武具三本と、守護者のメダル。
ついさっきまでなら戦利品に浮かれていたはずだ。
だが今は、それどころじゃない。
「帰って整理する。今のままだと何が何だか分からん」
「うむ。それがよい」
「お腹すいた」
「お前はさっきからそればっかだな!?」
思わず叫ぶと、クレーネは首を傾げた。
「大事」
「まあ……そうなんだけどな……」
生きるうえでは大事だ。
否定はできない。
できないが、今はそこじゃない。
俺たちは守護者の広間を後にし、来た道を戻り始めた。
◇
第一層の通路は、相変わらず湿っていて冷たい。
だが今は、その冷気が少しありがたかった。
頭の熱が冷める。
混乱も、焦りも、少しだけ形になる。
歩きながら、俺は隣を飛ぶルシアを睨んだ。
「整理させろ」
「うむ」
「五年だ。五年で世界に散らばる七つのダンジョンを攻略しなきゃならない。これは前から聞いてる」
「そうじゃな」
「で、今増えた一年ってのは何だ」
ルシアは少しだけ黙った。
石壁を眺めるように視線をずらし、それから答える。
「五年は、お主との契約に刻まれた最終期限じゃ」
「最終期限」
「世界全体の猶予、と言い換えてもよい。七つすべての概念核をわらわが取り込まねば、世界はいずれ崩れる」
そこまでは、分かる。
いや、分かりたくないが、話としては理解できる。
「なら一年は?」
「“地”だけの猶予じゃな」
ルシアの声は低かった。
「守護者が消えたことで、抑え込まれておった綻びが表に出た。一年以内に、この地のダンジョンを中枢まで踏破し、わらわが概念核を取り込まねば、地上側への影響が一気に溢れる」
「それが、モンスターパレードってやつか」
「うむ。最初に呑まれるのは、この領じゃろうな」
ロロの肩がびくりと跳ねた。
「そ、そんな……」
「待て」
俺は立ち止まりかけた。
「第二層に入ればいいって話じゃないのか?」
「違う」
あっさり切り捨てられる。
「必要なのは中枢への到達と、概念核の回収じゃ。階段を見つけただけで解決するなら、誰も苦労はせぬ」
「ですよねぇ……!」
思わず天を仰いだ。
改めて言葉にされると破壊力が違う。
クレーネが前を向いたまま言う。
「一年。早い」
「だよなぁ……」
俺は額を押さえた。
まだ第一層の地図だって埋まり切っていなかった。
第二層は開いたばかり。
その先に何階層あるのかも分からない。
それを一年。
無理だろ。
どう考えても無理だ。
ルシアがぽつりと続ける。
「……わらわも、あの警告で確信したことがある」
「何をだ」
「この地のダンジョンは、わらわが思うておった以上に深刻な綻びを抱えておるということじゃ」
俺は眉をひそめた。
「おい。それ、先に分からなかったのか?」
「分からなんだ」
珍しく、ルシアは即答した。
「わらわは罪を犯し管理者の座を追われた身じゃ。他の管理者が施した封印の細部まで知るすべはない。今のわらわも制約に縛られておるし、何でも好きに話せるわけではないのじゃ」
全部知ってて黙っていたわけじゃない。
少なくとも、今の口ぶりはそう聞こえた。
……まあ、信用しすぎるのも危ない相手だが。
「とにかく」
俺は大きく息を吐いた。
「五年は世界全体の最終期限。一年はこの領が先に終わる期限。そういう認識でいいんだな」
「概ねそうじゃ」
「最悪だな」
「最悪じゃな」
ルシアは平然と頷いた。
「最悪の下に、もっと最悪があるだけの話じゃ」
「言い回しでごまかすな!」
声を荒げたところで、現実は一つも軽くならない。
分かっている。
分かっているが、叫ばずにはいられなかった。
◇
翌朝。
