第13話 巣の主
ヴァーミリオン家には、決して触れてはならない禁忌がある。
――ロロを、本気でキレさせるな。
逆鱗に触れたが最後。
天使のようなメイドは、暴虐の化身へと様変わりする。
「死ねっ!! 虫けらぁぁぁ!!」
ロロの怒号が迷宮に轟いた。
次の瞬間、彼女は地を蹴った。
細い体がぶれる。いや、そう見えただけだ。
踏み込み一歩で、もうバシリスクビートルの群れの中へ入り込んでいた。
「鉄拳、解放!!」
振り上げた拳が、黒い甲殻へ叩き込まれる。
ぐしゃり、と嫌な音がした。
硬いはずの甲殻が陥没し、そのまま魔物の体ごと床へめり込む。
拳の衝撃で脚がひしゃげ、黒い体液が飛び散った。
だが――それでも虫どもの追走は止まらない。
砕かれた仲間の上を這い、壁を伝い、なおも前へ出てくる。
黒い波が途切れない。潰しても潰しても、次が湧く。
その光景に、俺は思わず顔を引きつらせた。
「うわぁ……」
ロロはさらに一歩踏み込む。
人間の動きじゃない。
振り下ろされた二撃目の拳が、別の一体を真上から叩き潰した。
甲殻が耐えきれず割れ、脚がばらばらと跳ねる。
もう一撃。
横殴りの拳が別の個体を吹き飛ばした。
壁に激突したバシリスクビートルは、そのまま動かなくなる。
「潰れろ、くそ虫がぁ!」
さっきまで悲鳴を上げていたロロとは思えない。
狂戦士だ。
完全に狂戦士になっている。
俺は思わず漏らした。
「……こえぇ」
クレーネが冷静に言う。
「キレてる」
「分かってる!!」
ロロはさらに突っ込む。
拳。
蹴り。
体当たりに近い踏み込み。
鉄拳で硬化した拳が甲殻を砕くたび、鈍い破砕音が広場に響いた。
虫どもの硬さを力づくで踏み越えていく戦い方だ。
理屈も技術もあったものじゃない。ただただ怒りと筋力で押し潰していく。
確かに強い。
だが――
カサカサカサカサ。
通路の奥から、さらに音が増えた。
虫の群れが次々と広場へ流れ込んでくる。
十。
二十。
三十。
まだ増えている。
ロロの拳が一体を叩き潰した。
だが、その背後から新しい個体が這い出してくる。
砕けた死骸を踏み越え、何もなかったみたいに前へ出る。
きりがない。
「まずい……!」
このまま戦えば、確実に囲まれる。
俺は叫んだ。
「ロロ! 戻れ!」
ロロは振り返らない。
完全に頭に血が上っている。
クレーネが周囲を見回した。
床。
壁。
通路。
そして言う。
「巣、道ある」
「道?」
クレーネが枝分かれした左の通路の奥を指した。
「虫の道」
よく見ると、床が削れている。
他の場所より明らかに擦れており、黒い脚が何度も往復した痕が残っていた。
虫が頻繁に通るルートだ。
つまり――
「巣の奥か」
元来た道へ戻るのは危険だ。
魔物が詰まり始め、退路が断たれつつある。
背後に下がるより、まだ手薄な一点をこじ開けるしかない。
なら、前に進むしかない。
俺は決断した。
そこに活路を見出す。
「突破する!」
ロロが拳を振り上げたまま叫ぶ。
「ぶっ殺す!」
「違う! 抜けるぞ!」
俺はロロの手首を無理やり掴み、剣を構えた。
「一直線だ!」
踏み込む。
「踏震! 解放!」
衝撃が地面を走る。
数体の魔物が転がった。
完全には倒せない。だが、一瞬道が開く。
「今だ!」
クレーネが矢を撃つ。
ルシアが指示を飛ばす。
「右じゃ!」
通路を突き進む。
虫の群れを押しのけながら、巣の奥へ。奥へ。
甲殻が肩にぶつかる。
脚が足首を掠める。
生理的な嫌悪感が背筋を走るが、止まったら終わりだ。
そして――
通路が開けた。
広い空間。
そこにいたのは。
「……でけぇ」
巨大な影。
馬ほどもある巨体。
分厚い甲殻。
長く鋭い角。
無機質な複眼がぎょろりとこちらを捉える。
周囲の虫が、道を空けるように左右へ散った。
まるで自分たちより上の存在が現れたと、最初から分かっているみたいに。
バシリスクビートルの上位個体。
「巣の主か……」
巨体がゆっくりと動いた。
そして――翅を広げる。
空気が震えた。
次の瞬間、空気を裂く爆音とともに巣の主が突っ込んでくる。
ただ速いんじゃない。巨体そのものが質量を持って飛んでくる圧だ。
風圧だけで頬が打たれ、石床に爪が食い込んだ跡が一直線に走る。
「はやっ!」
俺は地を踏み込む。
巨体が俺目掛けて勢いよく突っ込んでくる。
(踏破、解放!!)
瞬間の速度が上がる。
寸でのところで奴を躱し、その刹那に剣を叩き込む。
――ガキッ!
硬質な音が広場に響いた。
刃が通らない。
腕に痺れが返る。
「くそ、やっぱり硬過ぎだろ!」
ルシアの叫ぶ声が聞こえた。
ちらりと視線を向けると、奴は大量の虫に追いかけ回されている。
「ぎゃああぁあ!! 早ようそいつを何とかせい!」
ルシアだけじゃない。
入口では、ロロとクレーネが殺到する虫たちを食い止めていた。
ロロが咆哮を上げながら暴れ回る。
鉄拳で甲殻を砕き、蹴りで吹き飛ばし、それでも迫る個体を力ずくで押し返す。
クレーネはロロのフォローに徹し、虫を正確無比な矢で射殺していく。
腹を晒した瞬間だけを逃さず、一本ずつ確実に仕留めていた。
だが、あの勢いではそう長くはもたない。
俺は剣に意識を向け、唇を舐めた。
【踏破Ⅰ 6/30】
地を強く踏み込む瞬間、強力な加速を得る。
踏み込みの瞬間のみ速度が大幅に上昇する。
【踏震Ⅰ 4/15】
地を強く踏み込んだ衝撃を地面へ伝え、
足元から前方に衝撃を拡散させる。
【鎚踏Ⅱ 3/25】
踏み込みの反動を武器に乗せ、
強力な一撃を放つ。
短期決戦。
「やってやる」
剣を突き出し、腰を深く落として低く構える。
呼吸を整える暇なんてない。
だが逆に、それでいい。迷えば死ぬ。
絞られた弓のように、足元へ力を込め一歩目の地を蹴る。
「踏破、解放!」
加速を得た俺の体は、巣の主との距離を一気に塗り潰す。
しかし、相手は俺との間合いを読んだように頭をもたげ、一気に角をかち上げた。
不用意に突っ込んだ俺に合わせるようなカウンター。
(ヤバい!)
角が視界いっぱいに迫る。
「踏破! 解放っ!!」
咄嗟に二歩目の地を蹴り、右へ躱す。
突き上げた角が轟音とともに俺の左脇腹を掠めた。
「ぐっ――」
鈍い痛みが走る。
脳裏に恐怖が湧く。
だが――巣の主は大振りの一撃を空振りし、大きな隙をさらしている。
弱気になる心を踏み潰し、俺は三歩目の地を蹴った。
「踏破! 解放おぉっ!!」
奴が次の挙動に移る前に、俺は懐深く潜り込む。
狙うのは、右頭部側面にある複眼。
加速の付いた体で、四度目の地を力強く踏み込んだ。
「くたばれぇぇぇぇ!! 鎚踏!! 解放っ!!」
乾坤一擲。
踏破で得た加速の反動を乗せた渾身の突きが、奴の複眼を貫いた――