ヴァーミリオン家の屋敷には、日の出とともに慌ただしい足音が響いていた。
「若様! 若様ぁっ!」
玄関を叩く声に叩き起こされ、寝癖のまま飛び出した俺は、そこで息を切らした領民の男と向き合うことになった。
「ど、どうした」
「森の外れが、おかしいんです!」
その顔は青ざめていた。
ただ魔物を見ただけの顔じゃない。もっと嫌なものを見た時の顔だ。
「何があった」
「畑の端が掘り返されてて……それに、家畜が朝からずっと怯えてて。見回りに行ったら、森の方にも変な跡が……」
変な跡。
その一言だけで、昨夜の無機質な警告が脳裏によみがえった。
――一年の期限をもって当ダンジョンの攻略を推奨。
――地上に魔物たちの大狂騒が予測されます。
嫌な汗が背を伝う。
「……分かった。すぐ行く」
振り返ると、ちょうどロロとクレーネ、それにルシアも廊下へ出てきていた。
「ロシュ様?」
「森の外れで異変だ。見に行くぞ」
ルシアの表情が、わずかに引き締まる。
「早いの」
「早いって何だよ。まだ一日しか経ってないぞ!」
「綻びとは、そういうものじゃ」
言い捨てるようにそう言って、ルシアはふわりと浮いた。
◇
森の外れに着くと、確かに様子がおかしかった。
畑の端は浅く抉られ、土があちこち掘り返されていた。
大きな被害ではない。だが、普段の猪や下級魔物の荒らし方とは明らかに違った。
土の跳ね方も、踏み荒らされ方も、もっと細かく、もっと数が多い。
「……なんだこれ」
俺はしゃがみ込み、土に残る跡を見た。
いくつもの細かい擦れ跡。
何かが這いずったような痕。
そして、地面にうっすらと走るひび。
ロロが腕を抱く。
「なんか……嫌だね」
「ん」
クレーネが森の暗がりを見ている。
「近い」
「何が」
「魔物」
短い返答に、領民の男がびくりと肩を跳ねさせた。
「ま、魔物がもう近くまで来てるんですか……!?」
「群れじゃない」
クレーネは地面の跡を指した。
「探ってる。様子見」
それはそれで嫌すぎるんだが。
俺が顔をしかめていると、ルシアが土を指でなぞった。
「ほれ」
「何だよ」
「地のマナが乱れておる」
「分かるのか?」
「わらわを誰じゃと思うておる」
「悪食で高慢で役に立つ時だけ役に立つ悪魔」
「最後だけでよい」
ルシアは不満げに鼻を鳴らした。
「まだ本格的な溢れ出しではない。じゃが、もう予兆は始まっておる」
予兆。
その言葉が、昨日までとはまるで違う重さで胸に落ちた。
まだ何も起きていないんじゃない。
もう始まってしまっているのだ。
畑が荒れた土。
怯えた家畜。
不安そうに俺たちを見る領民の顔。
これが広がれば、最初に壊れるのは迷宮の中じゃない。
この人たちの生活だ。
ロロが不安そうに俺を見る。
「ロシュ様……」
「ああ」
俺は立ち上がった。
現場を見た以上、もう机上の空論ではない。
「戻るぞ」
「一回整理するの?」
ロロが聞く。
俺は首を振った。
「違う」
視線を森から屋敷へ向ける。
「もう整理してる時間はない。今日から人を集める」
「え?」
「ギルドだ何だって立派な看板は後だ。まずは動けるやつをかき集める。この領を守るための臨時組織を作る」
クレーネがこくりと頷く。
「人増やす。探索早い」
「そうだ」
ルシアが口元を吊り上げた。
「尻に火が付いた以上、のんびりもしておれまい」
「昨日から燃えっぱなしだよ!」
一年後に全部失うくらいなら、今から泥まみれになった方がましだ。
綺麗に順番を整えている余裕なんて、もうない。
そう自分に言い聞かせながら、俺は屋敷へ向かって歩き出した。




